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日本裁判官ネットワークブログ

日本裁判官ネットワークのブログです。
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振り込め詐欺の被害にあわれた方に-犯罪被害財産支給手続

2011年01月21日 | くまちん
 犯罪被害財産支給手続という制度があります。ものすごく平たく言えば,暴力団などの組織犯罪で集まったお金について,刑事裁判でこれを取り上げる決定(没収・追徴)をし,その事件の被害者に名乗り出てもらって,そのお金を分配するものです。
 旭川地裁で,一昨年大規模な振り込め詐欺集団の裁判があり,1400万円余りのお金が没収・追徴されています。旭川地方検察庁で,1月7日に,これについての犯罪財産支給手続開始決定がなされました。被害者の方が,振り込みの控えなどの資料をつけて同検察庁に申請すれば,被害額の一部でも戻ってくるかもしれません。
北海道の片田舎の事件とバカにするなかれ。たまたま旭川の警察が摘発したので旭川で裁判が行われただけで,詐欺グループの本拠は東京で,全国に約3500名の被害者がおられるそうです。各地に金融業者風の葉書を発送して,電話を架けてきた者に接触して振り込みをさせる手口です。
 せっかくの機会ですので,上記のような被害にあわれた方は,自分の振り込んだ先の口座が添付の公告の中にないかどうか探してみてはいかがでしょうか。申請の手続については,ホームページの中に詳しく解説されています。分からないことは,弁護士に相談されるか,旭川地方検察庁の被害回復給付金担当(0166-46-6677)までお尋ね下さい。

旭川地検のホームページ
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/asahikawa/asahikawa.shtml
犯罪被害財産支給手続開始決定公告
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/asahikawa/oshirase/18311200610310/722_kaishiketteikoukoku.pdf

(くまちん)

近藤崇晴最高裁判事のご逝去を悼む

2010年11月23日 | くまちん
 近藤最高裁判事の最近のご活躍,特に刑事関係での鋭いご意見には敬意を払っていただけに,定年までまだ4年を残した突然の訃報は,残念でならない。
 他に追悼文を書くのに適任の人はいると思われるのだが,私なりの感慨を書いてみる。
 私は,41期で判事補に任官した。就任直後に熱海で研修があり,新人判事補が一堂に会した。席上に「○○裁判官」という札が並んでいて,「おお,こんなに裁判官がいるのか」と思ってしまい,その中に自分が含まれているという自覚と実感が伴わない暢気な新任判事補であった。
 当時,近藤崇晴さんは,司法研修所の事務局長をしておられ,この研修まで直接にお話しするような機会はなかったが,酒の席で言われた一言が未だに心に残っている。「くまちん君には,仕事の面では期待してないから。君は裁判所を明るくするために採ったのだから」という一言である。当時は,「そんなに二回試験の成績が悪かったのか」とガックリ来たのだが(後年情報開示請求したらやっぱり悪かった。笑),今思えば,従来ならはじかれたかもしれない異色の人材も入れて,裁判所を少しでも多様で明るい雰囲気にしようと,本気で考えておられたのだろう。その期待に応える間もなく,わずか8年で辞めてしまったのは,大変申し訳ないことをしたと今更ながら思う。
 近藤さんを中心とする第三小法廷の活躍で,刑事弁護人に希望の光が差したのは紛れもない事実である(一例がこの判決http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20101116110859.pdf)。近藤さんの遺志を継いで,日本の刑事裁判を国民に信頼されるものとしていく有為の人材が続々と輩出されることを願う。
 PS 最高裁の紹介ページからは,激務の合間を縫って,内田樹の「街場のメディア論」などをチェックされていたことがうかがわれる。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/kondou.html
(くまちん)

「モリのアサガオ」と「塀の中の中学校」

2010年10月06日 | くまちん
 先日,国士舘大学で開催された「判決後の被告の人生」というシンポジウムに参加してきた。裁判員裁判時代に,裁判員の皆さんに適切な量刑判断をしていただくには,刑務所や保護観察制度などの実情を知っていただく必要がある,という趣旨で開催されたもので,「終身刑の死角」(洋泉社新書y)などで著名な河合幹雄氏が実行委員長を務められていた。その内容については後日に譲り,このシンポの問題意識にもつながる二つのテレビ番組を紹介しておく。
 一つは,テレビ東京が10年ぶりにプライムタイムで現代のドラマを放映するという「モリのアサガオ」(10月18日開始)で,郷田マモラ氏のコミックを原作にし,刑務官と死刑囚の交流を描くという内容で,多彩な出演陣による重厚な作品が期待できる。
 http://www.tv-tokyo.co.jp/moriasa/
 テレビ東京では,「モリのアサガオ」の放映に先駆け,10月11日夜10時から,「実録 刑務官と死刑囚」という番組が放送される。元刑務官の証言を基に,死刑囚との間の様々なエピソードが紹介されるとのこと。テレビライフ誌によると「長い拘置所勤務の支えになったある死刑囚の言葉や,死刑執行を前にした死刑囚の意外な行動などを再現ドラマを交えて送る。また,死刑が行われる手順など死刑制度の現実を伝える」という内容だそうである。
 そろそろ死刑の適用が正面から議論される裁判員裁判が実施される時期に入っている。我がこととして受け止めていただく機会にしていただければと思う。
 同じ11日には,TBSでドラマ「塀の中の中学校」が放映される。こちらも渡辺謙・大滝秀治・すまけいらの受刑囚(生徒)に,オダギリジョーの教官という豪華な顔ぶれである。 http://www.tbs.co.jp/hei-no-naka/
 長野県の松本少年刑務所の中に設置されている,日本で唯一の,義務教育を終えていない受刑者のための中学校分校を舞台にした作品である。渡辺謙さん演じる登場人物が字を覚えようとする動機が悲しい。
 頭書の国士舘大学のシンポジウムで,元保護観察官の生島教授(福島大学)が,障害や高齢・学歴など,社会統合への複数のハードルを抱える「併存障害」犯罪者の問題を取り上げていた。社会復帰に成功した人は,社会に「居場所」があると感じさせてくれた保護司さん等との出会いがあった人が多数で,自己責任とは決めつけがたいと,「排除型社会への危惧」を述べられていた。
 なかなか世知辛い時代であるが,自分も誰かの人生に向き合って,何かをしてあげることができないか,と感じていただければ幸いである。
(くまちん)

