goo

Happy Birthday!

 9月21日は、故松田優作の誕生日である。彼は1949年の9月21日に山口県下関市で生まれた。もし生きていれば、今年で56歳だったはずだ。彼が生きていたなら、日本の映画界もかなり違っていただろうと残念に思うし、年老いた彼の演技というものも見たかったのにと、今さらながら、早すぎだ死が悔やまれる。
 亡くなったのが1989年だから、17回忌を記念して「17th memorial THE 優作 BOX」なるものが、発売されることとなった。「暴力教室」「俺達に墓はない」「ヨコハマBJブルース」「それから」「ア・ホーマンス」を収録した、いわゆるDVDボックスである。私の最も好きな作品である「それから」が今回初めてDVD化されるのは、待望久しかっただけにとても嬉しい。さらには、「ヨコハマBJブルース」は一度も見たことがない作品だけに、発売日が今から待ち遠しい。
 
 だが、Happy Birthday ! と本当に私がお祝いを言いたいのは、実は息子に対してなのだ。彼は今日で17歳になった。思い返せば、17年前の今日、陣痛の始まった妻を車で病院まで連れて行き、分娩室の前で見送ったほんの暫く後に、妻の言葉を借りれば、スッポンと彼はこの世に生まれてきた。私にとって、夢にまで見た男の子が生まれたことで、喜び勇んで誰からも愛されるような素敵な名前を付けてやろうと、あれこれ思案した。その結果、「三四郎」が字画やらなにやらもうまくいくから、これにしようと意を決して、妻に相談したところ、反応が芳しくない。そのときまだ3歳に満たなかった娘は「サンシロウクン、サンシロウクン」と気に入ったようだったが、私の両親も「姿三四郎」を連想するらしく、反対だった。四面楚歌に陥った私は泣く泣く断念したが、次には、夏目漱石が駄目なら、森鴎外だとばかりに、鴎外ゆかりの名前を提案して、やっと周りの承諾を得た。その名をここで公表するわけにはいかないが、男らしくもある素敵な名前だと、私は自讃している。もっとも、息子本人が気に入っているのかどうかは分からないが、不満を耳にしたことはないから、まあまあの選択だったんだろう。
 保育園に入るまでは、いつも私と一緒にいた。その頃は、週に3回は本屋に通っていたので、そこが彼の遊び場だった。本屋で走り回って奇声を発する子供が時々いるが、まさに息子がそんな子供だった。今思えば何たる親子だと、恥ずかしくもなるが、幼い時から本に親しむ習慣を身につけさせたいという思いで、そんな愚行も許してしまっていた。そんな私の思いとは裏腹に、息子は読書よりもTVゲームを愛する少年になってしまった。読む本といえば、ゲームの攻略本ばかりという時期が長く続いたが、最近になって、少しは読書欲が芽生えてきたのか、この間も、太宰治の「人間失格」の文庫本を手にしていた。私が、『「人間合格」てのもあるぞ』とからかってやったら、『知ってるよ』と答えたのには驚いた。本当かなあ、と半信半疑ながら、これも成長の証だと素直に受け止めることにした。
 私の17歳の時は、体を壊して高校にも半分くらいしか行かなかったが、息子は健康そのものである。部活動など、中学からまともにやっていない男だが、最近は学校で友人達とバスケットを遅くまでやるようになり、体つきもかなりがっちりしてきた。もともと私に似て、背は高い方だから、筋肉が付けば格好よくなるだろうと思う。顔は、親バカで言うのではなく、かなりいけてると思うので、これでもう少し大人の会話ができるようになれば、女の子がほかっておかないぞと、そんな日が来るのを心待ちにしている。だが、もう少し時間がかかりそうだ。「ゆっくりと大人になりつつある」と、17歳になった息子を見て、それもいいかなと実感する。
 あらためて、Happy Birthday !!
コメント ( 55 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする