JA5DBE の Coffee Break

DXの話、製作記事、etc. ・・・ 気の向くままにまかせて掲載しています。

昭和50年当時の 50W 移動局 JA5DBE 無線検査簿

2023年03月03日 | 昔のJA5DBE

 昭和 50年 6月当時 HF 10W ⇒ HF 50W 「 移動局 」の変更検査を受けるため、車自体を松山市の " 四国電波監理局 " ( 現 四国総合通信局 ) へ持ち込み、車載機である YAESU FT-100 で移動局 JA5DBE 50W 出力 の正式免許を受けた時の「無線検査簿」です。

 しばらく行方不明になっていましたが、現在、実家の整理を行っており、その際に発見したものです。

 

 

 

 当時の無煙局免許状は、申請書の一部がそのまま免許書になるため、周波数帯、出力、電波型式 以外は自筆の手書きによるもので、自分自身の文字の ”下手さ" に辟易したものでした。

 

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2003 年 DX を開始した頃から 1kW化まで

2015年12月06日 | 昔のJA5DBE

 無線局 JA5DBE を再開してからおよそ 1年後 DX 局との QSO を目指して 2003年 4月にタワーを建設。
 3ele トライバンダー + 50MHz 5ele を上げて運用を開始した。  

 

 メイントランシーバーは YAESU FT-1000MP Mark Ⅴ、出力ベアフット 200W。
 Eu 方面との QSO を楽しんでいたが、DX 局との QSO には 1kW出力が必要と思い、2013年12月期の再チャレンジで1アマ試験に合格。

 

 
 リニアアンプはローカル局から譲り受けた TL-922 (1kW仕様) を使用。
 譲り受けた TL-922は 14MHz、21MHz をWork バンド用にチューニングしてあったので入力コイルを再調整。
 完全に元のノーマル状態に戻して 2014年 4月落成試験を受けた。

 

 その後、2007年 12月 DXCC ( Mix 100 ) アワードを受領し。
 エンドーズメントを重ね 2015年 12月 DXCC (Mix 300) に至る。

 

        写真は 2015年 12月現在のシャックの模様

 

 

 

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100W 固定局開局

2014年12月19日 | 昔のJA5DBE

 昭和 58 年 (1983年) 100W 出力の免許を得るべく、TS-820S (KENWOOD) を購入し、移動局 (JA5DBE 50W) とは別に固定局 (JA5DBE) を新設。

 四国電波監理局から検査官を迎え落成検査を受け、昭和58年7月8日正式に固定局 JA5DBE (100W出力) 免許。

 当時のシャックの模様。

 空中線はCD社の 21MHz モノバンドの 3 ele ヤギアンテナをルーフタワーに載せ、CW で ヨーロッパ を中心にオーバーシー QSO に熱中していました。

 しかしながら、この数年後、転勤で単身赴任となったので、空中線を降ろしてしまい、U/V FM のみモービル運用となってしまいます。

 その後自宅も現在住んでいるところに QSY しましたが、仕事が忙しくて HF の再開には至らず、平成 13 年、現役リタイアを機会に トランシーバを TS-820S から FT-1000MP Mark5 へ更改して HF 運用を再開。タワーも建て、SSTV の運用にのめり込みます。

 SSTV モードでの海外局との QSO ではパワー不足を実感。 1 アマ資格の取得を経て 1kW 固定局免許も取得し現在に至っています。

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HF移動局開局 【 昭和50年 (1975年) 】

2014年12月15日 | 昔のJA5DBE

 昭和 50 年 (1975年) に FT-100 (YAESU) トランシーバーの中古を入手し、この無線機で HF 50W 移動局を開局しました。

 当時、10W を超える変更申請は電波監理局の変更検査を受ける必要があり、FT-100 を四国電波監理局まで直接持ち込んで変更検査を受けました。
 移動局としての申請なので、変更検査は持ち込みで可という訳で、検査は各バンドの出力と周波数精度の確認で簡単に終わったように記憶しています。
 QSO の確認では手持ちのアンテナの関係から 21MHz / SSB で電波を出しましたが、21MHz がオープンしてなく、アンテナもセンターローディングタイプのホイップだったので QSO もできず、おそまつな結果ながら変更検査は「合格」。まだ、まだ、おおらかな時代でした。Hi.

 下の写真は免許後、昭和52年 (1977年) 頃のシャックの写真で、FT-100 と当時発売開始間もない 144MHz FM トランシーバーの TR-7500 も一緒に写っています。

 TR-7500 の下のトランシーバーは IC-201 (ICOM) で、SSB 10W 出力ながら、当時 7ele × 2 スタックアンテナで、九州の福岡、長崎の局とも QSO でき 2m / SSB モードを楽しんでいました。

 

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50MHz / AM から 144MHz / FM へ移行

2014年12月10日 | 昔のJA5DBE

 1970年代になってくると、地元の宇和島でも 150MH 帯タクシー機のジャンクを改造して 144MHz / FM に各局が出始めてきたが、業務用の機械なので水晶発振子が 1 波しか実装できなかったが、運用する局も少なく、受信感度も悪かったので混信することなく使うことができた。

 そうこうしている内に 144MHz / FM 機がアマチュア無線機器メーカーから販売され、最初に購入したのはトリオの TR-2200 で出力1W、電源は乾電池 (単三) なので、どこにでも持っていくことができた。

 このトランシーバーは水晶発振子が 6ch 実装できるのだが、運用する局も増えてきて大分の局からの信号と混信することも多く、6ch ⇒ 12ch へ自前で改造して使っていた。
 ところが、改造により発振回路の配線が少し変わったためか、スプリアスがかなりのレベルで出ていたようで某公共機関の車載無線に混信を与えていることが判明。担当者が私の家まで訪ねてきて、VHF帯の業務無線にあなたの声が混信する、話の内容で名前・住所が判ったので訪ねてきたとの話である。当時はまだのんびりしていた時代だったのか?直ちに停波しただけで、電波監理局へ通報されることもなく済んだ。この改造した TR-2200 は CQ 誌の「ハム交換室」経由で急ぎ処分したが、行った先から特段クレームも無く、そこでは混信問題は起きなかったようであります。

 

 こちらが当時の免許状で 50MHz と 144MHz の 2 バンドだけでシンプルなもので、処分した TR-2200 の後は 井上電機( 現 iCOM ) の IC-20 を購入し、当時乗っていた軽四へ積み込んでモービル運用を開始。

 この IC-20 は水晶式 12ch だったので、すぐチャンネル不足となってこの後 144MHz / FM 機を次々と更改して行くことになる。

 

 

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