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勇気

 昨日、日本が韓国に勝ち、これでWBC決勝トーナメント準決勝をアメリカと戦うことになった。一昨日の韓国戦に惨敗したとき、正直これでは危ない、と思ったが、気持ちを切り替えてよくぞキューバ戦、韓国戦と連勝してくれた。この結果は日本チームが技術面だけでなく、精神的にも優れたチームであることを証明したものであるから、アメリカを相手にしても怯まず戦い、必ずや勝ってくれるものと期待している。
 よくスポーツ観戦した後、「勇気をもらった」というコメントを聞くが、私はこの表現が好きではない。勇気は自分の心の中から湧き上がってくるもので、他人から与えられるものではないはずだ。この表現を突き詰めていくと、「誰からも勇気をもらえなかったから自分は失敗した」などという考えに通じるように思う。そんな他動的な言葉を使うのは、困難に自力で正面からぶつかって行かねば何も解決しない状況を曖昧にしてしまい、責任の所在をぼやかしてしまうようで、どうにも好きになれない。
 だが、この日本の戦いぶりを見ていると、どんな困難にも己の力を信じて立ち向かっていかねばならない大切さを改めて教えられたように思うのも確かである。こういう場合に、「勇気をもらった」と言う人が多いのだろう。気持ちは分からなくもないが、どうしてもその表現は気に入らない。彼らの姿を見ていて、「自分も頑張ろうと勇気がわいてきた」「勇気づけられた」と言うのがふさわしい表現のように思うし、その方が刺激を受けた心が発奮して、自力で力を漲らせた感じがするように思う。「勇気はもらうものではなく、自分で起こすものだ」、そんな気がする・・。

 とか思いながら、試合を見終わって家を出たら川に鴨がつがいで泳いでいた。たまたま持っていたカメラで写真を撮ってみたら、鴨の姿と一緒に、土手に咲いていたうす紫の花をつけた野草が写っていた。


 こんなところに一本だけ咲いているなんて、不思議な気がして近づいてみた。川岸ぎりぎりの所に咲いている。何の花だろう?

 
 
 野草図鑑で調べて、ホトケノザかなと思ったが確かにそうだとは言い切れない。野草の名前を見つけるのはなかなか難しい。
 こうした草花を見るたびそのけなげさとともに、生命力の強さを感じる。ならば、これらを見て、「勇気をもらった」と言う人はいるだろうか? 普通の花壇と比べれば生育条件はかなり苛烈だと思うが、それでも枯れることなく花までつけてしまうのだから、その逆境に負けない力から「勇気をもらう」ことはできるはずだ。だが、この花から「勇気をもらった」と言うのはいくら擬人的表現とは言え、少し度が過ぎるように思う。まだ、「勇気づけられた」「勇気がわいてきた」と言った方が、主体と客体との関係がはっきりしていて、妙に技巧的な表現でもなく、見る者の心情をストレートに表現しているように思う。「勇気をもらった」と言うのは、自分が見た物から刺激は受けたものの、それが心の中でどう発展したかまでは表現していないように思う。それとは逆に「勇気づけられる」「勇気がわいてきた」は、その受け取った刺激がどう昇華されたかまできちんと伝えている表現だと思う。やはりこちらのほうが明晰な表現だ。

 こんなことをグダグダ書いても仕方ないのだが、このところスカッと元気よくいけない日々が続いているので、何か自分を鼓舞してくれるものを探しているうちに、こうした瑣末なことにこだわってしまうのかもしれない。ちょっと反省・・。
 
