goo

ネコ

 写真のネコは、半分野良ネコ、半分我が家の飼いネコである。名前は、私の父が「ちょぼ」と名付けた。鼻の辺りに黒い斑点がちょぼちょぼっと付いているから、というのが理由だが、その生い立ちはなかなかのいわくつきで面白い。というより、ちょぼの母ネコと私達とのいきさつが面白いので、それをこれから書いていく。
 2年ほど前のことだ。生徒達を送って塾舎に入ろうとした私の目の前を、ササーッと横切って玄関の中に入って行く小さな動物がいた。余りに突然でワーッと叫んだほどだったが、目を凝らしてみると、階段の下に一匹の子ネコが蹲っている。こちらを睨み付けて、小さく唸っているが、どうも様子が変だ。左の後ろ脚を真っ直ぐ伸ばしているし、よく見れば血だらけだ。床面のタイルも血で汚れているので、怪我をしているのは明らかだ。私が抱き上げようとすると、歯を剥いて抵抗する。いくら子ネコだと言っても、迂闊には手を出せない。しばらく睨み合いを続けていたが、埒が明きそうもないので、いつでも出て行けるように、扉は開けておいて、翌朝もしまだそこにいたら、その時どうするか考えようと決めて帰宅した。
 翌朝、目が覚めて昨夜のことを妻に話したら、早速様子を見に行こうと言う。私の家族は、どちらかというと犬の方が好きな私を除けば、全員がネコ好きである。怪我をした子ネコなどと言えば、ほかっておけないだろうと思っていたら、案の上の反応だった。しかし、塾舎に行ってみると子ネコの姿が見えない。なんだ、逃げたのかと少し拍子抜けしたが、ふと階段を見ると血痕が点々と付いている。えっと思って、静かに階段を上ってみると、廊下の隅に子ネコが蹲っていた。相談するまでもなく、まずは捕まえようと、妻が我が家の飼いネコを獣医に連れて行く時に使う洗濯ネットを持ってきた。手馴れた手つきで子ネコにかぶせたかと思うと、ヒョイと首筋を簡単に捕まえて、私の目の前に突き出した。初めて近くで見てみると、左後ろ脚が根元まで大きく裂傷を負ってぶらりと垂れ下がり、かなり大きく腫れ上がって変形していた。あまりのむごたらしさに、私は思わず顔を背けたが、妻は目に涙を浮かべて、獣医に連れて行こうと言い出した。なんで、野良ネコの世話までしなけりゃいけないのかと思ったが、弱り切って頼って来たものを無下に見捨てることもできないだろうと、柄にもない義侠心を出して、獣医に向かった。
 多分、交通事故にあった怪我だろうというのが、獣医の見立てだった。このままほかっておいたら衰弱して死んでしまう。手術すれば命は助かるだろうが、だからといってちゃんと歩けるようになるとは限らない。それに手術には当然費用がかかるから、どうするかの判断は私達でするように言われた。私はどうしたものかと逡巡したが、妻は何のためらいもなく、獣医に「手術してください」と言い、私の方を向いて「お金は私が払うから」と言い切った。そんなことを言われると、損得勘定で判断しようとした自分がとてもちっぽけに感じられ、それにひきかえ、何の因果もないネコのために、出費を厭わない妻の心はまるで菩薩のようだと、いつものシニカルな気持ちからではなく、純粋に心からそう思った。
 手術は成功し、あとは飲み薬と塗り薬を暫くの間続ければ、何とか歩けるようにはなるだろうという獣医の言葉を信じて、妻は献身的に子ネコの面倒を見た。それがネコにとっては、有難迷惑に過ぎなかったのは、処置をする度に毛を逆立て、シャーシャー唸り声を上げながら、私達を威嚇し続けたのでも分かる。幸いなことに、少し走れるようになるまで回復したが、悲しき野良ネコの習性、とうとう最後まで妻に慣れることなく、走れるようになるとすぐに逃げ出して、二度と私達には手を触れさせなかった。それでも、懲りずに妻がエサをやり続けたので、図々しくもそれを食べながら露命をつなぎ、ちょぼを産み落とした。
 今はもう、どこかへ行ってしまったのか、野垂れ死にしたのか、全く姿を見かけなくなったが、人間と野生動物との心の交流の難しさを教えてくれたネコだった。


コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする