kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ペルソナ

2014-11-24 | 陸上競技
多くの方々にご心配をおかけしています。申し訳ありません。何だか自分でも上手く表現できない感情の中で生活をしています。

地道に積み上げてきたものが一気に崩れさる感覚があってそれを自分の中でどうやって処理したら良いのか見つけられない。年齢的なものなのか、時期的なものなのか。昨年はエネルギーが尽きるという感覚があってなんとかそれを打ち破るための努力をしてきました。無理矢理自分を突き動かしてきたのかもしれません。

いつも「kaneko」として生きておかなければいけない。この感覚がわかってくれる人は少ないと思います。学生時代、教育心理学で「ペルソナ」について学んだ時自分の中で「あーこういうことか」と感じたことがあります。ペルソナとは「仮面」のこと。人は「ペルソナ」を付けることで対外的に適応することができるという感じのものです。私は学生時代一応キャプテンをしていました。その時、私個人の感情と違うことでも「キャプテンとしてのkaneko」でないといけないという部分がありました。弱い部分を表に出せない。後輩の前では常に「kaneko」でなければいけない。周りから期待される「kaneko」であり続けるためにはその役割を演じ続けるという部分が強くありました。いつも「kaneko」でいなければいけないから気を抜くところがない。辛いことがあっても苦しいことがあってもそれを覆い隠しておく。

気が付いたらそれが当たり前になっていてそういう部分をいつも求められる。どんな時も「kaneko」としての役割を求められる。周りからはいつも元気で情熱的で、他人のために一生懸命になっているのが私らしいと思われる。確かにそういう部分が私の中にあるのは間違いないと思います。演じている部分だけではなく素の部分で誰かのために生きていたいという感覚があります。

しかし、気がつくと自分の感情を全て押し殺している。時には全てを投げ出してしまいたくなることがあってもそれは出さない。そういう部分が実は大きなストレスとなり自分の中に蓄積していく。自分にストイックになる事を自分自身で求めてしまう。そして更にストレスが溜まる。その繰り返しをずっとしている気がする。

ここ最近本当に色々とありました。自分の中でストレスがオーバーフローしてしまう感覚。それでも「kaneko」としてあり続けなければいけない。ちょっと疲れてしまいました。この一年間ずっと走り続けてきました。

「疲れて歩けないんなら 立ち止まってしがみついていれば
地球は回っていって きっといい方向へ 僕らを運んでくれる

どんな人にだって心折れそうな日はある
「もうだめだ」って思えてきても大丈夫
もっと強くなっていける」

本当は自分で思い込んでいるだけで、実は積み上げてきたものなんて最初から存在していないのかもしれない。崩れさるというのは感覚的なものであって本当は何も変わっていない。分かりません。幸せの青い鳥のようにどこかにあると幻想を追い続けていて、気がつけば目の前にあったりするのかもしれない。自分自身が何を目指し、何を求め、何をしたいのか。

背負った荷物を降ろす。それができるかどうかだと思っています。
コメント
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