司法シンポジウムのご案内

2010年09月09日 | くまちん
 私のこのブログへの初投稿は,2年前の裁判員裁判に関する日弁連司法シンポジウムのご紹介だったと記憶しています。その2年に1回の日弁連司法シンポジウムが9月11日土曜日に霞ヶ関の弁護士会館で開催されます。
 http://www.nichibenren.or.jp/ja/event/data/100911_pam.pdf
 今回は法曹養成を中心に,民事・行政などの分科会も開かれます。
 9日の司法試験合格発表(当初計画では今年3000人の合格者が出るはずが,2074人にとどまりました),10日の村木被告人に対する判決など,まさに司法激動の時の中で開かれるシンポジウムです。
 私も遠路駆けつけるつもりでいます。法曹養成のあり方についての活発な議論が聞けることを期待しています。
 スタートは午前10時半と早いので,ご注意下さい。
(くまちん)

外国人被告人の事件について思うこと

2010年08月01日 | くまちん
 裁判員裁判を機に,刑事裁判における通訳の正確性の問題がにわかにクローズアップされ始めた。通訳の仕方により,言葉のニュアンスは大きく異なり,そのことが裁判に影響する危険性は,裁判員裁判で公判中心主義の審理になった場合,一層大きい。遅ればせながら,裁判所の中にも問題意識が生じ始めたことは,一歩前進ととらえたい。
 さて,この話題に関連して,私がふと思い出したのは,裁判官時代に民間企業へ一時研修に行っていた時代に見聞した話である。その会社のある部門では,フィリピン人の方と接触する機会が多かったのだが,注意事項として以下のようなことを言われた。日本人は同僚や部下を励ます際に肩を叩くことが多いが,フィリピン人の方にそのような行為は絶対にしてはいけない,なぜなら,フィリピンでは人の肩を叩くのは相手を侮辱する行為だから,というのである。
 なぜこの話を思い出したかというと,外国人被告事件においては,言葉のニュアンスの正確性もさることながら,その国特有の文化や習慣の問題を見落とすと,大きく判断を誤ることも起こりかねない。
 例えば,フィリピン人の被告人が「いきなり肩を叩かれたので,頭に来て犯行に及んだ」と述べた場合に,上の様な背景文化・習慣の話を知らなければ,我々の被告人供述の受け取り方は大きく変わりはしないだろうか。
 もちろんそんなことは,通訳の問題というよりも,弁護人が調査して主張すべきことではあるのだろうが,弁護人のできることには限界がある。そういう意味で,外国人事件(特に重大事件)については,弁護側で通訳の正確性をチェックするとともに文化背景に遡った助言ができるようなスタッフが必須であると思う。裁判所にはそうした補助者が法廷に同席する必要性を理解して貰い(現状では否定的な裁判体が多いようであるが,検察官の横に検察事務官が殆ど常に補助者としていることとの均衡も考えて欲しい。),法テラスあたりにそうした補助者のネットワークを形成していただけるとありがたいのだが。

余談 昔,酒の席とはいえ,「外国人の量刑は日本人に比べてはるかに重くする。三国人には目にもの見せてやる。」と宣われた刑事裁判官がおられた。現在は退官されて某ロースクールで教鞭を執っておられるが,さぞかし国際人権感覚豊かな講義をしておられるのであろう。
(くまちん)

