京都の西京高校の教育方針に書いてあった文をそのまま引用させて頂きます。これは講演で学術顧問の堀場氏の言葉だということです。
『仕事にしろ勉強にしろ、すべてはおもしろおかしく取り組むもので、おもしろおかしくなければ、取り組む意欲もわいてこないし、取組の成果も期待できない。イヤイヤ物事に取り組むことほど、辛くてしんどいことはない。イヤならやめろ!嫌なことをイヤイヤするほど、馬鹿らしくて、非生産的なことはない。しかし、本当に嫌になるほど努力をしたか?他人の数倍もの努力をはらって取り組んでも、なお好きにもなれず、成果があがらなかったか。そこの所をしっかりと確かめる必要がある。君たちの仕事は勉強することであるが、この学校に在学中は、一度でよいからトコトン努力をしてみなさい。』
うーん、重みのある言葉ですね。人間誰しも「イヤだな~」と思ってやることがある。イヤだから最初からやらないというのも多い。でもやるならとことんやってみて、その中に意味を見つける方が効果があるんですよ。イヤになるまでやってみてそれでも何も得るものがなければやめればいい。やる前から言い訳を作ったり、逃げ腰になっても何も意味がないんですよ。
今、自分の目の前にやるべき事がある。それを「イヤだな」と思ってやるのか「絶対にやってやる」と思ってやるのかで効果が違ってくる。これはこのblogに何度も書いてきました。どうせやるなら一生懸命やった方が効果がある。「絶対に強くなるんだ」と思って走る方が強くなる可能性が高い。また、このコメントを紹介した校長は↓
『イヤなことを忌避して、最初から取り組まなかったことは、誰しも多々あることですが、イヤなことを克服するために、嫌になるほど努力をしたことは、そう例があることとも思えません。物事を努力の過程で放り出したことはあっても、嫌になるほどの努力の結果、大きな成果が成就した例もそうはありません『「イヤならやめろ!」は、「やめられないから嫌になるほど努力せよ!」とも聞こえてきます。観念的にイヤであることも、合理的に必要なことなら、「イヤでもやめるな!」ということです。』と補足しています。先入観として「イヤだ」と思うことでも、自分の目標達成のために必要なら「イヤでもやめるな」ということです。ひたすらやり続けるしかない。その中で何を思うか、何を感じるかが大切です。
そんな記事を読んで「そうだよね」と思ってから練習を見る。「覚悟」と「自覚」を感じました。練習の場所でやることは一つ。「自分のために強くなる」ことです。6人しかいない状況でそれぞれが自分にできることをやっていた。負けっ放しではない。心配事が一つありましたが、それも「覚悟」で乗り切りました。「感情を表に出す」というのはイライラや不満を出すことではない。「絶対に負けたくない」という強い「決意」を出すものです。
今は「自分たちが強くなる」ことが最優先。効果は自分たちの「決意」が引き出すもの。少人数で同じ方向を向いた人間ばかりの状態と、100人いるがそれぞれが違う方向を向いた状態でどちらが「力」が出せるか?答えは簡単ですね。少人数だからできることがある。本音でぶつかりましょう。気づいたことがあれば遠慮無くいってやればいい。甘やかすことはその人のためにはならない。本当の「チーム」を目指すなら、言いづらいことでも言ってやる必要がある。良いところがあれば褒めてやる必要がある。そうやって「本当の人間関係」が作られ、「目標」へと到達する。
「与えられた目標」と「自らが目指す目標」、どちらが「目標」としての意味があるか?自分たちで決めた目標なら全員でその目標を目指しやるしかないでしょう。ここ数日間の練習には「気迫」と「決意」を感じます。勝負をする雰囲気になっていますね。練習終了後あれだけ動けないのだから、今ある力は使い果たしているのでしょう。今の練習を「客観的」に見る人がいたらどう感じるのだろうか?またどこかと一緒に練習をしたいですね。「合同練習をするのが失礼」なレベルでは無くなってきていると感じています。
今はきっと「イヤだ」と思わないで走れている(希望的観測)。フィニッシュ5m前の女子の姿を見るとそう感じます。「絶対に負けたくない」と思う「気迫」があります。後を向く必要はない。進むべきは「前」だ。ただひたすら「前」に進むために「勝負」をしよう。後悔の無いように「とことん」やっていくしかない。ちょっと「未来を信じる」ことができそうだと感じた1日でした。
