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日本裁判官ネットワークブログ

日本裁判官ネットワークのブログです。
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刑事シフト?

2010年02月26日 | くまちん
 最近気になることがある。
 裁判所は予算を取るのが決してうまい役所ではなく,業務処理のための人的物的条件に恵まれているとは言えず,出入り業者である弁護士としては,「もう少し何とかならんのかいな」と思うことが度々ある。したがって,裁判員制度によって,裁判所の重要性が国民に広く認識されるようになれば,それが追い風となって裁判所予算が増加され,人的物的条件が強化されるのではないかと心密かに期待している。
 しかし,過渡期の一時的現象と見るべきなのかもしれないが,裁判員制度の本格実施を迎え,やや気になる状況が見受けられる。裁判所の人的条件が刑事に異常にシフトしてはいないかという点である。
 もちろん,裁判員制度を失敗させるわけにはいかない,裁判員やその候補者に対する接遇に問題があってはいけないという当局の問題意識は分かるのだが,優秀な職員が刑事部に偏り,民事部の,それも通常の訴訟事件を担当する人材がいささか手薄になっている気がしてならない。例えばこれまでは,部総括クラスの単独係には若い書記官をあて,特例がつきたての判事補の単独係にはベテラン書記官を配するといったことが「人事の常識」であったように思うのだが,いつの間にか通常事件担当書記官が若手ばかりになっていたりする。裁判所のOJTとしてはこれでよいのかしらといささか不安になるときがないでもない。
 これが,田舎弁護士の単なる思い過ごしであればいいのだが。
(くまちん)

奥田英朗がすごい 「オリンピックの身代金」

2010年02月21日 | くまちん
 オリンピックたけなわである。オリンピックで思い出したのが,昨年秋に読んだ奥田英朗の「オリンピックの身代金」。読み終わったときには,これは素晴らしいと感動し,その勢いで最新刊の「無理」にも手を伸ばした。「このミステリーがすごい」などの年末恒例の番付でも上位ランクを期待していたのだが,「このミス」はベストテン圏外,「週刊文春」でも8位どまり(「無理」が6位)だったのが残念。
 確かにミステリーという点からすれば,この主人公が何故に「身代金」に固執するかが今ひとつ説得力に欠けるという欠陥は抱えているのだが,しかし,昭和39年のオリンピック目前の東京という「舞台」での群像劇を見事に描ききっている(著者は私より2歳年長の昭和34年生なのだが)。この「舞台」に目が慣れていくうちに,私たちには北京オリンピックの狂騒がフラッシュバックする。あの狂騒を特異なものとして眺めている国の過去にそっくりな情景があったことを思い起こさせられる。
 小林良子という若い女性の登場人物が「ついでに丸井の本店で月賦の支払をする。欲しい物も物色する。若い良子たちに10回もの割賦販売してくれる店は,丸井しかない。」(23頁)という記述に,ハッとさせられる。そうか,「与信」という観念が健全に生きていた時代はこういうものだったのだ。「キャッシング」という「新しい日本語」が知らない間に消費者の感覚を恐ろしくねじ曲げていることに気づかされる。
 「東京と秋田が同じ国とは思えねえべ」(55頁)という絶望的述懐が,集団就職・出稼ぎ・人身売買というこの国につい四十年前まで普通にあった現実とともに突きつけられる。
 そして四十年後に形を変えた地方と東京の絶望的な格差の「現実」を見事な群像劇として描いているのが,最新刊の「無理」である。平成大合併で誕生した「ゆめの市」という名ばかりで実は夢のない東北の町を舞台に,生活保護行政・産業廃棄物行政・悪徳商法・新興宗教などの問題が,生々しいリアリティで描かれている。国道沿いの量販店・ファミレス・パチンコ店ばかりが目立ち,商店街が軒並みシャッターを下ろしているという東北・北海道に限らず全国各地に普遍的となってしまった情景の中,暮らす町に誇りも夢も持てない人々が,とりあえず東京か県庁所在地に出なければ人生は終わり,とにかく手段を選ばず金をつかまないと人生は終わり,さもなくば虚無的刹那的に生きたいと考えてしまうことを,我々はどれほど強く非難できるのだろうか。作品としてはやや尻すぼみで,ラストは凡庸という気がしないでもないが(だから文春で「無理」の方が上位なのはどうかと思う),これは現代日本社会が崩壊への坂を不可避に転がり始めてしまっていることのメタファーと善解しておくことにしよう。
 奥田英朗が直木賞に輝いたのは,楽しい読後感の伊良部ドクターシリーズだが,それとは趣の違うこれらの作品を読む限り,今後目の離せない作家になりそうである。

PS 「地方と東京の格差」というと,日弁連会長選挙が想起されるが,こちらも3月10日の再投票でどういう結果になるのか目が離せない。
(くまちん)

