kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

何を求めるか

2018-09-27 | 陸上競技
雑記。

何を求めるか。練習さえやればそれでいいのか。何を求めて部活動をするのか。ここはそれぞれの立場によって全く違ってくると思います。競技結果を求める。全員がそうであれば理想なのか。競技力さえあればいいのか。ここもかなり微妙な所だと思います。与えられることが当たり前になってしまっている。言われた事だけをやれば良いというスタンスにやりやすい。そうであれば本当にやる事は何か。

「○○先生はやってくれるのに○○先生はやってくれない」という言葉が出てくる。「女子ばかり指導して男子の指導はしない」と批判的な意見が出る。平等ではないという考え方から出てくるのだと思う。本当にそうなのか?県総体に出場する選手と支部大会で終わってしまった選手に対して関わる時間には差が生まれる。上で戦う選手とそうではない選手であればやはり関わり方が変わってくる。そこは不平等なのか。

以前、「テスト期間になんで練習しなければいけないのか」という意見が出たことがある。一部の選手は中国新人に進出するため、練習をする必要がある。目の前に試合がなければ「別にやらなくても良いではないか」という気持ちが生まれる。それを口にする事で強くなろうと練習をする選手にとってはマイナスになる。そうであれば練習をする必要がないというのも選択肢の一つになる。が、競技をしようと思えばやはり練習は積み重ねなければいけない。365日あって2週間連続で練習をしなければさすがに身体が動かなくなる。そしてまた試合に向けて練習をするとなってもかなり後戻りしてしまうことになる。

それでも良いと思う者もいれば毎日積み重ねてやりたいと思う者もいる。集団として「強くなりたい」という水準に合わせるか「身体を動かす」レベルに合わせるか。価値観が多様化するこの時代、学校における部活動であればどちらにも対応することが求められるのかもしれない。集団の方向性をどうするかを考えさせられる。一度「別にやらなくても良いではないか」と思えばその気持ちは消えない。特別な練習をしなくても強くなるのであればそれでも良い。が、やはり継続できる選手にならなければ結果には繋がらない。

人は他者と比べる生き物だと思う。自分が手厚く扱ってもらっているときには何も言わない。が、少し距離ができると「何でやってもらえないのだ」という感覚が生まれる。本来的には「自分でやらなければいけない」部分に対しても「やってもらえない」という批判的な部分が生まれる。

練習メニューを作る。それが当たり前になると「何で作ってもらえないのか?」という考え方になる。世の中、指導者がいない中で自分で練習をしている選手もいる。メニューだけ与えられてそれを消化することを求められる選手もいる。今のようにメニューを与えられ、技術的な部分に対しても細かく指摘される選手もいる。その中で自分の立場が当たり前になればそれ以上のことをやってもらうのが当然のようになる。感謝という言葉はそこには存在しなくなる。

競技者として。そこの感覚を他者に求めるのは難しい。自分自身が競技者としてやってきた事を基準とするとその水準で練習をする高校生なんて存在しない気はする。だから基準値を落として指導をする。段階的に上がっていけるように指導をする。ここも当然の話。

tnk先生と話をしていた。午後から用事があって帰るという選手がいる。そうであればその練習量はどこで補うのか。夕方できないのであれば朝来てからすぐに練習をする。帰宅しなければいけないのであればギリギリまで時間を作って練習をする。これは「競技者」として活動をするのであれば必須だと思う。365日の中で何をするかを考えた時にやはり必要な要素ではないか。そしてその話を毎回毎回するというのでは先には進めないのではないか。そんな話だった。

練習をする。健康づくりのための練習なのかもしれない。競技者として戦うための練習なのかもしれない。自分の力を少しだけでも上げようとする練習なのかもしれない。それぞれが何を求めて練習をするのか。ここはすごく重要だと思う。多様化する価値観だとしても私は指導の中で「今の自分を越えるための練習をする」という部分を大切にしたい。譲れない。競技を通じて何かしらの変化が生まれる。その変化は生活の中でも生きてくると信じているから。

速ければ良いとは思わない。速くてもそれは一時的な話でしかない。それが終わった時に何が残るか。常に考えてやっていかなければいけない。そう思っている。それをどう伝えるか。伝える必要があるか。ここも踏まえて考えていきたい。

まとまりのない文章。とりあえず記しておく。
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練習をする=身体を動かす?