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「ヤッターマン」

 映画「ヤッターマン」を見てきた。「タイムボカンシリーズ」の2作目として1977年から2年間放送されたアニメ「ヤッターマン」は、当時何回か見たことがあり、登場人物の悪役三人組(ドロンジョ・ボヤッキー・トンズラー)が面白く、大学生だったにもかかわらず結構楽しみにしていた。そんな私であるから、今回の映画化を知ったとき、果たしてどこまでアニメの面白さを再現できるものか、一度は見たくなった。桜井翔が主演すると聞いて、ヤッターマン1号に似た感じもするなと思ったし、ジャニーズ関係を使っておけばそれなりの観客は動員できるだろうから、映画の作り方としてはなかなか目鼻が利くな、とも思った。
 劇場に行って驚いた。子供ばかりだ・・。昨日は愛知県内の小学校は卒業式だったため、休みとなった低学年の子供たちが親と一緒にやって来たんだな、としばらく経って理解できた。大部分は「ドラえもん」を見に来たんだろう、と思いながら、「ヤッターマン」が上映される部屋に入っていったら、子供がいっぱいで少し驚いた。この映画は、昔アニメを楽しんだ大人に向けての映画とばかり思っていたので、少し意外な気がした。最近よくこの劇場で映画を見るが、こんなに子供が多いのは夏休みに見た「崖の上のポニョ」以来だから、慣れるのにしばらく時間がかかった。映画が始まる前は少しがやがやしていたが、上映が始まると皆静かに見ているようだったので、今の子供たちにも「ヤッターマン」の面白さは通じるのかな、と意外な気がした。
 と言うのも、この映画は観客が「ヤッターマン」のことをある程度知っているという前提で作ってあるとしか思えなかったからだ。確かにガンちゃん(ヤッターマン1号)とアイちゃん(2号)についてはちょっとした説明があったが、ドロンジョ一味がいったい何なのか、十分な説明がなかったので、小さな子供には状況がうまく理解できないんじゃないか?と少し心配したが、そんなことは今の子供たちにはどうでもいいのかもしれない。色んな武器を備えたマシンが戦い、ヤッターマンが華々しい活躍を見せてくれれば満足できるだろうし、当時アニメを見ていた子供たちも毎週それを楽しみにしていたはずだ。その辺りのツボはしっかり押さえてあり、今の子供だけでなく昔の子供が見ても十分楽しめる映画となっていて、実写化してよかったと思える数少ない映画だと思った。
 
 だが、私のようなオールドファンにとっては、ヤッターマンよりもドロンジョ一味の悪役ぶりの方が楽しい。

   

 「ヤッター、ヤッター、ヤッターマン」という勝利のポーズより、「スカポンタン」「全国の女子高生の皆さん・・」というセリフを聞いた方が懐かしく感じられる。ボヤッキー役の生瀬勝久、トンズラー役のケンドーコバヤシは、まるでアニメから飛び出してきたようで、まさにはまり役だ。だが、そんなに素晴らしい二人でも深田恭子のドロンジョを引き立てる役目しか果たしていない。それほど深キョンは可愛いし、きれいだ。少し前に嵐の深夜番組に、ケンコバと一緒に出演していた深キョンを見てもそんなに可愛いとは思わなかったが、ドロンジョのコスチュームをまとった彼女は最高だった・・。何故だろう?
 アイマスクからのぞく涼やかな明眸に魅せられたからだろうか、それとも桜井翔と重ねた唇の柔らかさが・・、などと年甲斐もなく熱くなってしまったが、もうこんなに可愛い深キョンを見られただけで、十分だった。

 続編は・・ないよな、たぶん。
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WBC観戦

 WBC日本vs韓国を観戦した。松井の出ていない試合などあまり興味はないが、これに勝った方が決勝ラウンド進出決定、負けたほうはキューバと敗者復活戦を戦わねばならないという試合だけに、両者の白熱した戦いが見られるものと期待して、初めてWBCの試合を観戦した。
 初回の韓国の攻撃はすごかった。あっという間に3点取られてしまって、見ている私でさえかなり動揺した。さぞやダルビッシュも・・、とは思ったが、この3点は仕方ないものとあきらめ、すぐに立ち直って韓国打線を抑えていけば、十分勝機はある、一生懸命応援していこう、そんな気持ちで戦況を見つめていた。しかし、日本の攻撃が歯がゆい。四死球でランナーは出るもののダブルプレーもいくつかあり、チャンスをものに出来ない。これはいやなパターンだな、と思っていたら、5回になってようやくチャンスを点に結びつけた。だが、1アウト1-3塁で打席に立ったイチローは、セカンドゴロを打つのが精一杯で、その間にホームを踏んだ1点のみ、これじゃあ勢いが出ない。その場面、やたらアナウンサーはイチローに期待した言葉を吐いていたが、イチローはそんな場面で打つような選手でないことくらい、野球を知っている人なら分かるはずだ。彼はあくまでもヒットを打ち、塁に出る選手であって、ランナーを返す選手ではない。選手にはそれぞれ役割があり、自分の分を超えたことを望まれても無理な話だ。あそこで、イチローは最低限の仕事は果たしたわけだから、問題はその後の選手がつないでいけなかったことだ。キューバ戦では打線が面白いようにつながり、「スモールベースボール」という言葉が称揚されたが、打線がつながりを欠いた昨日のような試合では、スモールベースボールの弱さばかりが目立ってしまった。韓国の先発投手がマウンドを降りれば何とかなるのかな、と期待を込めてみていたが、選手が次第に焦り始めたのか、変わった投手からはフライが多くなり、大きな見せ場を作ることなく、結局8回にもう1っ点取られ、万事休す、イライラを残したまま終わってしまった。
 選手を責めるつもりは毛頭ない。誰もが心を1つにして韓国に向かっていったのは十分感じられた。だが、やはり膠着した状況を一振りで打破できるだけの打力を持った選手がいないのが今の日本チームの弱点なんだな、と痛感した。土壇場まで追い詰められてもその一振りで勝利を引き寄せ、相手チームを凍らせてしまうような真の強打者がいない・・。確かに4番の村田はよくやっていると思う。が、やはりまだまだ経験不足なのは否めない。
 「やはりあの男しかいない・・」などと繰言を言っても仕方ないのだが、思わずそんな気持ちに駆られてしまう。しかも、嫌味なことに昨日はWBCの試合が始まる前に、あの男はオープン戦初となる2ランHRを含んだ4打点の活躍を見せていただけに、「奴がいたらなあ・・」と試合中に私が何度となく思ったのも、仕方のないことではないだろうか・・。


