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えっ、恋愛論?(2)

 私の友人の新聞記者は、妻子持ちの男であるが、現在京都で単身赴任生活をしている。というよりも、妻子と別居していると言った方が正確であろう。それはもう10年以上も続いているが、その原因はプライバシーにかかわることなので、ここでは詳細を記さない。とりあえずは、友人の女性問題がもとで、とだけ言っておく。ただし、現在はそんな女性とは縁が切れたようで、独身生活(?)を謳歌している。傍目から見れば、自由気ままで羨ましい生活のようにも見えるが、不規則な生活と不摂生がたたってか、彼の体は、大学時代の面影などまるで無いほど膨れ上がってしまい、ある意味痛々しい。私などにはそんな生活はとてもできないだろうと思うが、彼自身は飄々と毎日を過ごしているようだ。
 先日の同窓会で雑談するうちに、彼の別居生活に話が及び、1人の先輩が彼にその理由を訊ねられた。彼ら夫妻は、『野草を食べる会』で知り合った仲であり、二人の熱愛ぶりは、会員なら誰も知らない者はないほどだったので、先輩が彼らの現状を意外に思われるのも当然であろう。その問いに、彼は『愛は冷めますから』と、きっぱり答えた。横にいた私は『へーっ、愛って冷めるのかあ』と思わず叫んでしまった。『そりゃあ、冷めるさ。当たり前だろ』と彼は平然と言ってのけた。『冷めちゃ、しょうがないわな』と先輩は納得されたが、私には釈然としないものが残った。『愛は冷めないよな、冷めるのは愛じゃないよな』と、まるで愛を叫ぶ男のようにぶつぶつ繰り返していた。
 京都から家に戻り、友人の話を妻にして、『愛は冷めるらしいよ』と言ったところ、『当たり前じゃん、そんなもん冷めるに決まってる』『えっ、冷めるの?』と驚く私に、『バカじゃない。若い頃と同じじゃないわよ、熱は冷めるものだし』と遠慮しない。『なるほどね。だけど、形は変わっても深まる愛ってのがあってもいいだろ、俺達みたいにさ』とさりげなく私が言うと、『う~~ん、そうかもね』と不承不承同意した。常々私に悪態をつくことだけが喜びのような彼女にしては、まあ上出来なほうの答えだろう。
 
 「愛は形を変えながらも深化する」、彼女との会話で1つの結論が見えたような気がする。18のときから付き合い始めてかれこれ30年近くなる私達が、ずっと変わらぬ愛情を持ち続けてきたと言えば嘘になる。若い頃の熱情が互いにあるはずもなく、かといって涸れ尽くしてしまったとも言えないだろう。互いの心の間をふわふわと漂いながら、付かず離れず泳ぎ続けているような、不思議な浮遊感覚、私達二人をつなぐ思いは、そんなものだろう。
 互いをじっと見詰め合うのはもう照れくさくてとてもできない。かと言って、同じ方向を向いて、手を取り合って生きていくには我が強すぎる。2つのベクトルの和が、平行四辺形の対角線となるように、互いに別々の方向を向いていながら、結局は同じ方向に向かって生きていく、そんな関係になってきた。これが成熟した男女関係と呼べるかどうか分からないが、私達が30年近く掛かって築き上げてきたこの関係が、今の私にとっては妙に心地がよく、気に入っている。まあ、妻がどう思っているかは分からないが。
 
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