地域住民の裁判を受ける権利の充実を目指して~司法基盤の整備は進んでいるか~

2010年07月21日 | くまちん

 明後日(7月23日金曜日)、北海道札幌市中島公園にある札幌パークホテルにおいて、今年度の北海道弁護士会連合会定期大会が開催されるのですが,これを記念して、同日午前9時から同11時30分まで、「地域住民の裁判を受ける権利の充実を目指して~司法基盤の整備は進んでいるか~」と題するシンポジウムが開催されます。
北海道内各地に裁判所の支部はありますが、月に3日程度しか裁判官がいない支部が多く,代理人弁護士が期日を確保するのも困難な状況があり,特に長時間を要する調停の受任をためらう状況さえあります。また,そうした支部では破産管財事件や労働審判事件を取り扱わないため,債権者集会や労働審判期日のために遠距離にある本庁への出廷を当事者が余儀なくされ(例えば,旭川-稚内間は約250キロ,特急で4時間弱),労働審判の申立てを事実上断念せざるを得ない状況さえ生まれかねません。道内の弁護士過疎は着実に解消されつつありますが,裁判所・検察庁は,司法制度改革の流れと逆行するかのように,近年ますます本庁に機能を集中する方向にシフトしつつあります。裁判所・検察庁の支部機能の充実、そのための裁判官・検察官をはじめとする専門職の増員なくして、司法過疎地域の住民に「裁判を受ける権利」を実質的に保障することは困難です。
 このシンポジウムは、昨年度の定期大会で採択された「裁判所支部の機能の充実を求める決議」を踏まえて、司法過疎解消に向けたこれまでの弁護士・弁護士会の取組みを検証するとともに、裁判所・検察庁の支部機能の充実に焦点を当てた討論を予定しています。パネリストは,このテーマにふさわしい以下の豪華なメンバーで,充実した議論が期待できます。
 定期大会自体は会員限定ですが,シンポは市民の皆様の参加を歓迎しておりますので,お時間のある方は是非ご参加下さい。

《パネリストの顔ぶれ》

○ 横 山 巌(よこやま・いわお)氏

裁判官歴19年の間に、松江地家裁浜田・益田支部長、山形地家裁鶴岡支部長を歴任し、裁判所の支部機能を充実させるべきとの思いが強い。現在は少年事件に精力的に取り組み、昨年には旭川での付添人交流集会で講師を務めた。大阪弁護士会会員(司法修習41期)。

○ 落 合 洋 司(おちあい・ようじ)氏

検察官歴11年の間に、静岡や千葉、徳島など遠隔地の支部を抱える地検にも勤務し、検察官不足の実情を踏まえた率直な提言を期待できる。ヤフー株式会社の社内弁護士をへて、現在は都内に法律事務所を構える。東京弁護士会会員(司法修習41期)、東海大法科大学院特任教授。ブロガーとしても著名。

○ 西 澤 雄 一(にしざわ・ゆういち)氏

中標津町にひまわり基金法律事務所を招致した当時の町長。周辺3町長と連名で、釧路地・家裁所長に対し、釧路家裁標津出張所・標津簡裁の機能充実を求める請願を行ったことも。2年前の道弁連大会記念シンポでも、ビデオレターに登場された。

○ 岡 室 恭 輔(おかむろ・きょうすけ)氏

福岡で勤務弁護士を数年間務めた後、倶知安ひまわり基金法律事務所の2代目所長として赴任し、現在に至る。札幌弁護士会会員(司法修習58期)。

○ 佐 藤 真 吾(さとう・しんご)氏

道弁連すずらん基金法律事務所を経て、稚内ひまわり基金法律事務所の初代所長として赴任し、現在に至る。旭川弁護士会会員(司法修習58期)。


「死刑裁判の現場」と「峠の落し文」

2010年06月09日 | くまちん
 録画していたETV特集「死刑裁判の現場」を一週間遅れで見た。このたびギャラクシー賞のテレビ部門大賞を受賞した「死刑囚永山則夫」と同じ堀川惠子ディレクターによる力作である。高検検事として実際の死刑執行に立ち会われた土本武司氏による死刑執行現場の再現は,裁判員裁判時代の死刑に関する情報開示として,改めて感慨深いものがあり,また長谷川死刑囚の手紙の文面には深い感銘を受けた。
 私がこの番組で衝撃を受けたのは,一審の東京地裁八王子支部であっさり死刑判決を言い渡した酷薄な裁判長であるかのように描かれているのが,樋口和博判事(故人)であったことだ。「死人に口なし」のままなのは酷なように思われるので,樋口和博裁判官の訴訟指揮や判断に疑念を持たれた方は,彼の「峠の落し文」という本を是非読んで欲しい。現在入手困難であるが,その一部を当ネットワークのホームページで読むことができる。決して番組から安直に想像されるような方ではないことはご理解いただきたい。
 http://www.j-j-n.com/coffee/s_touge/
 この中に「言葉の重さ」
(http://www.j-j-n.com/coffee/s_touge/touge05_041201.html)
という一文があるのだが,ひょっとすると番組で取り上げた事件は,この文章の末尾で触れられている事件かもしれない。一審判決は11月で,死刑囚の下の名前はT,控訴を担当したのは小林(K)弁護士だから。小林弁護士は,番組中の随筆の画面を静止画にして読まれると分かるが,東京高裁を最後に退官された元裁判官なので,樋口氏に「最後の葉書」を見せる程度の接触があってもおかしくはない。この文章をお読みいただくだけでも,番組を受け止める側として,より深みのある感慨が沸いてくると思われる。
 左陪席(通常は主任)裁判官だった泉山さんも,インタビューでは他人事のように冷たい印象を与えたかもしれないが,裁判官退官後,東北地方の弁護士過疎解消のために設立された「やまびこ法律事務所」の所長をかって出られ,志ある若手弁護士の指導に情熱を注いでおられる方である。 http://www.yamabiko-law.jp/lawyers.php
 弁護人として印象深いのは,国選弁護人であった小林弁護士が,長谷川被告人の母親が持ってきた「文明堂の1000円のカステラ」を突き返すシーンである。もちろん弁護士倫理上は間違いのない態度なのだが,番組で紹介された随筆で小林弁護士が述懐しているように,弁護人としては常に対処に困る悩ましい場面である。それこそ「言葉の重さ」を考え,相手の「心」を傷つけない,「物」は返しても相手の「心」を受け止める,誠意ある態度を心がけたいと戒めている。
(くまちん)