 だが、この敗戦で終わったわけではない。負け方が完璧な負け方だっただけに私は「大丈夫か?」とついつい思ってしまうが、ここで弱気になってはキューバに勝てるはずもない。3-5から9回土壇場で3点を入れて逆転サヨナラ勝ちしたアメリカの最後まであきらめない姿勢を見習って、粘り強く戦っていけば、キューバなど恐れるに足りない。キューバに勝って、さらにはもう一度韓国と順位決定戦を戦って勝利を収め、堂々とロサンゼルスに乗り込もうではないか。
 頑張れ、日本!!

 (だけど同じ相手とばかり戦ってる気がする。例えば、第1ラウンドを勝ち残った韓国と日本が第2ラウンドでは別々のプールに入っていれば、決勝ラウンドまで戦うことはなかったのに・・。これは十分考える余地ありだと思う)
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新しいビール

 日曜日、酒販店へビールを買いに行ったら、いつもと違う一番搾りの箱が積み上げられていた。そのすぐ横に今までの箱も置いてあり、どう違うのかが解らなかったので、近くにいた店員さんに尋ねてみたら、「こちらが新製品です」と少し白っぽい方を指差して説明し始めた。「麦芽が100%になりましたので、今までのものよりもおいしくなりましたよ」「じゃあ、古いほうは売れ残りってことで、安くなるの?」と聞いてみたら、「いえ、仕入れ値が同じなので変わりません」と答えたので、「なんだ・・」とがっかりしてしまった。だが、やはり新しい方を買って味を確かめるべきだろうと思って、1箱買って飲んでみた。


 右が新製品だが、缶の一番正面に「麦芽100%」と誇らしげに書いてある。これが「売り」なんだから当然だが、麦芽100%がどれだけおいしいものやら私には見当もつかない。試しに今までのものと、成分を比べてみることにした。
  (旧)麦芽・ホップ・米・コーン・スターチ
  (新)麦芽・ホップ
確かに違う。だが、驚いたのは、アルコール分が5.5%から5%に減っていることだ。これだといい気持ちに酔っ払うには、今までよりもたくさん飲まなけりゃいけないってこと?・・などとバカげたことを思ってしったが、アルコール分が下がったのは成分が変わったからなのだろうか? そこで、缶に書いてあった100ml当たりの栄養成分を見てみると、新製品は旧製品と比べて、エネルギーが44kcal→41kcal、糖質が3.1g→2.7g とそれぞれ減っている。アルコール分と栄養成分が減る、というのは飲む人の体のことを考えてのことなのかどうかよく分からないが、飲みやすくなればそれだけ余分に飲んでしまいそうだから、結局は同じことになるんじゃないかな、などと製作者の意図などまるで関係なしに思ってしまった。とにかくおいしいかどうかが問題だ。
 と言うわけで飲んでみた。飲んだ瞬間は今までのものと大差はないような気がした。だが、飲み込んでしばらくすると違いが分かった。後味が苦い、同じ麦芽100%のヱビスビールを飲んだときのものとよく似ている。ふ~~ん、そうかあ・・・。
 どちらがおいしいかと言われたら、今までのほうがおいしいと思う。「ビール本来の味」に近いのはきっと新しい方なのだろうが、そんな小難しいことは私にはどうでもいい。ちょっと味が落ちたように思えて残念な気がしたが、それも一時のことで、飲み慣れれば徐々においしさが増してくるのかもしれない。期待しよう!
 