多田元さん

2010年02月17日 | くまちん
 先日,長野に出張してきた。少年事件に関する全国付添人経験交流集会に参加するためである。
 遠路長野まで赴いたのには理由が二つあり,前年度開催地の実行委員長として昨年2月の極北の地に300人以上参加していただいたことについて感謝の意を伝えたかったことと,多田元弁護士(元判事)の講演「付添人活動-子どものパートナーとして-変容していく少年司法の中で」を直に聴きたかったからである。
 多田さんは,裁判官として20年,退官後名古屋で弁護士として20年,少年事件をライフワークとして通算40年活動してこられた著名な方である。20回目を迎えた交流集会の第1回の講演者でもある。私は初対面で,勝手なイメージを作っていたのだが,実際は,「変容していく少年司法」と題したけれど「このごろ少し変よう」というダジャレはすぐに思い浮かぶが,話す中身がなかなか浮かんでこないと笑いを取る気さくな人だった。懇親会でも名古屋の若い弁護士達に囲まれて,「多田さんは少年には優しいが,僕たち若い弁護士にはものすごく厳しい」などと言われながら,微笑んでおられた。
 講演の中で多田さんは,一人の少年からもらった手紙をいつも持ち歩いていて,時々元気を失ったときにはそれを読むと言って内容を紹介した。少年院送致の決定に対し付添人の多田弁護士が書いた抗告(不服)申立書の内容について,「申立書を読んでとてもうれしかった。僕の気持ちがそのまま書いてあったからです。僕の気持ちを分かってくれるのは,多田さんと彼女と家族だけです。僕は人の優しさを求めていましたが,少年院で人の優しさに出会えました。多田さん,一日で良いから体を休めてください。」と書かれていた。その後成人した彼は,20歳の年賀状に「僕も子どもを守る大人になるよ」と書いてきたそうだ。
 多田さんは,ある精神科医から聞いた「下医は病を医する。中医は人を医する。上医は世を医する。」というドイツの格言を引き,「下医は現象にとらわれ病気しか診ない。法曹も同じだ。少年非行も,事件から少年を見るのではなく,少年を人として理解する中で非行の意味を考えることが必要なのだ。せめて中医のような法曹でありたいと思う。」とエッセイに書かれている。
 全体会での講演の他にも,6つの分科会が開かれ,私は「離婚における子どもの最善の利益」,「少年逆送事件裁判員裁判の実例から学ぶ」に出席したが,その内容も大変興味深かったので後日ここに紹介したい。
 最近,多田さんをはじめ,少年事件に熱心に取り組んでいる弁護士4名と児童精神科医高岡健さんとの対談本「少年事件-心は裁判でどう扱われるか」(明石書店)が刊行されており,一般の方にも分かりやすい内容になっているので一読をお勧めする。
(くまちん)

ETV特集「裁判員へ 元死刑囚・免田栄の旅」

2010年02月10日 | くまちん
 先日このブログに書いた「メディア・アンビシャス」に入会し,そのメーリングリスト上で色んな情報を提供されることもあって,ドキュメンタリー番組を視聴する機会が増えた。中でも日曜日夜10時からNHK教育テレビで放送されている「ETV特集」は極めて良質な番組を作り続けている。
 今月7日に放送された「あるダムの履歴書」は,北海道のアイヌ民族の聖地に作られた二風谷ダム問題を長年追い続けた作品で,深い感銘を受けた。大量の土砂を堆積させるダムの根源的な問題,ダム建設に関して小自治体が国や北海道開発局に依存せざるを得ない実態,行政の審議会の実態,アイヌ民族差別の実態,森林の荒廃の問題,色んな問題が重奏的に決して告発調に過ぎることも,晦渋になることもなく描かれている点が素晴らしいと思った。ダム用地収用に対して現地で抗議が行われる91年は,私が判事補として北海道に赴任した年であり,ダムを違法とする札幌地裁判決は,私が裁判官を辞めて北海道で弁護士をはじめる直前のタイミングだった。私の同時代史と重なったところに,流れる時間軸の重さをそうした意味で実感し得たところに,重い感銘が残った。
 今週14日の夜は同じ枠で「裁判員へ 元死刑囚・免田栄の旅」が放送される。
 http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2010/0214.html
 免田さんに関しては,ご紹介するまでもない。80歳を超えられた今も精力的な講演活動を続けておられ,上記ホームページを見る限りでは,足利事件の菅家さんとの対話もされているようだ。最近も熊本日日新聞社編「検証・免田事件」の新版が,現代人文社から刊行されており,そこではまさに「メディアリテラシー」の問題にも触れられている。熊本・人吉市民の中には未だに免田さんを犯人視する意識が残っていることを示したアンケート結果も収録されている。
 免田さんから,将来の裁判員候補の皆さんにどのようなメッセージが発せられるのか,注視したい。
(くまちん)