マスコミ公開の裁判員制度意見交換会

2010年05月22日 | くまちん
 裁判員制度施行一周年の5月21日を期して,東京・大阪・名古屋高裁(但し,大阪は20日開催)で,裁判員裁判を担当した裁判官の意見交換会が行われた。それだけなら何と言うこともないが,画期的なのはこれが報道機関に公開される形で行われたことだ。中でも,大阪高裁管内の意見交換会は,以下の記事から見ても,「ほう,裁判官からそう言う発言が出される時代が来たか」と思わされ,この記事を読んだだけでも,裁判員制度をより充実させていきたいと改めて思わされる。
 記事中で笹野裁判官が触れておられる「付箋方式」だが,判例時報の2052号(昨年11月11日号)で「裁判員裁判とコミュニケーション研究会」が提唱しているもので,要するに裁判員に意見を大型の付箋に書いてもらい,それを評議室のホワイトボードに貼りつけてから議論を進めるというものだ。なぜそんなことをするかというと,ただ口頭で議論するだけだと,どうしても裁判員の「発言力」に差があることは否定できず,一部の裁判員同士,一部の裁判員と裁判官の議論で進展してしまいがちになる。そうなると,表向きは盛り上げっているようでも,「評議の質」が向上しない。全員の議論がホワイトボードに並べられると,裁判員も今何をどう議論しているのかわかりやすい。判例時報の当該号の16ページに「付箋方式」での量刑評議の模擬実践例の写真が載っている。東京方面でも一部の裁判官が実践しておられるようである。
 まず,人の意見を聞く前に,自分の意見を書いてもらうと言うことは,緊張している裁判員にとって頭の整理にもなり,初対面の人の前でいきなり口で意見を言わされる緊張感を和らげる側面もある。手前味噌で恐縮だが,日本裁判官ネットワークが数年前に立命館大学で行った模擬裁判では,まず裁判員の方にアンケート用紙様のものを配って意見を書いていただいてから,それを基に評議するという試みを行った。そうした工夫の延長線上にこのようなノウハウが生み出されたことは感慨深い。
 さて,大阪の裁判官がどんな小ネタをしこんだのか,機会があれば是非聴いてみたい。

 「小ネタ仕込む…裁判員和ますのに裁判官も工夫」(5月20日読売新聞より)
 施行から1年を迎えた裁判員制度を巡り、担当する刑事裁判官が感想や工夫を述べ合う意見交換会が20日、大阪高裁で開かれ、報道機関に公開された。
 「裁判官も大きく成長できる」と評価する一方で、「負担を減らすため、1事件の抽出人数を絞り込むべきだ」と見直しを求める声もあった。
 大阪、京都、大津の3地裁で裁判員裁判を担当する裁判長4人と大阪地裁の若手裁判官7人が参加した。
 この1年を振り返り、大阪地裁の中里智美裁判長(50)は「これまでの裁判に比べて手間はかかるが、必要な手間だと思う。当然と思っていたことについて、原点に立ち返ることが多い」と感想を述べた。同地裁の安永武央裁判官(39)も「裁判員との熱心な議論で、裁判官も大きな成長ができる。(従来の)裁判官裁判でついた垢(あか)が落ちる感じだ」と絶賛した。
 裁判員の緊張をほぐす工夫も披露され、若手裁判官は「和気あいあいの雰囲気をつくるため、話題になる小ネタを事前に仕込んでいる」「裁判官の顔写真付きのプロフィルカードを作って配っている」などと明かした。裁判長からも「『審理中にトイレに行きたくなったら、いつでもメモを回して』と、開廷前に声をかけるだけでも効果はある」との意見が出た。
 若手裁判官から、発言が少ない裁判員の意見をどう引き出せばいいかを尋ねられた大阪地裁の笹野明義裁判長(57)は、「裁判員全員に、付せんに意見を書いてもらい、張り出すようにしている」などと述べた。
 大阪高裁によると、管内の6地裁2支部では、制度施行から今年3月末までに、対象事件で334人が起訴され、90人に判決が言い渡された。
(くまちん)