 そう言えば、ヱビスビールにも期間限定発売の新作が出たばかりだ。「シルクヱビス」。
 
         
 「絹のようななめらかな口当り。上品な味わいのヱビス」というキャッチフレーズに心惹かれるが、実はこちらの方を新しい一番搾りよりも先に飲んだ。グラスに注げばよかった、と後から後悔したほど柔らかな泡に包まれていて、それが口の中で広がる感触がいい。ヱビスビール独特の苦味は感じられず、後味がすっきりとしてとても飲みやすいビールだと思った。私が今まで飲んだヱビスビールの中では、一番おいしい。「小麦麦芽を一部使用することできめ細かい泡、絹のようななめらかな口当りを実現」したという触れ込みだが、確かにその通りの味わいだ。これは本当においしい。

 期間限定だけに、飲める間にたくさん飲んでおきたい。

 

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腕組みダイエット

 先週末、みのもんたの「おもいッきりイイ!!テレビ」で「腕組みダイエット」というものを紹介しているのを見た。この番組はめったに見ないのだが、たまたまTVを点けたら、「南海キャンディーズ」のしずちゃんが、2週間このダイエットを続けたら体が引き締まったと、実測しながら伝えていた。「本当かな・・」と思いながらも見ていたら、そのやり方がものすごく簡単なのでTVを見終わってから自分で試してみた。その方法は、

1.基本姿勢
・先ず足の「かかと」と「つま先」をそろえてまっすぐな姿勢になって立つ。
・いったん目線をやや上に向けて、次に「あご」を引いて目線を元に戻す。
・肩の力を抜いて(をゆるめて)、後ろに手を回して腕を組む(手首同士をジョントさせる)。
・後ろで手を組むときは「組みにくいやり方で組む」こと。自然に腕を組むのではなく、組みにくいやり方で・腕を組むことで、これがポイントになる。
・へその下に意識を集中して、軽く腹筋に力を入れる。

2.腕組みストレッチのやり方・方法
(1)脇腹の腹筋を意識しながら上半身を右に倒し、10秒間制止する。次に左に倒して10秒間制止して姿勢を保つ。
(2)顔を起こしたまま腹筋を意識し、上半身を前に倒して10秒間制止。
(3)上半身を正面に向けたまま、上半身を右にひねって10秒制止。同様に上半身を左にひねって10秒間制止させる。
(4)腹筋を意識しながら半歩前に右足のかかとを前に出して、10秒間制止する。左足のかかとを前に出して、同じく10秒制止する。

 合計70秒。実に簡単だ。果たしてTVで喧伝するほどの効果があるかどうかは、はしばらく続けてみなくては分からないだろうが、普段使わない体の各部分を伸縮できて、なかなか気持ちがいい。何より短い時間で簡単に済むのがいいから、長く続けられそうな気がする。
 少し検索してみたら、結構有名なストレッチのようで、色んなところで紹介されていた。そこには、「腕組みダイエットは、なぜたった70秒のストレッチで、ウェストのサイズダウンができるのでしょうか」という質問に対して、「それは腕組みストレッチが内臓の深部筋を引き締めるからです。内臓の深部の筋肉は、骨格を正しく保つために重要な筋肉だと言われますが、普段の日常生活では、立ち方や座り方が悪くなりがちで、内臓の筋肉のバランスが崩れてしまい、骨格も歪んでしまいがちになります。深部の筋肉は、じつは骨格をつなぎ合わせる重要な筋肉であるため、この筋肉が弱ったり衰えると骨格も歪んできます。腕組みストレッチで内蔵の筋肉を鍛え、骨格をしっかり保つことができれば、効果が現れてきます。」という答えが書いてあった。なるほど、姿勢は大事なんだなあ・・。
 
 もう5年近く、私は毎晩風呂に入る前に腹筋や腕立て伏せなどを含めて、10分から15分体を鍛えているが、その効果は体にはっきり現れている。だが、やはりよる年波で体の緩みは隠せない。かと言って、これ以上激しい運動はとても出来ないから、この「腕組ダイエット法」で体の各部を引き締められたら嬉しい。一日に何回という決めはないようだから、空いた時間にさっとやってみようと思っているが、このダイエット法の効果をより高めるには次のような点に留意するとよいとの指摘もあったので、載せておく。