「祝女」

2010年01月31日 | くまちん
 最近夫婦で日曜の夜を楽しみにしている。毎週日曜夜11時にNHKで放送される「祝女」を見るためである。
 この番組の一番分かりやすい説明は,「サラリーマンNEO」の女性版,というところだろうか。過去二回単発で放送されたものが好評を博し,ついに今年1月から毎週の放送が始まった。アラサー周辺の女性をターゲットにしていると思われるが,50近くで「アラ,フィー,フィー」と言っているおばはん・おっさんにも大いに楽しめる。
 ショートコントをつないでいくパターンの番組だが,毎回どのコントが一番良かったかを語り合うだけでも,十分に会話は盛り上がる。
 1月10日放送分では「ユリ&マキ」が,事務所の弁護士・修習生(いずれも女性)を含めて4票満票を獲得。「自由にさせてくれるが,浮気心一杯の不誠実な男」と,「誠実だが,結婚して負担になる男」の二つしか選択肢はないのか,という問いかけに「誠実でもないが,負担にもなる男」というのもある,というところで爆笑してしまった。
 1月24日放送分では,個人的には内田朝陽・市川実和子の演技が微笑ましい「ま,いっか的に始まる恋」に惹かれたが,女性陣の票はともさかりえがヒモ男に啖呵を切る「11時の女 宇佐美怜」に集まった。
 最近の若い男女は何を考えているのかよく分からん,とお嘆きの家事事件担当裁判官・調停委員の方々には,娯楽とともに「発見」があるかもしれない。「要するにてめえら,相手云々より自分が幸せになることしか考えていないだろう。」と突っ込んでしまえば,それで終わってしまう,身も蓋もない話なのかもしれないが。
 本日31日も「龍馬伝」をハイビジョンで早めに見てから,4時間しっかり仕事をし,11時からテレビの前に座る予定である(あ,大阪国際女子マラソンも見なくちゃ)。
(最近テレビネタばかりの,くまちん)

「罪と罰」-FNSドキュメンタリー大賞

2010年01月23日 | くまちん
 本日,1月24日日曜日の午後4時から,フジテレビ系列において,東海テレビ製作の死刑と犯罪被害者の問題を描いたドキュメンタリー「罪と罰」(FNSドキュメンタリー大賞受賞作)が放送されます。
 番組の内容については,以下のホームページをご覧下さい。
 http://www.tokai-tv.com/tsumibatsu/
 番組を製作されたのは,東海テレビのプロデューサー阿武野勝彦さんらで,2009年1月の名古屋での日本裁判官ネットワークの例会にご参加いただき,ギャラクシー賞を受賞された「裁判長のお弁当」の製作秘話を語っていただきました。取材対象の裁判長は机に座ったきり殆ど動きがなく,黙々と記録と向きあって仕事をするばかりなので,カメラは単調な画面が続き,裁判長が昼と夜(残業に備えて)の二つの弁当を持参して食べるところしか絵になる画面がなく,これを番組名にしたとのことでした。放映後,裁判所からは「お目玉」を食らったそうですが,どのあたりが裁判所のお気に召さなかったかについては,この番組の台本が「全国テレビドキュメンタリー09年版」(大空社)に収録されていますので,そこからご想像下さい。
 http://www.ozorasha.co.jp/fsouki.html#A-103
 なお,「罪と罰」とほぼ重なる題材を取り扱った青木理さんの「絞首刑」(講談社)が,最近公刊されており,裁判員裁判と死刑の問題にご興味のある方には是非お読みいただきたい内容になっています。「罪と罰」に登場する原田正治さんには,「弟を殺した彼と,僕」(ポプラ社)という御著書があります。
(くまちん)

メディア・アンビシャス

2009年12月16日 | くまちん
 年末年始は,テレビマニアにはたまらないシーズンである。忙しさにかまけて見逃してしまった名作が再放送される機会も多いからである。私は最近テレビドキュメンタリーにはまっているので,地味ながら内容の濃い作品が再放送されることを期待しながら,テレビ雑誌のページを繰っていたりする(学研の「TVライフ」誌は,他誌に比べてドキュメンタリーの紹介が多いので定期購読している。)
 実は私は,北海道を拠点として活動しているメディア・アンビシャスという団体の会員である(ホームページはこちらhttp://media-am.org/)。
 どのような団体かというと,設立趣旨としてホームページには以下のように記載されている。
「私達は、近年ますます強くなっているメディアスクラム(集団的加熱取材)、危機と不安を煽るマスメディア状況の中で、それでもメディアリテラシーの大切さを思い、多面的な視点でとらえようとする番組や報道が決してないわけではないことを知っています。少数になることも恐れずに番組を作り、報道している人達が確実にいることも感じています。
マスメディアを批判することも勿論必要ですが、私達は、メディア状況をよりよく改善していくために、そのような人達を、スタッフを、多面的な視点でとらえた番組や報道や表現を、むしろ、より積極的に応援していこうと考えました。クラーク博士の”ボーイズ・ビー・アンビシャス”に倣うわけではありませんが、志を持ち、それぞれの良心に従って伝えていこうとする人達を、私達は、年に数回、勝手に表彰して応援しようと思います。より良いと感じた番組や報道を応援し、それらが少しずつ増えていくこと、そのことがメディア状況の改善に、少しでも役立つ事を願って、私達の活動を始めたいと思います。メディアリテラシーの大切さを思う多くの方々のご参加をお待ちしております。」
 そして今年末,ついにその「勝手に表彰して応援」する機会が訪れ,受賞作が以下のように決定された。

