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祭りのあと

 愛知万博が閉幕した。3月25日から、9月25日までの185日間で、のべ2200万人が入場したそうだ。2200万人と言っても、全期間入場券なるものを買って、何度も万博に通った人々が、入場するたびにカウントされた数字だから、重複した人々を削っていけば、半分以下か4分の1くらいにはなるのではないだろうか。私の塾生でも、学校の遠足を含めて、5回から10回は誰でも行っているから、実態はそれくらいの数字に収まりそうな気がする。
 閉幕日の25日は、TVを見れば必ずどこかの局で万博関連番組をやっていた。一度も行かなかった私にしてみれば、今さらそんなものを見ても仕方がないので、全てパスしたが、一夜明けた26日の朝刊も万博一色だった。たしかに、今度の万博は、初めての市民参加型の万博であったと協会幹部が胸を張るように、多くのボランティアが万博の運営に大きな役割を果たした。私の住む市でも、「おもてなしボランティア」なるものが募集され、駅前などで万博に向かう人々の案内などを行っていたが、それは素晴らしいアイデアだったと思う。ボランティアの人々、主に中高年の方たちが、おそろいのユニフォームで駅前を闊歩する姿を毎日見かけたものだ。誰もがみな生き生きと活躍して、わが市を訪ねた人々によい印象を与え、万博の評価にもつながる大きな役割を、きっと果たしたことだろう。
 しかし、万博は終わってしまった。これからあのボランティアの人たちはどうするのだろう。彼らにとってボランティア活動は、万博を側面から支えるものとして、己の自負となっていただろうし、自らの生活を充実させてくれるものでもあっただろう。それが終わってしまった。また、連日のように万博会場に足を運んだ、リピーターたちもどうするのだろう。期間中は、今日は何をしようと考える間もなく万博に行き、様々なイベントに参加したり、パビリオンを見学したりしていれば、一日が過ぎていった。仲間もできただろうし、きっと楽しい毎日だったことだろう。それが、25日で完全に終わってしまった。日常になりかけた生活が、夢のように消え去り、万博以前の生活に逆戻りしなければならない。さぞかし、心に空虚を抱えていることだろう。この半年間が、それなりに満たされたものであったが故に、これからの生活がつまらないものに見えてしまうのではないだろうか。

       祭りのあとの淋しさが
       いやでもやってくるのなら
       祭りのあとの淋しさは
       たとえば女でまぎらわし
       もう帰ろう、もう帰ってしまおう
       寝静まった街を抜けて     吉田拓郎「祭りのあと」

 祭りとは非日常の空間、「ハレ」の空間と言ってもいいだろう。そこから、日常に引き戻されたとき、人は限りない虚脱感を味わうのではないだろうか。「浦島太郎」は、竜宮城という非日常の世界から現実へと戻ってきたとき、その狭間の苦しみに耐え切れずに「玉手箱」を開けてしまう。中から出た白い煙で、「浦島太郎」は現実の世界に貼り付けられてしまう。嘆いたところで仕方がない。宴の間にも時は流れ続け、人を通り過ぎていくことなどないのだから。
 万博という竜宮城が消え去った後、どれだけの人々が玉手箱を開けてしまうだろう。玉手箱を開けることなく、良い思い出として万博の日々を心の片隅にとどめておけるならば、その人にとっては素晴らしき万博となるだろうが、万一玉手箱を開けてしまった人には、きっと心のケアが必要になるだろう。万博協会も、大成功と浮かれることなく、閉幕後の対策にまで注意を向けて欲しいものだ。
 
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