1.姿見で裸をチェック
実際に自分を鏡に映して見て、ボディチェックをする。自分のスタイルを見ることでますます気を付けるようになる。
2.食事タンパク質を意識して摂ること
人間はタンパク質が不足すると筋肉が落ちる。タンパク質は体重の0.1パーセントを摂取することが推奨されている。
3.水分(水)を摂取する
水分をこまめに摂取して、代謝活動を活発にさせる。水は体内への浸透率がお茶よりも高いから、お茶よりも水を飲むようにする。

 
 この効果のほどはまた後日・・。
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久しぶり・・。

 休みってやっぱりいいなあ・・・。
 
 今年になって、元旦以来2度目の休日をどう過ごそうか?映画を見に行こうか?買い物に出かけようか?色んなことを考えてみたが、やはりこの時期塾の今後が気にかかる。いい加減なことをして時間を無駄にするくらいなら、お千代保稲荷に参拝して、新学期に向かって気持ちを新たにして来ようと思った。
 とは言え、昼過ぎに出かけたら、とりあえず腹ごしらえをしなくてはならない。お稲荷さんまでとても我慢できそうもないので、道中で適当な店を見つけることにした。だが、思いつく店はどこも満員で、4軒目にやっと空席を見つけた。「お好み焼き本舗」という初めての店。おいしいのかどうか分からなかったが、お好み焼きを久しく食べていなかったので、ちょっと楽しみに入った。


 私がイカ玉、妻がとろ玉焼きそば、伯母が豚玉を頼んだ。焼きそばは焼きあがったものを持ってきて、後はソースを好みでかけるということだった。

 

 少し食べたが、太麺でなかなかおいしかった。これならお好み焼きも期待が持てるな、と思っていたら、ごついお兄ちゃんが「焼きましょうか?」と言って、お好み焼の具を持ってきた。一瞬どうしようか逡巡したが、「お願いします」と焼いてもらうことにした。その風貌に似合わないくらい手際よくシャカシャカとかき混ぜて、丸く鉄板の上にのばしてくれた。


 「このまま6分、ひっくり返して蓋をして6分焼いてください」と言い残してお兄ちゃんは去って行ったが、なかなか手際が良くて感心した。

 
 
 タイマーがあって、それに6分を入力しておくと焼き上がる、なんだか機械的な気もしなくはないが、出来上がったものはふんわり柔らかいお好み焼きだった。やはり蓋をして焼き上げるのがこの店の特徴なのだろう、これだけおいしければまた来てもいいね、と話しながら満足した。

 この後高速道路を使ってお稲荷さんまで行き、参拝した。さすがに日曜日だけあって、参拝客で参道はごった返していた。

 

 ご加護を祈念したが、私が気持ちを込めて頑張ることが何よりも大切だ。その意味でも、己の心をリフレッシュするには有意義な一日であった。
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「グローバル恐慌」

 新聞・TV、どのマスコミを見ても今や不況の話題ばかりで、気が重くなる。過去最悪の数字ばかりが並び、うんざりするほど暗い話でいっぱいだ。出口などどこにも見えない底なしの泥沼にはまり込んだような、まさに depression に押し潰されそうで、なかなか元気が湧いてこない。
 塾だって景気に左右されないわけがない。ただでさえ少子化で生徒数が減少している現在、親の経済状況が悪化すれば先行きは不安だらけだ。ただ毎日コツコツ自分にできることを積み上げていくことしか頭に浮かばない、経営者としては無能な私では、こんな苦境を打開する方策などなかなか思い浮かばない。まあ、元々経営者などという意識を持たずにずっとやってきたから、今更じたばたしたところでどうしようもないのは分かっている。でも、この状況の説明くらいはできるようにしておかねば、生徒から時事問題などで質問を受けた場合に困ってしまう。そこで、浜矩子「グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに」(岩波新書)を読んでみた。
 元来、社会科学の分野にまったく興味を持たずに生きてきた私は、経済の仕組みについてはまったく疎い。それでも昨年来のガソリン高に悩まされたお蔭で、ガソリン価格の高騰が引き起こされたメカニズムを怒りに任せて少しばかり勉強した。その時に、金融経済と実態経済の乖離が進み、金融が暴走したマネーゲームの皺寄せを私たちに押し寄せた、という構図をおぼろげながらも把握できた。そのためか、本書を読んでいても経済音痴であったはずの私が、かなりの部分まで理解できた。とは言え、やはり細部には私の理解を超えた記述があり、基礎的知識の不足を嘆いたりしたが、自分なりに本書が定義する「グローバル恐慌」の何たるかを以下にまとめて、より深い理解が得られるようにしてみようと思う。