映像部門
★ 大賞 「死刑囚 永山則夫 ~獄中28年間の対話~」 NHK
★準大賞 「夕張、年老いた町で~医療再生700日の記録~」 NHK
 準大賞 「「イチオシ! 」シリーズ調査報道 地方議会ウオッチング」 HTB
活字部門
★ 大賞 「マレーシア67年前の惨劇/華僑虐殺 語り継ぐ」
     「語り、伝える マレーシア華僑虐殺(全5回)」
     「水平線 マレーシア華僑虐殺/史実共有し教訓に」の一連の報道
                                北海道新聞
★準大賞 「現代かわら版 プルサーマルの現場を歩く(上・下)」 北海道新聞

 そして,12月21日月曜日に,札幌市狸小路6丁目にある映画ファンには著名な映画館「シアターキノ」において以下のようなスケジュールで表彰式が行われることになった。
  18:50頃 開場予定
  19:00~映像部門大賞「死刑囚 永山則夫~獄中28年間の対話~」鑑賞
  20:30~表彰式と受賞者の一言ご挨拶
   堀川恵子さん、米原尚志さん、HTB報道部、川村史子さん、
  20:45~ミニシンポジウム「受賞作と今年のメディアを考える」
   パネラー 堀川恵子さん(上記大賞作品ディレクター)
      山口二郎さん(メディア・アンビシャス世話人代表)
      中島岳志さん(メディア・アンビシャス世話人)
  21:20 終了予定
 そう,瑞祥氏が10月21日付けのブログで触れられたETV特集「死刑囚 永山則夫」が栄冠を勝ち得,札幌周辺の会員に見てもらえる機会を得たのである(残念ながら,NHKオンデマンドには挙がっていないようである)。会員である私も是非参加したいところであるが,諸般の事情により東京出張予定で参加できないのが残念である(そのかわり妻と二人,六本木ヒルズでお上りさんになって大東京を見下してやろうと企み中)。
 参加は会員に限られるが,当日入会も可能である(年会費3000円、学生1000円)。
 地方で始まったささやかな試みが,良質なジャーナリズムの育成,更には市民意識の高揚にわずかなりとも役立てれば幸甚である。
(くまちん)

裁判員裁判に関する「クローズアップ現代」は,26日です

2009年11月26日 | くまちん
「クローズアップ現代」は本日26日の放送です
以下はNHKホームページから

11月26日(木)放送予定

市民が裁判を変える~徹底分析・裁判員裁判~

日本の刑事裁判に市民感覚を反映させようと、今年5月に始まった裁判員制度。こ
の半年間に行われた裁判をNHKが独自に調査・分析したところ、裁判の結果に変
化が生じていることが浮かび上がってきた。さまざまな経験や知識を持った市民の
感覚が反映され、判決が、従来のプロ裁判官による「相場」と異なるものになるケ
ースが出ているのだ。番組では、裁判員を務めた市民の証言を始め、検察官、弁護
士への取材も含めて、市民が参加した法廷で何が起きているのかを探る。無罪主張
事件や死刑事件も始まるなど、裁判員裁判がいよいよ本格化する前に、この制度の
成果と課題を考える。
(NO.2823)

スタジオゲスト : 青木 孝之さん(元裁判官・駿河台大学法科大学院教授)

(引用終了)

青木さんは,NHKの企画した死刑求刑の裁判員模擬裁判でも
右陪席裁判官役として「殺意」についての説明などをされた方です。
私は行事と重なって視聴できませんが
もし可能なら夜中のBS再放送ででも見たいと思います。
ご感想などお寄せ下さい。


ちあきなおみ ふたたび

2009年11月13日 | くまちん
昔,「ちあきなおみ」という歌手がいた。世間的には「喝采」を歌った歌手として,そしてそのデフォルメされた物真似によって認知されている。
(最近「公園の歌姫」と言われて「鮨屋で」という歌を歌っているよく似た名前の人は全く別人である。)

平成4年にある事情(後に紹介する番組「歌伝説」のエンディングの伏線なので,あえて「事情」の内容は書かない。)で歌手活動を休止して以来,全く活動していないものの根強いファンが存在し,復活を求める声はやまない。
かくいうおじさん(昭和36年生)も,中学生時代に当時売り出し中の桜田淳子や山口百恵には目もくれず,ちあきなおみのファンであった。
(よって,このような歪な大人となったのだろう。)
おじさんは嬉しくて仕方がない。
なぜなら11月14日土曜日と21日土曜日にNHKBSで以下の特番が組まれるからである。

14日土曜日 19時45分-21時30分
「歌伝説 ちあきなおみふたたび」
2005年以来度々再放送されている『歌伝説 ちあきなおみの世界』に,追加映像を加えたバージョンのようである。
21日土曜日 21時-23時
「BSまるごと大全集 ちあきなおみ」
http://www.nhk.or.jp/chiaki/
上記HPでリクエストを募り,生放送されるようである。

昭和という時代に
このような素晴らしい「歌手」がいたということを
多くの方に知って欲しいと思って,この記事を書いている。
(定期購読しているテレビ雑誌で全く取り上げられていなかったのが,書こうと思った最大の要因)
決して損はさせませんので,ご興味のある向きはご覧いただきたい。