2018-09-27 | 陸上競技
水曜日。この日も40分授業。週末が完全な雨予報となりどう対応するかひたすら考えさせられることに。各方面と調整。学外との調整も入ってくるのでなかなかです。

練習はポイントを絞って。動きの部分をかなり減らして走る時間を確保。バランス系をやってから股割りスクワット、そのまま縄跳び走をやってハードルドリル。スイッチングランを。トレーニングを入れるとかなり時間を要します。疲労度もあるだろうと思い可能な限り絞って実施。意図的に遠くから見ていました。

そこから複合走を行なって前半マーク。動きは重い。何人かは明らかにモチベーションが低い。ある程度は仕方ないのかもしれません。メニューをこなすというのがメインになってきています。与えられたメニューを消化する。それも大切なことだと思います。しかし、そこに目的意識があるか。身体が動かないという者もいたと思います。その中で創意工夫ができるのか。試行錯誤しながら身体を動かせるのか。どうすれば身体が重い状態の中で良い練習ができるのか。単に身体を動かすという中で何かを生み出すのか。

全体を集めて話をしました。客観的に見ての意見。練習の輪に入っていると見えない部分があります。離れているから分かることがある。やるだけの練習になっていないか?どうしたら動くのかを考えてやっているのか?放課後に集まって身体を動かしたらそれでいいのか?そういう段階を目指しているわけではない。そこまで本気でやる必要はないと思う選手もいるのかもしれない。今の時代の部活動。志を持って集まるところから始まっているわけではない。だとしてと所属するからにはやはり同じ意識で取り組んでいく。必要な事だと思っています。

残念ながら練習に参加していない者は遠くにいました。ここも大きな課題です。話をするというのはそれなりに意味があるからのこと。自分は走っていないから関係ない話だと思ったのか。いや、技術的な話であっても全員が共通認識をする必要がある。ここに関しては後で指摘しましたが伝わるかどうか。

そこからT走の往復とマーク走の組み合わせ。さらにはシャフト補強。ここもあえて何も言いませんでした。見ていると先日話した内容が伝わっている者は合間の時間に動きの確認をしています。1年生はそれができない。学年の差もあるのかもしれません。一つのことに対する意味をどれだけ考えるか。身体を動かすという部分はできている。しかし、そこに目的意識がどれだけ入ってくるか。練習をすることがメインになっていてそこにどのような狙いがあるのか、何のためにやっているのかが不明瞭になる。求めるレベルが高過ぎると言われるのかもしれません。が、身体を動かすだけであれば最後の最後に残るものがない。活動をする中で「やり切ること」を身につけなけれ意味がなくなってしまう。

もう一度全体を集めました。私の昔の話を。絶対に負けたくないと思う選手がいた。その選手に勝つ事を常に考えていた。何年も何年もそこを目標にしていた。大学に入ってその選手に勝ったが記録的には勝てていない。ずっと勝つ事を考えてやり続けて大学4年生の時についに記録を越えることができた。苦しい時もいつも「自分の前にはその選手がいる」と思い続けてやってきた。だから目標を見失うことはない。365日、自分がどうするかを考えていた。本当に勝ちたいのであれば何をするか。自分よりも練習をやっていない選手と比較すると「自分はやっている」という気持ちになる。しかし、そこに満足する意味があるか?本当にやるべきことは別にあるはず。そこに対する意識がどれだけ持てるか。今のご時世、難しい話なのかもしれませんが。

最後に120m T-120m T-120m-60m×2を。これもほぼ任せました。話が伝わるか。結局練習をするのは私ではない。選手がどのような想いでやるのか。やらされる練習になるのであればやる必要はないと思っています。誰のためにもならないから。腕を引っ張って無理矢理走らせるというのであれびそれこそ「パワハラ」と言われるでしょう。やりたくない者に無理矢理練習させるというのはこちらとしても望むところではありませんから。

マイナス的な話を書いています。他のチームと比べれば問題なくやっていると思います。だからこそ「自分達はやっている」という不満は出るかもしれません。比べるところはどこなのか。全員がインターハイに行けるとは思っていません。しかし、自分の力を最大限に高めることはできる。そこの感覚を持ってもらいたい。難しい話なのかもしれません。しかし、やる以外に方法はない。そう思っています。

ここ最近、技術的なことしか書かないようにしていました。これも意図的でした。あえて「取り組み」についても書いておきます。動きは良くなっている。が、そこだけで本当にいいのか?という話。考えさせられます。
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