『仕事にしろ勉強にしろ、すべてはおもしろおかしく取り組むもので、おもしろおかしくなければ、取り組む意欲もわいてこないし、取組の成果も期待できない。イヤイヤ物事に取り組むことほど、辛くてしんどいことはない。イヤならやめろ!嫌なことをイヤイヤするほど、馬鹿らしくて、非生産的なことはない。しかし、本当に嫌になるほど努力をしたか?他人の数倍もの努力をはらって取り組んでも、なお好きにもなれず、成果があがらなかったか。そこの所をしっかりと確かめる必要がある。君たちの仕事は勉強することであるが、この学校に在学中は、一度でよいからトコトン努力をしてみなさい。』
うーん、重みのある言葉ですね。人間誰しも「イヤだな~」と思ってやることがある。イヤだから最初からやらないというのも多い。でもやるならとことんやってみて、その中に意味を見つける方が効果があるんですよ。イヤになるまでやってみてそれでも何も得るものがなければやめればいい。やる前から言い訳を作ったり、逃げ腰になっても何も意味がないんですよ。
今、自分の目の前にやるべき事がある。それを「イヤだな」と思ってやるのか「絶対にやってやる」と思ってやるのかで効果が違ってくる。これはこのblogに何度も書いてきました。どうせやるなら一生懸命やった方が効果がある。「絶対に強くなるんだ」と思って走る方が強くなる可能性が高い。また、このコメントを紹介した校長は↓
『イヤなことを忌避して、最初から取り組まなかったことは、誰しも多々あることですが、イヤなことを克服するために、嫌になるほど努力をしたことは、そう例があることとも思えません。物事を努力の過程で放り出したことはあっても、嫌になるほどの努力の結果、大きな成果が成就した例もそうはありません『「イヤならやめろ!」は、「やめられないから嫌になるほど努力せよ!」とも聞こえてきます。観念的にイヤであることも、合理的に必要なことなら、「イヤでもやめるな!」ということです。』と補足しています。先入観として「イヤだ」と思うことでも、自分の目標達成のために必要なら「イヤでもやめるな」ということです。ひたすらやり続けるしかない。その中で何を思うか、何を感じるかが大切です。
そんな記事を読んで「そうだよね」と思ってから練習を見る。「覚悟」と「自覚」を感じました。練習の場所でやることは一つ。「自分のために強くなる」ことです。6人しかいない状況でそれぞれが自分にできることをやっていた。負けっ放しではない。心配事が一つありましたが、それも「覚悟」で乗り切りました。「感情を表に出す」というのはイライラや不満を出すことではない。「絶対に負けたくない」という強い「決意」を出すものです。
今は「自分たちが強くなる」ことが最優先。効果は自分たちの「決意」が引き出すもの。少人数で同じ方向を向いた人間ばかりの状態と、100人いるがそれぞれが違う方向を向いた状態でどちらが「力」が出せるか?答えは簡単ですね。少人数だからできることがある。本音でぶつかりましょう。気づいたことがあれば遠慮無くいってやればいい。甘やかすことはその人のためにはならない。本当の「チーム」を目指すなら、言いづらいことでも言ってやる必要がある。良いところがあれば褒めてやる必要がある。そうやって「本当の人間関係」が作られ、「目標」へと到達する。
「与えられた目標」と「自らが目指す目標」、どちらが「目標」としての意味があるか?自分たちで決めた目標なら全員でその目標を目指しやるしかないでしょう。ここ数日間の練習には「気迫」と「決意」を感じます。勝負をする雰囲気になっていますね。練習終了後あれだけ動けないのだから、今ある力は使い果たしているのでしょう。今の練習を「客観的」に見る人がいたらどう感じるのだろうか?またどこかと一緒に練習をしたいですね。「合同練習をするのが失礼」なレベルでは無くなってきていると感じています。
今はきっと「イヤだ」と思わないで走れている(希望的観測)。フィニッシュ5m前の女子の姿を見るとそう感じます。「絶対に負けたくない」と思う「気迫」があります。後を向く必要はない。進むべきは「前」だ。ただひたすら「前」に進むために「勝負」をしよう。後悔の無いように「とことん」やっていくしかない。ちょっと「未来を信じる」ことができそうだと感じた1日でした。