個人的な推奨曲を書いてみる。
1 夜へ急ぐ人
  昭和の紅白の舞台にこの実験的な歌をかけたこと自体に感動する(山川静夫アナウンサーからは「気持ちの悪い歌」と言われたのだが)。番組で流れるのは紅白バージョンだが,台詞入りのオリジナル音源も機会があれば聞いていただきたい。
2 矢切りの渡し
  梅沢富美男が踊りのBGMに流していたのは,「酒場川」のB面(死語!)だったちあきなおみの曲。後に細川たかしがリメイクして大ヒットするのだが,有線放送のチャートではどうしてもちあき盤を抜けなかった理由が分かる。
3 その他多すぎて---
  「かなしみ模様」-子ども心に「フランス映画真似ているみたいな小粋な別れ」というフレーズがなぜか鮮烈に焼き付いた。幸か不幸か実生活でそんな経験はないのだが。
  「アゲイン」-夏目雅子が亡くなった直後,学生街の名画座の特集で見た「時代屋の女房」。夏目さんの面影とともに,映画中で流れたこの曲が耳から離れない。
  「紅とんぼ」-紅白での最後の歌唱曲。新宿駅裏にこんな店があったら通うよなあ。
  「ねえあんた」「かもめの街」-こういう世界の女性を歌わせるとすごい。
  「黄昏のビギン」「星影の小径」「朝日のあたる家(朝日楼)」
   -何でも歌える天才なんだとわかる。

 殺伐としたニュースの多い今日この頃,週末の夜は「昭和の歌姫」にひととき癒されたい。

 PS というわけで,21日の10周年の夜は,私は夜9時前に宿に引きこもりますので,あしからず。
(くまちん)

振り込め詐欺の正体

2009年06月27日 | くまちん
 私のパソコンには,時々地元のケーブルテレビを通じて警察からの親切なお知らせが流れてくる。先日,このようなものが流れてきた。

 6月22日札幌市内で、警察署の代表電話を表示させた、万引きの示談を騙った振り込め詐欺容疑の不審電話がありました。犯人からの電話は『息子は今警察に泊まっている。弁護士料20万円かかる』との内容で、被害者が交番に相談して未然に防止されています。着信表示の電話番号が偽装されることもあります。現金を要求する電話は『振り込め詐欺』と疑い、必ず自分で調べた電話番号にかけ直すなどして確認して下さい。(配信:○○警察署)

 「ふーん,最近はディスプレイをいじくる技術もあると聞いていたが,ここまできたか。最近の警察署はどこも下4桁を0110に揃えているからな。」と思っていたら,数時間後に時事通信から以下のようなニュースが配信された。

 「警察官を語った新手の振り込め詐欺」と北海道警が報道発表した事案が実は、静岡県警からの問い合わせだったことが24日、分かった。道警札幌中央署が同日午後訂正した。
 同署などによると、静岡県警沼津署が22日、札幌市のタクシー運転手の男性(68)の携帯電話に、長男が起こした万引き事件について問い合わせをしたのが発端。同署は、長男が略式命令を受けた場合、20万円程度の罰金を支払えるかどうか照会したが、男性は「示談金として20万円かかる」と言われたと勘違い。不審に思い、札幌中央署の交番に相談したという。
 同署は携帯電話の着信履歴から、沼津署に万引き事件が実際にあったかどうか問い合わせたが、沼津署は男性に電話をした22日に該当する万引き事件の照会と受け止め、「ない」と返答。札幌中央署は、実在する警察署の電話番号を携帯電話に表示させる手口と思い込み、未遂事件として23日に発表した。

 上記2つの情報の混乱ぶりから見て,一般の方にとっては
「略式命令(りゃくしきめいれい)」
「示談金(じだんきん)」
「弁護士料(べんごしりょう)」
全て外国語のように伝言ゲーム状態なのであろうと推察される。

 そういえば最近,こういう話を被疑者の家族から聞いた。
「警察の人が『オタクに50万円くらいのお金がありますか。逮捕したご主人に聞いたら奥さんに家計を任せているので分からないと言われた』と言うので『色々かき集めたらそれくらいあります』と答えたら,『ああ,それならだめだなあ』と言って電話を切られました。これはいったい何だったのでしょう。」
 このやりとりを読み解くには,以下の条文の存在と,第37条の3第2項の基準額が50万円であることを知らなければならない。

第37条の2 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる事件について被疑者に対して勾留状が発せられている場合において、被疑者が貧困その他の事由により弁護人を選任することができないときは、裁判官は、その請求により、被疑者のため弁護人を付さなければならない。ただし、被疑者以外の者が選任した弁護人がある場合又は被疑者が釈放された場合は、この限りでない。
2 前項の請求は、同項に規定する事件について勾留を請求された被疑者も、これをすることができる。
第37条の3 前条第1項の請求をするには、資力申告書を提出しなければならない。
2 その資力が基準額以上である被疑者が前条第1項の請求をするには、あらかじめ、その勾留の請求を受けた裁判官の所属する裁判所の所在地を管轄する地方裁判所の管轄区域内に在る弁護士会に第31条の2第1項の申出をしていなければならない。
3 前項の規定により第31条の2第1項の申出を受けた弁護士会は、同条第3項の規定による通知をしたときは、前項の地方裁判所に対し、その旨を通知しなければならない。
第31条の2 弁護人を選任しようとする被告人又は被疑者は、弁護士会に対し、弁護人の選任の申出をすることができる。
2 弁護士会は、前項の申出を受けた場合は、速やかに、所属する弁護士の中から弁護人となろうとする者を紹介しなければならない。
3 弁護士会は、前項の弁護人となろうとする者がないときは、当該申出をした者に対し、速やかに、その旨を通知しなければならない。同項の規定により紹介した弁護士が被告人又は被疑者がした弁護人の選任の申込みを拒んだときも、同様とする。