「こころの遺伝子」-西原理恵子編

2010年04月27日 | くまちん
 西原理恵子ファンである。「毎日かあさん」でブレイクし,にわかに「いいひと」化しているが,「黒サイバラ」時代からのファンである。
 個人的には「営業ものがたり」という単行本に収められた「うつくしいのはら」という短編が最高傑作だと思う(「営業ものがたり」自体は,サイバラ免疫のない人には,いきなりはつらいかもしれないので,「上京ものがたり」「女の子ものがたり」から慣らし運転した方がよいかもしれない)。それこそ,「むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく」描いた作品だと思う。西原をして,このマンガを書かせしめたのは,間違いなく元夫の戦場カメラマン鴨志田穣氏の存在である。
 昨夜(26日)はNHK「こころの遺伝子」に西原自身が出演して,鴨志田氏との出会いと別れを語り,西田さんを泣かせていた(「毎日かあさん」では4巻の書き下ろし部分)。偉大な師・橋田信介氏に戦場カメラマンになりきれないと指摘された鴨志田氏だが,橋田氏が命を落としたことが鴨志田氏の短い命の燃焼につながっていく。橋田氏が鴨志田氏に指示を出しながら撮影した映像と肉声の生々しさ。
 見逃した方は,本日(27日)夜中の再放送(近畿・北海道除く)か,5月3日のBS2午前11時の再放送を是非ご覧いただきたい。
 文部科学省,「うつくしいのはら」を教科書に載せなさい。
(くまちん)

「新しい時代の刑事裁判」

2010年04月20日 | くまちん
 原田國男判事の退官記念論文集「新しい時代の刑事裁判」(判例タイムズ社)が刊行されている。刑事裁判の第一線を担っている裁判官が多く執筆しており,全33本の論文のうち,裁判員制度関係が21本,量刑関係が6本を占めているので,裁判員裁判に関心をお持ちの向きには必須の文献であろう。値段が14000円と高いのが玉にきずであるが,裁判員制度関係の論文のタイトルを見るだけでも,「裁判員裁判における科学的証拠の取調べ」,「裁判員が参加する刑事裁判における精神鑑定の手続」,「責任能力判断の基礎となる考え方」,「裁判員裁判における共犯者判決の取扱い」,「被害者及び被害者遺族の処罰感情と刑事手続上の表出方法」,「裁判員裁判における少年法55条による移送の主張について」,「裁判員との量刑評議の在り方 」と言ったホットな問題が並んでいる。量刑関係では,前田雅英教授が「死刑と無期刑との限界」について書かれている。
 そうした中に,「裁判員裁判と刑事裁判修習」,「司法修習生による評議の傍聴について―裁判員制度の実施を契機として」といった論考も載っている。今まで司法修習生は裁判官同士の合議に事実上参加して意見も言えるのが「特権」でもあり,実践的なトレーニングの場であったのだが,裁判員を交えた評議についてどう修習生を扱うかは実は厄介な問題となる。当初はそもそも参加させないという運用が考えられていたようだが,最近は評議室の中に入れるが「気配を消した」状態で傍聴するらしい。「気配を消す」というのは,裁判員の発言に対してうなずいたり首をかしげたりしても評議に影響を与えかねないからじっとしていろと言うことのようだ。意見を言えないという点では「補充裁判員」も同じだが,「気配を消す」のは相当につらい。
 閑話休題。今年の一月に退官直前の原田さんの講演を聴く機会があった。「裁判員裁判における量刑」というタイトルで,既に「量刑判断の実際」(立花書房)といった本を書いておられる方なので,学術的なお話をされるのであろうと身構えていたが,なかなか実務的で「やさしくふかい」話をしていただき,良い意味で期待を裏切られた。原田さんは,一度法廷で,起訴された事実を認めると言って席に下がった被告人が異様に喉仏を上下させているのを見て,もう一度起訴された事実について確認すると否認に転じたという経験を話され,そのせいもあってか,黙秘権の告知は,たとえ自白事件であっても「本当にやってないのならここで言わないと駄目だよ。控訴審や上告審,再審で言ったって駄目だよ」と言うそうである。この講演を聴いた途端,原田さんのファンになり,積ん読になっていた御著書を紐解こうと思ってまだ果たせずにいる。不勉強で怠惰なファンで申し訳ない。
(くまちん)

