昨日書いた京都の知人の会社にも「即応予備自衛官」がおられたようです。
また、その知人のお医者さんも「これから携帯のつながらない地域へ入るので」と連絡があったそうです。なぜかこのブログを読んでくれていることもあるそうで(面識もなにもないんですが)、がんばってくださいね~。
そういえば、こんな記事がありましたね。
蒸気を逃がすための弁を開けるときの話。
もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベック」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴びた。
島根県の男性の話。
男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。
また海外では。
新華社通信も同日、佐藤充さんという宮城県女川町の水産会社役員が、中国人研修生約20人を避難させてから自分の家族を捜しに戻り、研修生たちの目前で津波にのまれた事件を詳しく報じた。研修生たちは「もし(佐藤さんによる)助けがなかったら、自分たちは生き残れなかった」と話しており(以下略)
ブル-ス・ウィルスじゃないんですよ、無名の人たちが。
アルマゲドンの主人公さながらに。
さて話は変わりますが
なにかで「食べたものはあなたと一体化する」というのがありました。
食べられたほうれん草はあなたとひとつになり人間となれたことに歓喜する。「おお、これが人間か、人間とはこんなすばらしい存在か」。
なのに、「つまらん」ことをしていると「ええ、せっかく人間とひとつになったと思ったのに、、、これぇ?」とガックリくるんだとか。
逆に「すばらしい」ことをしていると「そうよ、これよ、これなのよ」と欣喜雀躍するらしい(ほうれん草の命が)。
僕たちは「(命を)いただきます」して「(命を)ごちそうさま」しています。いままで食べてきたすべての命も喜べるように命を活かす、って大切なんだ。それが究極の喜びなんだろうと思います。
人のために祈る、思いやる、優しさを出す、手を差し伸べるつなぎあう、、、きっと自分の命も、食べたほうれん草も豚肉もラ-メンも、自分の内部で喜んでくれると思う。「これが人間ってやつかよ、人間っていいやんか。さすが万物の霊長じゃねえか」と。
なぜに映画のアルマゲドンや冒頭の記事が胸をうつのかはわからないけれどもしかしたら「他のために命を使える(つまり、「使命」)」というのは、他の命によって育まれてきた人間の「命」の最大の表現なのかもしれません。
そうであれば、命をいただいた上は、そして被災地の方に見せてもらったことを活かすならば、せめて「今日だけは不平不満を言わずに」すごしたいと思います。
そして、被災地の人を称賛する海外の人が「日本人にできるなら自分たちにもできるさ」という流れになってくれば、これからの世界も変わっていくかも知れません。
自分たちが生み出した原発に、「今は」愛を。
すべての尊い命に祈りを。
すべての尊い機会に感謝を。
おやすみなさい。
追伸
次は整体に関係したことを、、、と思っているんですが。。。
また、その知人のお医者さんも「これから携帯のつながらない地域へ入るので」と連絡があったそうです。なぜかこのブログを読んでくれていることもあるそうで(面識もなにもないんですが)、がんばってくださいね~。
そういえば、こんな記事がありましたね。
蒸気を逃がすための弁を開けるときの話。
もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベック」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴びた。
島根県の男性の話。
男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。
また海外では。
新華社通信も同日、佐藤充さんという宮城県女川町の水産会社役員が、中国人研修生約20人を避難させてから自分の家族を捜しに戻り、研修生たちの目前で津波にのまれた事件を詳しく報じた。研修生たちは「もし(佐藤さんによる)助けがなかったら、自分たちは生き残れなかった」と話しており(以下略)
ブル-ス・ウィルスじゃないんですよ、無名の人たちが。
アルマゲドンの主人公さながらに。
さて話は変わりますが
なにかで「食べたものはあなたと一体化する」というのがありました。
食べられたほうれん草はあなたとひとつになり人間となれたことに歓喜する。「おお、これが人間か、人間とはこんなすばらしい存在か」。
なのに、「つまらん」ことをしていると「ええ、せっかく人間とひとつになったと思ったのに、、、これぇ?」とガックリくるんだとか。
逆に「すばらしい」ことをしていると「そうよ、これよ、これなのよ」と欣喜雀躍するらしい(ほうれん草の命が)。
僕たちは「(命を)いただきます」して「(命を)ごちそうさま」しています。いままで食べてきたすべての命も喜べるように命を活かす、って大切なんだ。それが究極の喜びなんだろうと思います。
人のために祈る、思いやる、優しさを出す、手を差し伸べるつなぎあう、、、きっと自分の命も、食べたほうれん草も豚肉もラ-メンも、自分の内部で喜んでくれると思う。「これが人間ってやつかよ、人間っていいやんか。さすが万物の霊長じゃねえか」と。
なぜに映画のアルマゲドンや冒頭の記事が胸をうつのかはわからないけれどもしかしたら「他のために命を使える(つまり、「使命」)」というのは、他の命によって育まれてきた人間の「命」の最大の表現なのかもしれません。
そうであれば、命をいただいた上は、そして被災地の方に見せてもらったことを活かすならば、せめて「今日だけは不平不満を言わずに」すごしたいと思います。
そして、被災地の人を称賛する海外の人が「日本人にできるなら自分たちにもできるさ」という流れになってくれば、これからの世界も変わっていくかも知れません。
自分たちが生み出した原発に、「今は」愛を。
すべての尊い命に祈りを。
すべての尊い機会に感謝を。
おやすみなさい。
追伸
次は整体に関係したことを、、、と思っているんですが。。。