 こんな世の中なので,被疑者国選弁護や当番弁護からの被疑者援助を受任して被疑者家族に電話するときに,ものすごく気を遣う。早期の被害弁償が望まれる事案では猶更である。最近は「振込詐欺とお思いかもしれませんが」とわざわざ断っているくらいだ(←かえって怪しい)。状況によっては先方から事務所の電話にかけ直してもらったり,日弁連のホームページで私を検索してもらったりしている。幸いまだガチャンと切られて途方に暮れたというケースには遭遇していない。
(くまちん)

あえて言う A地裁刑事部裁判官

2009年06月15日 | くまちん
 物議を呼ぶこと必定の書き込みであるので,冒頭に投稿者の立場を明かしておく。私は現職裁判官ではなく,北海道の弁護士で,ネットワークでは元裁判官のサポーターという立場で投稿している。したがって,地元以外の現職裁判官を擁護することに殆ど職業上のメリットがないこと,何より以下に取り上げる裁判官とは一面識もないことを断っておく。

 A地裁の刑事部裁判官は,一躍時の人となってしまった。1年2ヶ月の実刑判決を一旦言い渡した後(法律的には言渡し自体は終わっていないところがミソ),検察官から求刑2年6ヶ月に対して低すぎるとイチャモンがついて,結局暫時休廷後に,求刑を1年6ヶ月と誤解していたと謝罪して,同じ被告人に2年の実刑判決を言い渡したというアノ人である。
 私も最初に今月9日の東京新聞朝刊の記事を羽田空港から日弁連に向かうモノレールの中で見たときには,同じ会の若手弁護士と共に「バカだなあ」と言ってしまったものである。かように弁護士の反応は厳しい。何よりも「裁判官の実刑時の量刑は求刑の8掛けが相場です」という市民感覚では理解しがたい,しかし我々にとっては「常識」の事実を,晴れて満天下に公にし,なおかつ是認した点が憤怒をかっている。自分が自信を持って1年2ヶ月が妥当と判断したのであれば,自らの良心に基づく独立した判断を維持すべきであり,新たな証拠調べもしないで一旦事実上宣告した主文を変更するというのは,裁判官の風上にも置けないという批判は誠にごもっともである。
 しかし,今少し冷静になって考えてみると,私のような弱い人間は,この裁判官が憎めないのだ。私であればどうしたかと考える。この事件では裁判所書記官の作成した調書には検察官の求刑は1年6ヶ月と書かれていたそうだが,だからといって私には,刑事訴訟法52条の排他的証明力で突破する度胸はない(また,してもいけない)。このままでは検察官の求刑の半分以下の量刑をしたことになり,検察官から量刑不当で控訴され,被告人に控訴審審理の負担をかけた上に,より重い判決が言い渡されてしまう。そんなご迷惑を被告人にかけるくらいなら,率直に誤りを認めよう。おそらくこの裁判官の心の中はこのようなものであったろう。
 私が胸を突かれるのは,この裁判官が被告人に対して「謝罪」したということだ。彼がNHKの「ジャッジ」を見ていたかどうかは知らないが,法廷で真摯に頭を下げる裁判官には滅多にお目にかかれない。また,彼は最終の言渡しで,執行猶予をつけたもう一人の被告人については,求刑から6ヶ月を削って2年という主文を言い渡している。そこに彼のせめてもの「意地」と「気骨」を見る。執行猶予判決を言い渡すときに検察官の求刑を削っている裁判官がどれくらいいるのだろうか。もしこの裁判官に石を投げる刑事裁判官がいれば,己の過去を振り返ってみていただきたい(かくいう私も,求刑を削って執行猶予を付した裁判官に対して検察官が取る執拗かつ嫌味な態度を知らないわけではないのだが)。
 この裁判官が「悪い裁判官」,「要領のいい裁判官」,「傲慢な裁判官」であれば,このような騒ぎにはならないお利口な解決を選んだだろう。でも彼はそれを選択しなかったのだ。さすがに前任地の口うるさい札幌弁護士会のアンケートでも比較的高評価だった裁判官だけのことはある。
 この裁判官には間違ってもこれを機に裁判官を辞めたりしないで欲しい。そして,この裁判官らしい,貴方にしかできない裁判をして欲しい。被告人に「謝罪」した貴方にならそれができると信じている。
 しかし私とて,手放しでこの裁判官に拍手を送るわけではない。彼が自分のプライドを捨ててまで「謝罪」したとしても,それは所詮業界内の「内向きの論理」を前提としたものでしかないからだ。さっき自分に堂々と1年2ヶ月を宣告した同じ裁判官が,急に検察官からあれこれ言われたからといって,数十分後に刑期を10ヶ月も上げたら被告人はどう思うだろうか。刑事裁判慣れした一部の被告人にはともかく,一般市民にはとても理解できないだろう。