名張毒ぶどう酒事件-1961年のニッカリンT

2010年04月10日 | くまちん
 4月8日木曜日のクローズアップ現代は,名張毒ぶどう酒事件を取り上げ,木谷明・元判事も出演され,参考人聴取も含めた可視化の必要性を訴えておられた。事件に関与した裁判官にも取材していたが,「絶対、間違いないという証拠がある事件はむしろ少ない。(犯人である)確率90%が80%に下がっても有罪とする場合もある。」とまで言い切る裁判官がおられることには,いささか呆然とした。
 http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2873
 事件の詳細についてはこちらを
 http://www.enzaiboushi.com/600nabariz/
 何よりも驚くのは,この事件の発生が昭和36年3月であることだ。不肖私は昭和36年2月生。奥西・元被告人(マスコミ的に定着したこの呼び方も変なものだが,「死刑囚」と呼ぶよりはいいと言うことかもしれない。しかし,彼が依然として「確定死刑囚」であることには何の変わりもない。)は,49歳の私が物心つく前から半世紀近く拘束されているのである。
 この事件では,昭和36年当時に使用されていた農薬ニッカリンTに関する鑑定が問題となり,再審弁護団は当時流通していた農薬を入手するのに大いに苦労したそうである。幸い農薬に関するウエブページの掲示板に書き込みをしたところ,入手方法のヒントが得られ,当時の農薬が入手できたとのことである。私もさる再審事件弁護団の末席を汚しているが,やはり科学鑑定には悩まされており,その苦労が分かる。
 各都道府県警察本部には科学捜査研究所という付属機関があり,ここで多くの鑑定がなされる(「科捜研の女」というドラマもある)。もちろん警察の機関が行う鑑定全てに問題があるなどと言うつもりは更々ないが,足利事件のDNA鑑定や,時に報じられる鑑定資料の取り違えのようなことがあると,弁護側からのアクセスや条件設定要望も可能とする公正中立な鑑定機関が望まれるところである。かつて警察関係書の多い出版社から刊行されていた先輩刑事の自慢話には,死亡推定時刻とアリバイが問題となったときに,頼み込んで死亡推定時刻を警察側に有利に幅を持たせてもらってホシを逮捕できたなどという恐ろしい話が堂々と掲載されていた。本来であれば,将来的には法テラスあたりが鑑定機関的機能を果たしたり,少なくとも弁護側での鑑定を受託してくれる機関の紹介や,鑑定費用の援助をしていただきたいところであるが,現状ではその道は遠い。
 そもそも従来の弁護士は,文科系の法学部を出て司法試験に合格したものが大多数で,理科系の知識に疎いことは否めない。法科大学院によって目指した法曹養成制度の一つの目標は,理科系も含めた多様な人材を法曹界に迎え入れ,例えば弁護団の中に科学的鑑定の問題点を的確に突くことができる人材を置けるような状況を作ることだったはずであるが,現在では,そうした志願者が大幅に減少しかねない状況であることが悩ましい。

蛇足 間もなく「Q&A 見てわかるDNA型鑑定」発行:現代人文社 定価3780円(税込)という本が発売される。足利事件の誤鑑定を指摘された日本大学医学部押田茂實教授も編著者になっておられ,科学に疎い刑事弁護人の目から鱗が何枚も落ちる内容となっているそうである。鑑定書に添付されるチャート(グラフのようなもの)の見方も解説され,付録に手技が全てビジュアルにわかるDVDがついているのも嬉しい。このあたりが分からないから,弁護人は反対尋問がしにくいし,尋問もかみ合わないのである。
(くまちん)

「死刑の基準」

2010年04月04日 | くまちん
 先日再放送されたETV特集「死刑囚永山則夫」のディレクター堀川惠子さんが,「死刑の基準」(日本評論社)という本を出されている。再放送の後に読了したが,番組をご覧になって永山事件に関心を持たれた方には是非手に取っていただきたい。若い法律家の方々にも読んでいただきたい。
 1時間半のドキュメンタリー番組というのは,テレビ的には決して短いものではない。しかし,番組の主旋律となった永山死刑囚の元妻和美さんに関しても1時間半では伝えきれなかったエピソードが一杯あることに,この本で驚かれるだろう。テレビドキュメンタリーという表現形式の難しさも感じさせられる。あの番組を作るために膨大な永山死刑囚の書簡に全て目を通され,色んな方に会われた堀川さんの努力にも頭が下がる。
 この本で注目されるのは,番組ではわずかにしか触れられていないこの事件に関与した元裁判官たちに対して,堀川さんが綿密に取材されていることであり,また,元裁判官側も取材に応じておられることである。
 高裁無期懲役判決の船田三雄裁判長について,当初弁護人からかつてチッソ川本事件で「弁護人抜き裁判」を強行したタカ派裁判官として警戒されていたこと(「弁護人抜き裁判って何?」というそこのお若い法律家の方,是非読みなさい),若い時期に経験した二つの事件から死刑判断のあり方について疑念を抱いていたこと,永山判決直後に別の事件で永山判決との均衡にも触れながら死刑を言い渡していることなど,世評言われたのとは異なる複雑な実像が描かれている。主任裁判官であった櫛渕理裁判官が,退官後の弁護士人生を引き受け手の乏しい外国人の国選弁護に費やされたこと,何より元妻の和美さんを自宅に招いて対面されていたことに驚かされた。
 私が感銘したのは,一審死刑判決に関与された豊吉彬・元判事,最高裁差戻判決での担当調査官であった稲田輝明・元判事が堀川さんの取材に丁寧に応じておられることである。稲田さんは刑事裁判官から民事裁判官に転じた理由まで,堀川さんに率直に語っている。稲田さんの「9つの量刑因子だけを取り出して,これをもって『永山基準』と呼ぶのは判決の精神を理解しないものではないでしょうか。」という指摘は重く受け止められるべきであろう。
 高裁判決当時,船田判決に激怒したという土本武司・元検事が,今日,死刑についての裁判官の全員一致を要求することを示唆した船田判決を再評価すべきであると考えておられることも注目される。
 惜しむらくは,やや誤植が目につくところが残念である。
(くまちん)