 筆者は恐慌を『これ以上は膨らむことが出来なくて、これ以上は歪むことが出来ないところまで歪んだ経済活動が、過激に自己矯正に出る。その勢いに圧殺されて、経済活動は急激に縮む。このプロセスが恐慌だ。その意味で、恐慌という現象は経済活動の自己浄化作用がもたらすものだといえる』(P.118)
と定義し、現今の金融恐慌を
 1.世界同時多発的に進行している。
 2.モノとカネが決別する構図の中で展開している。
 3.管理通貨制度下で発生した。
という点で、過去の恐慌とは相違点を持っているため、「グローバル恐慌」と呼び、この恐慌が起こった歴史的過程を次のように概観する。
 
 「1971年にアメリカがドルの金交換停止を発表した、いわゆるニクソン・ショックにより、ドルを基軸とする通貨体制が崩れ、アメリカはインフレ経済化した。インフレ率が2桁もあれば、金利も2桁になるのは当然で、高金利化が進むが、預金金利はグラス・スティガル法により上限が制限されていたため、資金は貯蓄よりも投資に回るようになった。そのため商業銀行は大量の預金流失に見舞われ、信用創造が行き詰まり経済活動が立ち行かなくなり、預金金利を自由化せざるを得なくなり、法律を撤廃する。これによって、いかに高利回りで、いかに利便性の高い運用手段を顧客に提供できるか、銀行と証券会社との間で激しい競争が繰り広げられ、その過程で債権を証券化するという手法が考案されることとなり、ついにはサブプライム・ローン証券化へとつながっていく。
 このようにモノの世界から遊離したカネの世界が、金融の自由化とIT化・証券化により、さらにはヘッジファンドと投資銀行の後押しによって一人歩きし始め、グローバル化しながら、次第にその足取りが早まり、慌しさを増していって、制御不能な暴走を続けた果てに起こったのだが、現今のグローバル恐慌である」

 200ページ余の書物をこんな字数でまとめる無謀さは承知の上だが、私が読み取ったのは以上のようだ。だが、「グローバル恐慌」が決別したはずのモノの世界へと伝播し、大不況に発展していったのは何故だろう?
 それは、マネーゲームが増殖を続ける状態では、モノの世界とは関係なくカネの世界は暴走し続ける。そのため、ついに暴走が転倒につながった時、その衝撃がモノの世界に一気に縮減圧力をかけ、世界的規模で生産・仕入れ・販売のネットワークの中に組み込まれた企業が揺さぶられ、あっという間に大不況に陥ってしまったからだ。
 
 金融とは人が人にお金を融通することであるから、金融とは信用であるはずだ。だから、「グローバル恐慌に至る過程では信用とは無関係なところで金融が膨らんでしまった」、「カネはモノと決別したばかりではない。ヒトともたもとを分かってしまった。相手の顔が見えない。相手が誰だか解らない。したがって、信用するも何もない。金融が信用でなくなった」(P.197)という筆者の指摘は納得できる。だが、結局はこうした状況を生み出したのは人間の限りない欲望だ。際限なく肥大化していく欲望を誰もが押しとどめることなく、肥大化するままにしておいた結果が現今の恐慌であり、しかもそれが大多数の欲望が暴走した挙句のものではなく、少数の者たちの欲望が膨れ上がった結果であり、その尻拭いをこれから何年もかかって、私たち大勢が必死にしなければならないとするなら、まったくもってばかげた話であり、怒りがこみ上げてくる。だが、その辺りに対する筆者の舌鋒に鋭さを欠いた印象を受けたのは少し残念だった。
 
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区切り

 金曜日で愛知県の公立高校入試が終わった。後は23日の合格発表を待つだけ。これで1月17日のセンター試験から始まった長い長い入試期間が終了したことになる。万事私の思い通りになったわけではないが、今は無事終わったことに安堵したい。
 と言うわけで、一つの区切りをつけるため、秋から冬にかけて伸ばし放題にしていた髪を切ることにした。寒い間は、首筋が寒くなって風邪をひいては困るので、毎年髪が長く伸びてしまうが、今年は例年よりも長い期間切らなかったため、ここ数年の間では一番長くなってしまった。こんな感じ・・。