 裁判員制度は,日本の刑事裁判の良きも悪きも全てを明るみに出すだろう。その中で我々法律家が肝に銘じなければならないことは,第一に裁判官も検察官も弁護士も,これまで以上に真摯に市民に向き合わなければならないということだ。そして,これまで法律家の間で当然とされてきた慣行・常識を一から市民に理解してもらわなければならないし,仮に理解されないものは疑い,時には捨て去る勇気を持たなければならないということである。上記の一件が投じた一石は,「バカな裁判官がいた」で終わらせていい話ではないと思う。
(くまちん)

長沼事件 平賀書簡 35年目の証言

2009年05月06日 | くまちん
年々5月3日の意味が薄らいでいる。今年はETC値下げによる高速道路の渋滞情報に完全に埋没しているザマである。ETCが売れると儲かるの誰でしたっけと嫌味の一つも言いたくなる。

1973年5月3日,一人の裁判官が日記にこう記した。
「平和と民主主義の憲法。高らかにうたい上げられたこの憲法も26年もの間,蝕まれ続けた。時の政治権力に有利な憲法は十二分に利用される。時の権力に不利な憲法は無視される。そして裁判所は何とか理屈をつけて,その政治権力を弁護してやる。それが裁判所というものの本質なんだ(少なくとも今までは)。長沼訴訟はこのような今までの裁判の本質を国民が知り,そしてそれを元の姿に戻そうとした,いわば最初の訴訟であろう。」
裁判官の名は,福島重雄。彼はこの年の9月に裁判長として長沼訴訟一審判決を言い渡す。

上記日記の記載は,連休中に一冊くらいは憲法関係の本を読もうと思って手にした「長沼事件 平賀書簡 35年目の証言」(日本評論社)からの引用である(上記日記は91頁)。
改めて,時の政治権力からのすさまじい圧力を受けながら,裁判官の良心を貫き通した先達に感銘を受ける。「『何で違憲判決したのですか』と取材されたって,僕は仕事をやっただけと答えるだけです。何も変わったことはやっていない。むしろ,憲法判断を避けた人に『どうしてそうしたのか』と聞いてほしい。」(129頁)という,福島さんの発言が素晴らしい。
平賀書簡問題を扱った第二部も,西郷法務大臣の「裁判官が条例を無視する世の中だからね。国会では面倒を見ているんだから,たまにはお返しがあってもいいんじゃないか」という発言を,石川義夫氏が「思い出すまま」で明らかにした,昭和43年の司法予算折衝過程とリンクさせているところ(145頁)など,興味深い。
2008年に,イラク派遣訴訟名古屋高裁違憲判決が出された今日,若き法曹の方々にも是非手にとって欲しい一冊である。

なお,あとがきで触れられている,福島重雄氏が91年に出演したテレビドキュメンタリー「閉ざされた法廷-証言・裁判所は今・・・」は,横浜地裁の向かいの建物にある放送ライブラリーに保存されていて,無料視聴できる。
(くまちん)

追記 法学館憲法研究所主催・伊藤塾後援の元裁判官の連続講演会「日本国憲法と裁判官」第2回(6月19日)に,福島重雄氏が登場されるようである。上記書物の第二部座談会に登場した裁判官も続々登場される。
http://www.jicl.jp/jimukyoku/backnumber/20090413.html