弁護士職務経験者との懇談会

2010年03月30日 | くまちん
 判事補・検事の他職経験制度というものがある。これは,司法制度改革の中で,裁判官や検察官に組織外での多様な経験をさせようという趣旨で,2年間にわたって裁判官・検察官の地位を離れて弁護士になり,「他職経験」をするという制度である。既に制度開始から5年が経過し,4月には第6期生が弁護士になる。
 毎年3月に日弁連で,弁護士職務経験者との懇談会が実施されるのだが,私は,制度発足時にネットのホームページに下記の駄文を書いた関係もあり,できるだけ参加するようにしている。先日も,貴重な経験談を聞くことができた。
 参考 「判事補桜田秀作の他職経験」
http://www.j-j-n.com/su_fu/past2005/050401/050401e.html
 検察官出身者は,弁護人となって,接見や記録閲覧・謄写がどんなに大変かを思い知ったそうである。検察官時代は取り調べる相手は警察が検察庁まで押送してくれるが,弁護士となれば事務所を開けて警察の留置場や拘置所まで会いに行かなければならない。検察官は裁判に出す証拠が整えば,弁護士に閲覧・謄写が可能になったと伝えれば足りるが,弁護士はまた事務所を開けて検察庁まで閲覧に行かなければならない。事務所を開けると他の仕事が進まないので,その時間を惜しんで謄写を頼むと結構コピー代がかかり,全部は法テラスで負担してくれないので枚数が多いと相当自己負担しなければならない。一方,弁護士が証拠書類を出すとなると,事前にコピーして検察官に送っておかなければならない。民事事件では弁護士同士が当たり前にやっている作業だが,同じく「当事者主義」のはずの刑事訴訟では,対等ではない慣行が前提となっている。弁護側で相当分量の証拠書類を出すことになったときには,一度「証拠書類が整いましたから,閲覧・謄写に事務所まで来てください」と検察官に言ってみたい誘惑に駆られたそうである。検察官時代は,自白事件の国選弁護報酬が7,8万円であることについて,「こんな事件でそんなにもらえて」と思っていたが,実際にやってみるとそうは思わなくなったそうである。
 判事補出身者が,依頼者に事務所に来てもらうために送る手紙のタイトルを「呼出状」と書いてしまったというエピソードも披露された。
 検察官出身者からは,「自分はまだ検察庁のカラーに染まっていないと思っていたが,外に出てみると染まっていることが分かった。この経験がなければ自分が検察の考えに染まってしまっていることに気づかなかったかもしれない。」「検察官時代は,普通の会社や銀行の人と会うのは取調官と被疑者・参考人という関係であったため,弁護士をして初めて普通の会社や銀行の人と普通に話ができ,どういうことを考えておられるのか分かった。」,裁判官出身者からは,「裁判官は他の人の法廷を見ることはなく,弁護士としていろんな人の訴訟指揮を見て勉強になった。時には当事者の前でこういうことは口走ってはいけないなと反面教師にしたこともあった。」「弁護士は依頼者に寄り添わなければいけない。最初のころは事務所の人に見方が客観的すぎると言われた。」「全ての裁判官に経験して欲しい。弁護士経験をすると決まったときに,裁判長から『僕が行きたいくらいだ』と言われた。」といった感想が述べられた。彼らが古巣に戻って,大いにこの経験を生かして活躍していただけるとの期待が持て,やはりこの制度を作って良かったと熱い思いが込み上げた(←僕が作ったんじゃないけどね)。
 興味深かったのは,事務所選択の過程が裁判所と検察庁で全く対照的なことである。裁判所ではこの制度は結構周知されていて,弁護士経験を希望すると受入事務所の情報をまとめた電話帳のような冊子が提供され,希望事務所を3つほど書いて出すそうで,それに対し裁判所から「この事務所に面接に行きなさい」とそれぞれの判事補に3事務所が重ならないように内示されるそうである。その中には希望しなかった事務所が入っていることもあるようである。これに対し,検察庁ではこの制度は殆ど周知されておらず,内示を受けて初めて制度を知った人が多いようである。そして,受入事務所についても内示後に全受入事務所のリストを渡され,「好きなところに面接に行きなさい」と言われ,むしろ内定者同士メールで情報交換して自主的に希望を調整して面接に行くそうである。制度周知に熱心ではない検察庁の方が,結果的に事務所選択については自主性を重んじた運用になっているところが興味深い。
 事務所側が給与を負担しなければいけない制度のため,受け入れる事務所側もそれなりの負担があるので,どうしても受入事務所が大規模事務所(渉外・企業法務系か都市型公設事務所)に限られがちである。多くの弁護士の方にこの制度の意義を理解していただき,受入事務所に名乗り出ていただければ幸いである。
(くまちん)