 切ると決めたので、記念に小学生に写真を撮ってもらった(下からのアングルなので髪の薄い部分が写らなくてよかった・・)。これだけ伸びると後ろ髪をしばってちょん髷にでもできる。一瞬試してみようかな、とも思ったが、自分には似合いそうもないし、何より塾生に笑われそうなので断念した。どうせならもっと伸ばして三つ編みにしてみたいが、そこまで伸ばすのはやっぱりできない。とやかく考えずに、すっぱりと切ることにした。
 もうずっと以前から自分で髪を切っているので、まったく手馴れたものだ。風呂場の洗面台に新聞紙を広げて、鏡を見ながらザクザクと切っていく。髪の裾を5cmほど適当に切っていったら、何とかいつものように整った。短くすると髪の毛が薄くなったのが目立って悲しくなるが、「ハゲ」などとからかうのは妻や娘だけだから、ぎりぎりイケテルかもしれない・・・(わけないよな・・)。さすがに後ろ髪はうまく切れないので、切り残しを妻にカットしてもらったが、ものの10分もかからずに完了した。やはり首筋がスースーするが、さっぱりして気持ちはいい。


記念に切り落とした髪の写真を撮ってみたが、もう白髪ばかりでいやになる。それと髪の先がクルクル巻いているので、できの悪いヘアピースみたいだ。(やっぱり写真は載せないほうがいいかな・・)

 だが、いくら白髪のオヤジだとは言え、バレンタインのお返しはしなくちゃならない。今日はホワイトデー、今年は例年よりもお返しする数が少なくて済むが、それでも等閑にはできない。妻がネットで注文してくれた「おいもや」の「りんごポテト」と市内のケーキ屋で買ってきたクッキーや飴、それと小さなチーズケーキを詰め合わせることにした。


「りんごポテト」は1つ余分に注文して試食してみたがなかなかおいしかった。本当は女の子全員にあげたいが、さすがにそれはできないので、チョコをもらった子にだけ配るつもりだ。喜んでくれるといいが・・。

 これからしばらくはスケジュールが楽になる。だからと言ってまったく暇になるわけでもない。すぐに新学期の準備を始めなくてはならないから・・。
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クッピーラムネ

 小学生の子が「おみやげ」と言って、クッピーラムネの大きな箱をくれた。飛騨の限定品と書いてある。「クッピーラムネとは懐かしいな」と思いながら、箱を眺めていたら、作っているのは「ダイコク」という名古屋にある会社だと書いてあった。


名古屋の会社だとは知らなかった・・。するとこのクッピーラムネは名古屋地区でしか売っていないのか?そんな疑問がわいてきたので、少し調べてみた。すると、結構日本各地にいる人々がクッピーラムネについて書いていたので、きっと全国的なお菓子なんだろうな、と勝手に思い込むことにした。まあ、おいしいお菓子だから、日本中の人に食べてもらいたいのだが。
 その翌日、スーパーで普通サイズのクッピーラムネを買ってきた。だが、昔ながらのビニールの小さな袋に入ったものではなく、プラスチックの容器に入ったものだ。(限定品とは粒の大きさがまったく違う)

   
   
大きなのは、塾の生徒たちに分けてやろうと思っているので、普通サイズのものを買って来てちょっとした実験をしてみようと思い付いたのだ。それは・・、
「ラムネと言うくらいだから、この顆粒を水に溶かしたら、おいしく飲めるだろうか?」
という心に浮かんだ疑問に答えるためだ。粒のまま口に入れてもおいしいのだから、何もそんなことをしなくても・・、と思いはするが、一度浮かんだ疑問はきちんと解決しなくちゃ気が収まらない。バカげたことでも、「試して損はない!」という意気込みで実験に取り掛かった。
 
 ①500mlペットボトルを3本用意して、それぞれに100mlくらいずつ水を入れる。
 ②それぞれのボトルにクッピーラムネを5粒、10粒、15粒入れ、よく振って混ぜる。
 ③それを試飲して、味の感想を記す。
この順序で進めてみたところ、なかなか面白い結果が出た。それぞれを飲んだ感想を簡単に記してみる。
5粒 ・・水にうすく味が付いた程度。まだまだ・・。
10粒・・少し粉っぽい気がしてきた。それでもまだ味はうすい。
15粒・・普通のジュースに近くなった。後味も残って、これならいける。
だが、まだクッピーラムネは残っている。そこで、さらに粒を加えていって、それぞれ20粒、25粒、30粒としてみた。
20粒・・おいしい。ほのかに香りがしていい感じ。
25粒・・ますますおいしい。後味もいい。
30粒・・おいしいけど、そろそろ限界かな。これ以上入れたらくどくなりそう・・。

(写真左から、5粒、10粒、15粒、20粒、25粒、30粒入れたもの)

