kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

顧問になって1年目…

2007-12-30 | 陸上競技
顧問になって1年間、私が目指す「陸上競技を通じての指導」とは程遠い感じでした。今考えても恐ろしいレベルでした。今だから笑って話せるし、本人達との笑い話で済みますが、当時は毎日激ギレしてました…。

今年3月卒業した男子選手は5人中2人が剣道部、テニス1、野球1、パソコン部1という状況でした。部活を「やっていた」だけで基本的な事は全く身についていませんでした。今の男子は6人が素人です。その上半分は中学時代美術部だった(笑)。今の活動の真反対にいました(笑)。経験者が2人いたのとある程度、「陸上競技に取り組む」チームの基本ができていたから今のレベルに1年足らずで到達したと思います。普通のチームよりは間違いなく意識は高いという自信もあります。前回と違うのは前回は0からのスタートだったが、今回はある程度形ができた状態でスタートできた事でしょうか。メンバー的には同じようなものかスタート段階は前より低かったかもしれません…。

私が顧問になって1年目は「休むときに連絡をする」「練習中にゲームの話をしない」「練習は学生服でしない」なんて事から話をしないといけませんでしたからね。「先生、ジャージ忘れたので制服で走っても良いですか?」という人間が2人もいたのですから…。練習中に走っている他校の選手に「久しぶり元気?」と話し掛ける事もありました。普通に考えたら有り得ない話ですよね?!当時はこれが毎日のように続いていましたから、競技云々ではありませんでした。

今でも鮮明に覚えているのが「スパイク事件」です。練習前、周りの選手が練習準備をしているのに一人だけずっとスパイクピンについた砂を歯ブラシで落としいる者がいて、「周りを見ろ!自分の事は後回しで練習準備するのが先だろう!!」と注意をしました。しかし、話をしたにも関わらず、練習終了後みんながグランド整備をしているのに自分だけスパイクピンの砂を座って落としている。またも自分の事だけか???!!!有り得ないだろうと激怒!!!!さっき言った話が全く分かっていない。その日の最初に言った事が2時間後にまたできない……。考えられませんでした。それほど難しい事を要求しているわけではないのに……。怒りというか落胆というか…。あまりの怒りに「時間の無駄だから簿記部で検定取ったほうが100倍ましだ。辞めてしまえ!!」と切れまくった記憶があります。

今だから笑い話ですが、当時は激ギレしてましたから…。他にも大会の時の宿舎で麻雀していたり、トゥトレのチューブを2人で逆方向に引っ張って骨折したりと競技がどうこうのレベルではなかったですね…。今はあれから考えるとかなりレベルは高い(笑)

しかし、この子達も2年生の県新人では2人決勝に残ってくれました。最後の総体では4継で決勝に残り、5番目でフィニッシュするものの10センチのオーバーゾーンで失格。そのレベルまで行ったのは意識が高い者が育ったからでしょう。この子達がいたから今のチームがある。この時の「苦労話」は尽きません。また機会があれば書きますね。卒業生の許可をえないといけないですね(笑)。当時は退屈しませんでしたが、「短気」になったのは間違いなくあの1年間だった気がします(笑)。
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気持ちの『余裕』

2007-12-30 | 陸上競技
天気予報が完全に当たったわけではありませんでしたが、やはり朝から寒かった…。雪はぱらつくで「外に出れない」という感じではありませんが、基本的に「寒がり」の私は限界に近かったですね。練習やろうと思えばできたかもしれませんが、これまで比較的順調に来ているので「部を離れる」という意味で気分転換をするのも大切でしょう。「部を離れる」時に「自分自身」について考えることもできるはずですから。「練習できたのに…」とグチグチ考えるより割り切ったほうがスッキリします。

今年は何故か私自身、少し余裕があります。生活には余裕はありませんが(笑)、部活に対しては「なんとかしなければ…」という感じがありません。これは初めての事です。上手く表現できませんが……。現役の頃は、一人でも山口に行って走っていました。「やらないと(汗)」というのが大きかった。顧問になってからも「大丈夫か??」という部分があって、何度も確認メールを送っていた気がします。「きちんとやるように!」と念押しをしなければやらないだろうという想いがあったのでしょう。今考えるとやはり『余裕』がなかった。

今は「やるだろう」という安心感がありますし、「やらないならそれはそれで自分の事」「年が明けたら分かるのでそれなりの指導のレベルに下げればいいや」くらいの考えでいます。これだけ言っても分からないならこれ以上言っても分からないし、伝わらないでしょうから。自分が「やるんだ!」と決めて取り組んでいるはずなのに、「今日は面倒だから…」と思うのはやはり本人が「何が何でも」という覚悟を持てないからでしょう。大会前の1日と冬期の1日は同じ「1日」です。もちろん、できていないならまた話をしなければいけないでしょうが、まー「情熱を持って」というレベルにはなりません。これは冬期に入る前に宣言しています。「やる気」に応じて指導します。そういう「割り切り」があるのは確かです。

こういう考えがあるから、「余裕」があるのでしょうか。自分自身分かりません。考えてみれば男女共に走れる選手が4人いたのが初めてです。別にそれでリレーは「安泰」だと思っている部分は全くないのですが、「4人いる」というだけで大きな事です。加えて、選手の「意識」「取り組む姿勢」が変化して「自分のために何とかしなければ」という部分が増えてきたのは、間違いなく私が「何とかして」という『本質』とは違う部分が少なくなってきているということです。まだまだ「目標」とする学校には届いていないかもしれませんが、きちんと取り組んで「目標とされるチーム』『応援されるチーム』になって欲しいですね。

こう振り返ると取り組み方も随分変わってきました。私も選手も。時間があったらまた過去の事も書いてみます。実は書きかけが1つあるので…。私の中でかなり衝撃を受けた『スパイクピン換え続ける事件』とか………。
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