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「漱石」

 三浦雅士著「漱石 母に愛されなかった子」(岩波新書)を読んだ。私にとっては本当に久しぶりに読んだ岩波新書だった。私が学生だった頃は、新書と言えば「岩波新書」のことであり、私の書棚にも数多くの岩波新書が並んでいる。最近ではどこの出版社も新書を出すようになり、中には粗製乱造の誹りを免れえない書も多くあるが、やはり岩波新書はすごいなあ、と思わず唸ってしまうほど読み応えのあったのが本書だった。
 私は大学でフランス文学を専攻していたが、それは籍を置いていたという程度のことに過ぎず、まともな学問を修めた者ではない。したがって大学で学んだことなどほとんど忘れてしまっているが、一つだけ今でも鮮明に覚えている講義がある。それはモーパッサンの短編を構造主義的に分析するという当時流行していた文学評論を主題にしたものだった。3回生の時だったと思うが、1・2回生であまりに自堕落な学生生活を送った反省に立って、専門の講義くらいはしっかり出席しようと、少しは向学の志に燃えていた時期であったから、あの素晴らしい講義にも立ち会えたのだろう。思い出せるだけその内容を記してみると、テキストとして選ばれた短編の中に出てくる単語をピックアップして、一つ一つを+と-に分けていくと、内容的に+の場面では+の単語が使われ、-の場面では-の単語が使われているのが寸分違わず明らかになって、その幾何学的な美しさに思わず心を奪われてしまった。情緒や嗜好に流されがちな旧来の文学評論とは一線を画した、科学的な分析の方法もあるのだ、と初めて知った時のあの感動は、私の人生の中でもベスト10に入るものであった。と、同時に感情に支配されやすい私ではこうした客観的な分析はとてもできないだろうな、と己の限界を痛感させられた出来事でもあった・・。
 思わずそんな30年も前の感動を思い出したのは、この「漱石」という新書を読んで文学評論のすごさを改めて実感したからである。
 夏目漱石は末っ子として生まれてまもなく里子に出され、その後いったん実家に戻ってきた後、今度は養子に出される。長じて夏目家に復籍するが、そうした己の幼少時の経緯から己を「母に愛されなかった子」とだと思い込み、そこから漱石の思考が発しているというのが著者の論拠である。母から愛されず、家族から疎まれて育った者としての「僻み根性」のようなものが漱石の「心の癖」となり、彼の作品すべてにその「心の癖」が色濃く反映していることを、「坊ちゃん」「吾輩は猫である」から「道草」に至るまでの作品を分析することによって、明らかにしていく。この「心の癖」という言葉はなかなか示唆に富んでいる。「すずめ百まで踊り忘れず」などと古くから言うように、人の生まれ持った性癖に、育った環境が加味されて、一旦「心の癖」が形成されてしまうとそれを除去することは容易ではない。「生まれ変わっても多分同じことを繰り返してしまうだろう」などと最近とみに思うようになった私にはこの「心の癖」という言葉は実にすっぽりと得心が行った。悲しいけど、私もいつしか身につけてしまった「心の癖」からは抜け出せない・・。
 だが、漱石がすごいのはその「心の癖」がどこから来ているのかを、己の心を掘り下げながら明らかにしていこうとしたところにある、と作者は述べているが、その軌跡を初期の作品から一つずつ明らかにしていく作者の手腕は見事と言うしかなく、久しぶりに文学評論を読んで感動した。私は夏目漱石を心から敬愛する者であり、その作品は繰り返し読んできたつもりだが、作者に比べればなんと浅い読み方しかしてこなかったか、まったくもって冷汗三斗の思いがする・・。
 そんな作者の主張を集約した文を引用してみる。

 「漱石は、母に愛されなかった子という主題を背負って長い道のりを歩いてきました。『虞美人草』や『彼岸過迄』においては直接的に、『それから』や『行人』においては間接的に、その主題を扱ってきた。『心』の先生とKの境遇や心理のなかにその主題はさまざまな変奏とともに集約的に流れ込みますが、こうして明らかになったのは、それは母の問題ではなく、むしろ自身の心の問題、心の癖の問題であるということでした。漱石が『硝子戸の中』に、それこそ愛憎を別にして、母の姿を冷静に描きえたのはこのような過程を経ることによってでした。いわば、その総仕上げが『道草』であった。(中略)
 『道草』において、漱石は、母に愛されなかった子という主題から初めて自由になった。とりわけ細君に向けて発動される自身の心の癖を描き切ることによって自由になったのだ、そう思わせます。漱石晩年の境地などというが、それは禅によってもたらされたものでもなければ、漢詩によってもたらされたものでもない。まるで階段を登るように書き続けられた小説によってもたらされたのだ。それは、自分が母に愛されなかった子という主題にどのように取り憑かれ、どのように苦しめられ、どのように自由になったのかを、克明に記述してゆく過程にほかならなかった。階段を登るというのは、一作ごとに前作を明確に評価し位置づけながら書いていくということです」(P.206~207)

 漱石先生もここまで看破されたら、本望ではなかろうか・・。
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