 


と言うわけで、私の結論としては、「25粒くらいがベストかな」。これなら市販のジュースと比べても遜色がない気がする。けちで有名な芸人「オードリーの春日」がこうやってジュースを作って飲んでいるという話を聞いたことがあるが、十分おいしく飲める。春日も気持ちの悪いキャラで売っているが、なかなか見所のある奴だ・・。
 しかし、この実験を終えて一番驚いたのは、30粒入れたものをすべて飲んだ後に、ほとんどクッピーラムネの粉が残っていないことだ。それだけ水によく溶けるということなのだろうが、だからこそ、口の中でもすぐに溶けて粉っぽさが残らないんだな、とちょっといい発見をした。
 やっぱり役に立ったよね・・。



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いがわゆり蚊

 落語好きの妻が買っている「落語 昭和の名人決定版」(小学館から隔週刊)が早くも5巻まで出た。5巻までの内容は、
 
 ①三代目古今亭志ん朝(壱)「夢金」「品川心中」
 ②五代目古今亭志ん生(壱)「火焔太鼓」「替り目」「唐辛子屋政談」
 ③五代目柳家小さん(壱)「ときそば」「ちりとてちん」「宿屋の仇討」
 ④六代目三遊亭圓生(壱)「火事息子」「百川」「豊竹屋」
 ⑤三代目古今亭志ん朝(弐)「抜け雀」「厩火事」

となっている。もちろんこれら名人を簡単に紹介した冊子とともに、彼らの噺を収録したCDが付いているが、残念なことに私は一度も聞いたことがない。聞きたいな、と思ったことがないわけではないが、妻が聞かせてくれない・・。
 だが、もともと私は落語をさほど好きではない。一度聴き始めたら面白いから最後まで聴いてしまうことも多いが、20分か30分じっと聴いていなきゃならないのが面倒で、なかなか聴く気になれない。ましてやわざわざ寄席にまで出かけていく気にはとてもなれない。そんな私をまったく相手にせず、妻は一人で時々噺を聴きに出かけて行っては、「面白かった」と楽しんでいるから、それは彼女の趣味であり、私がとやかく言うことではない・・。
 私とてお笑いは好きである。ただ、落語のように長い間聴いていなくちゃいけないのが、どうも性に合わないだけで、面白いこと、笑えることは大好きだ。そんな私にとって今一番の楽しみは、毎水曜日に放送される「お笑いレッドカーペット」だ。もちろん、塾の授業で10時からの放送は見られないので録画して深夜一人で見ることになる。妻は「何が面白いの?」とバカにするが、私には面白くて仕方ない。何かの都合で放送されなかったりすると、悲しくて仕方がない。今や私の心の糧となっていると言っても過言ではないほど、私の中に大きな位置を占めている。妻には呆れられてしまうが、私をここまで熱中させている、この番組の面白さの源がどこにあるのか自分なりに考えてみた。
 「レッドカーペット」のサブタイトルに「一瞬で笑える お笑いショートスタイル」などとあるように、1分前後という短い時間でどれだけ観客を笑わせられるかが勝負であるため、前振りなしで、いきなり本ネタに入らねばならない。一分間と言えば、短いようにも思えるが、つまらないネタを見せられた時はとても長く感じる。面白くなければそれきりで、一度しか見たことのない芸人は数知れない。芸人たちにとっては、まさに真剣勝負の場であり、それを乗り越えようとする彼らの熱い気持ちが番組全体に熱気を帯びさせ、他の番組にはない「ふったぎった感覚」を味あわせてくれる。(今田耕司の軽妙な司会と審査員(?)たちによる評価も面白さを増幅しているのも忘れてはならない)
 そんなことを妻に向かって熱く語ったこともあるが、「あんなの落語のまくらにもならない」とけんもほろろに、まったく取り合ってくれない。だが、そんなことで私の「レッドカーペット」好きはいささかも揺るいだりはしない。そこで、今私が一番注目している芸人を YouTube で見つけてきたので貼っておく。「いがわゆり蚊」という26歳の女の子だ。可愛い顔をしているが、とんでもない・・。




 このチェンバル語講座のほかにも中国人ネタ・USJネタとおかしなものがいくつもあるようだ。鳥居みゆきも初めて見たときはかなりの衝撃があったが、このいがわゆり蚊のインパクトには及ばない。普段の顔とネタの顔とがまるで違う。不気味なほどだ・・。
 果たしてブレイクできるか、注目していきたい!!
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