「鎌倉個道」

鎌倉の歴史、草花、食物

鎌倉街道「六浦道」を行く。

2009-08-28 14:16:00 | Weblog
鎌倉ガイド協会のウォーキングに参加した。
バス停「十二所神社」下車、先ず目にするのは「朝比奈の庚申塔」

■朝比奈の庚申塔

「朝夷奈」は鎌倉七切通の一つで庚申塔の位置は昔の道の高さを示している。

■朝比奈の「やぐら」

世界遺産の関連で「やぐら」の存在が明らかになった。
朝比奈の「やぐら」である。

■朝比奈切通

鎌倉七口の一にして、鎌倉より六浦へ通ずる要害に当り
大切通小切通の二つあり。
三郎義秀が一晩で切り抜いたとの言い伝えがある。
朝夷奈切通が正式名称らしい。

■大刀洗水(たちあらい・みず)

鎌倉五名水の一つ。
梶原景時が上総介広常を切った大刀を洗ったという言い伝え。

■光蝕寺(こうそくじ)

十二所、時宗の古刹。
重文「頬焼阿弥陀」は最近修復され鎌倉国宝館に陳列されていた。
雲慶作と言われている。
さらに快慶や丹慶と伝えられる作品もある。
特に頬焼阿弥陀さまの裏側にある観音の首は圧巻である。

■塩嘗地蔵(しおなめ・じぞう)

光蝕寺が「塩の道」の通り道だったことを示している。

■大慈寺跡

本尊の首が光蝕寺にある。
源実朝が建てた「大慈寺」むの跡はイエズス会修道院。
光触寺を出てすぐを左折してイエズス会の見える場所まで案内してもらう。


さらに行くと鎌倉町青年会の石碑があった。

■五大堂明王院(みょうおういん)

1253年建立の飯盛山五大堂明王院と号する古義真言宗の寺。
覚園寺の支店のような位置になっている。

28日はお不動さまの日で午後1時から護摩焚きがあった。
終了後、別室でお茶と水饅頭(大くに製)を頂戴する。
ことのほか美味しかった。

■足利公方邸旧跡

滑川・泉水橋のそばに大正9年建立の鎌倉町青年会歴史碑がある。

■青砥藤綱邸旧跡

青砥橋を渡ると大正10年に建てられた歴史碑が蒲家の垣根になっている。
この辺りがその昔に栄えたのだろうと思うと興味深い。
コメント
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