地裁・家裁委員会-市民の声を裁判所運営に

2010年03月10日 | くまちん
 地方裁判所委員会は,裁判所運営に地域の市民の声を反映させるという趣旨で平成15年に設置された制度で,多数の学識経験者委員を任命する諮問機関である。戦後すぐに設立された家庭裁判所委員会にならったものである。家裁委員会の歴史,戦後の活発な活動と無惨なまでの形骸化の軌跡等の詳細については,「自由と正義」平成16年5月号の「『天窓』は開かれたか」という文章をお読みいただきたい。
 私は,この委員会がうまく機能すれば,キャリアシステムの論理を中心として成り立つ「閉ざされた価値システム」としての裁判所の「天窓」を開け放ち,真に地域に根ざした裁判所に生まれ変わる「突破口」になると期待していた。現状ではその期待は相当に裏切られていると言わざるを得ないが,存在し続けることに意義があると考えることにしている。
 各地の委員会の議事概要は,各裁判所のホームページの「○○地方裁判所について」「○○家庭裁判所について」の所をクリックし,更に「委員会」というところをクリックするとご覧いただける。
 先日,日弁連で,各地裁・家裁委員会の学識経験者委員(市民委員)経験者の方のお話を伺う機会があった。以下は元市民委員の方の声である。
 「何のための委員会か分からなかった。『市民の声を聞く』ということについて裁判所はどういうイメージを持っていたのか。我々が述べた意見は聞いただけなのか。誰がいつまでにどのようなことをするのかが明確にされない。」
 「議事概要の公開だけでは活性化しない。どう反映されたかのフィードバックが必要。」
 「裁判所のパンフレットは,制度について前提知識がある人にしか分からない。そのことを指摘して所長は『なるほど』と言ったが,それを最高裁に伝えてどうなったかがわからない。」
 「今でも形骸化しているが,裁判員裁判がテーマになる今はまだまし。裁判員制度が落ち着いたらもっと形骸化するのではないか。」
 「委員長が所長なのはおかしい。現状維持でお茶を濁すことになる。」
 某地裁委員会の片隅を汚している私から見ても,誠にごもっともなご指摘ばかりである。
 そもそも,大多数の委員会の委員長が,裁判所長のままである。地方自治体の審議会等を経験すれば分かるが,諮問する側の長が諮問機関の委員長に平然と就任するような愚挙は他に類を見ないであろう。
 もちろん,調停での当事者の呼び出しを名前でなく番号に変えたとか,カウンターにプライバシー保護のための衝立を設置したとか,一定の改善に結びついた例もある。利用者に対するアンケートを実施している庁も相当数出てきたが,松山家裁のように直截に顧客満足度を尋ねるものは少ない。
http://www.courts.go.jp/matsuyama/about/iinkai/pdf/katei011_a.pdf
(松山家裁の利用者アンケート)
 裁判所側の発想は,どうしても裁判所が伝えたいことを正確に理解して欲しいとか,クレームをつけられないようにという方向に向きがちだが,むしろこの委員会を積極的に利用して地域のニーズを受け止め,裁判所の人的・物的資源の充実への追い風にするというくらいの発想が生まれて欲しいものである。最高裁の一般規則制定諮問委員会での議論では,公聴会的なものが想定されていたのであるから,例えば庁舎設計に利用者の声を活かすような工夫の余地はあると思われる。
 最後にある地裁市民委員の言葉を引用して結びとする。
 「議論は勝負を争うものではない。お互いの価値を理解し合い,違いを認め合って,意識を変えていくことが大事である。」
(くまちん)

ノースカロライナ,そして日本

2010年03月05日 | くまちん
 昨日,日弁連会館で,「冤罪はなぜ繰り返されるのか」という市民集会が開催され,足利事件の菅家氏,布川事件の桜井・杉山氏の報告に続いて,成城大学の指宿信教授による「冤罪をいかに防ぐのか-誤判原因究明の目的と方法」と題する講演がなされた。私はこれをテレビ会議方式で,地元弁護士会館で視聴した(便利な時代になったものだ)。
 指宿教授はホットなニュースとして,アメリカ合衆国ノースカロライナ州の事例を紹介された。ノースカロライナ州では90年代からDNA鑑定による冤罪が相次いで発覚し,これを受けて2002年11月に同州のビバリー・レイク最高裁長官が刑事司法制度調査委員会を設置し,04年に同委員会が独立した誤判調査機関の設置を答申したことを受け,06年8月に誤判調査委員会の設置法が成立した。この誤判調査委員会は,第一段階で専属スタッフによる審査を行った後,第二段階で裁判官三人による審査が行われる。そしてこの委員会の下で,今年2月17日に初めての再審無罪事例が出た。これは,91年発生の殺人事件について,93年に有罪判決を受けていた男性に関し,血液反応に関する鑑定の虚偽性を認めたものである。この無罪の報を受けたレイク元最高裁長官は,「私たちが過ちを犯したのです。だから,過ちを犯したことが分かったときには,できるだけ速やかにそうした過ちを正すことが私たちの責務なのです。」とコメントされたそうである。
 指宿教授からはこの他,イギリスの刑事再審委員会など,世界に広がる第三者機関的な「誤判原因調査委員会」設置の動きが紹介された。
 翻って日本には,誤判救済のために再審請求手続があるが,その扉の重さ・狭さはつとに指摘されているところである(最近の再審開始ラッシュは一時的な現象で,つい一年ほど前まで再審に関しては絶望的な雰囲気が去来していた)。一足飛びに市民参加や第三者委員会とは行かないまでも,証拠開示等の工夫が進められるべきであろう。そうした意味で,昨年12月の狭山事件における血痕や筆跡鑑定に関する証拠開示勧告のニュースは興味深い。折しも担当裁判長は,「判例タイムズ」誌上に「刑事裁判ノート」という連載を執筆中である。現職裁判官が,自らの関与した事件について顕名でコメントする例は,少なくとも近年では珍しいのではないか(判例雑誌の匿名コメントの多くが担当裁判官や担当調査官によるものという噂だが)。名張毒ぶどう酒事件や布川事件にも関わっておられるので,これらにどのようにコメントされるのか注視されるところである。
(くまちん)