47歳の手習い

2009年05月03日 | くまちん
裁判員制度導入を控えて,いわゆるNITA型研修なるものが各地の弁護士会で行われ,その内容が報道されたりしている。NITAとは,全米法廷技術研究所の略称で,陪審制の国アメリカにおいて公判弁護技術を指導するノウハウを蓄積しており,その研修を受けた弁護士が講師となって,各地の研修を指導している。
私は,昨年夏(当時は47歳だった)に,この研修を受講する機会があったのだが,昨年1月に早稲田大学で大々的に行われた研修を傍聴しているので,要領は分かっていたものの,いざやると見るとは大違いで,真夏の東京で大汗をかいてしまった。
まず冒頭陳述であるが,グループ内の最後の演者になったので,法廷内で動きをつけろという応用問題を出されてそっちに気が行ってつい力が入ってしまい,メリハリをつけろと駄目出しをくらい(すみませんね,ハリばっかりでメリがなくって),登場人物にキャラクターを与える工夫が足りないとも言われた。
主尋問では,ベテラン弁護士ほど誘導尋問が癖になっていて,結構高名な弁護人でも異議を連発されて立ち往生していた。私も,「その場所で何か印象的な出来事はありましたか」という,ごまかしの誘導尋問(「何か」を入れているから,一瞬誘導でないように目くらましできる)を確信犯的にしたら,後の講評でしっかり指摘された(だって「その場所で何がありましたか」だけじゃ実質的に尋問が進まないだろう,と言い訳)。また,規則199条の12で現場見取図を使う前提として,「この図面が何を示しているか分かりますか」という尋問が抜けていると痛いところをつかれた。主尋問は立ち位置を含めて尋問者自身の存在感を消して,正面の証人に裁判員の注意を集中させることが大事というので,立ち位置を裁判員の視界に入らない位置にとったのだが,「先生は何をやっても人の目を惹きますね。もっと気配を消してください。」と酷評された(透明人間にでもなるしかないか)。
弁論では,自由で独創的なのはいいが(そういうことはやり過ぎるくらい得意である。),裁判員に反感・反論をもたれかねない部分を指摘された。自分としては,量刑面を含めて裁判員の生活感覚に訴えかける弁論を心がけているのだが,その単純でない難しさを感じさせられた。
この研修でもっとも良かったのは,自分が実際にやった尋問や弁論に対して,その場で論評してもらうのに加え,その後に別室でSDカードに録画したものを再生しながら別の講師から更に論評を受けたことであった。大体自分の尋問や弁論をビデオに撮ってまで見るナルシストはそういないだろうが,この経験は大いに勉強になった。私の場合,右手を回転するように動かしてリズムを取りながら喋るのが癖になっているのだが,録画を見るとその動きが単調に映るのが実感でき,基本は中央定位置に静止して,各裁判員とアイコンタクトを取り,所々に動きを入れてメリハリをつけた方が印象的であることが実感できた。
私は,日本の裁判員裁判における弁護人に,NITA方式の研修が必ずしも必須だとは思わないし,そもそも形よりも訴える中身の工夫にもっと力を入れた方がよいのではないかと思ってはいるのだが(もちろん日弁連ではそういう工夫や研修もしており,今年3月のライブ研修での情状弁護の方法論などは大変有益と思うのだが,どうしてもNITA方式の方が目立ってしまう),このような研修を受けた人たちが各地で色々な影響を与えていくことは,日本の刑事弁護技術の向上のために良いことだと考えている。
私は,NITA方式のようにノーペーパーにこだわることは日本の文化の中でさほど意味がないと考えているので(季刊刑事弁護55号の拙稿「『ボンクラ弁護人』の最終弁論」ご参照),原稿の棒読みこそしないものの,簡易なレジュメの配布とそれを拡大したペーパーをイーゼルで展示する方式を活用したいと思い,既にイーゼルも購入済である(さてはパワーポイントが使えないだけだな,と言われそうだが,側面のディスプレイや手元の小型画面に表示されるパワーポイントよりも,裁判員の正面に立てられるイーゼルが効果的ではないかと考えている。)。
(くまちん)

「サマヨイザクラ」

2009年04月26日 | くまちん
 裁判員制度施行を控えたGWの冒頭に読む本として,郷田マモラ氏の「サマヨイザクラ-裁判員制度の光と闇」(上下巻)を手に取った。5月には,ドラマ「電車男」で著名な伊藤敦史さん主演で単発長時間ドラマになる原作マンガである。
 雑誌「JW」の著者インタビューで,郷田氏が裁判員制度について「光」よりも「闇」の方が多いのではないかというニュアンスで話していたのを先に読んでいたのだが(現に下巻237頁のリアルな新聞記事の一コマで「闇」をチクリと刺している。),この作品自体はむしろ「光」について強いメッセージを発していると思う(最終話「裁判員制度の光」参照)。同じ著者の死刑をテーマとした「モリのアサガオ」を読んだ森達也氏が,当然郷田氏が死刑反対派だと思ってインタビューしたら,死刑存置派だったのでビックリしたというエピソードを思い出した(「死刑」朝日出版社49頁)。ネタバレしないように書くとなるときわめて抽象的に書かざるを得ないのだが,「個人の悪」に対する「集団の悪」というのがキーワードであり,その対極としての「集団の善」で締めくくられる。
 私はかねてより,司法への国民参加を行うならば,車の両輪として,更生保護への国民の関心の高まりもなければならないと小さな声で言ってきた。最近でこそ「おかえり」といったポスターを街で見かけるが,後者への関心は依然として低い(それ以前に生活が大変でそれどころではないということになるのだろうが)。裁判員制度が,量刑に関する実質的な評議の中で,後者への関心も深め,それこそ「集団の善」によって安心に暮らせる社会になれば良いと思うのだが。
 動き始めた制度に「マヨイ」,「サマヨイ」はつきものであるが,その果てに「サクラ」が咲くことを信じたい。

追伸
 これから読む法律家以外の方のために特に気になった点を指摘しておくが,裁判所が事前に裁判員候補者の個人情報を独自に調査して掌握している(上26頁)ということはないし,もちろん質問手続などで得た個人情報を他言するようなことはない(上106,108頁)。まして,裁判長が恣意的に裁判員を選定することなどあり得ない(下20頁)。また,当日質問票で死刑に関する意見を聞いて死刑反対派が事実上排除されるなどという運用(上24頁,下108頁)もあり得ない。もし「裁判員どうしで話し合ったら評議が混乱する恐れがありますから,我々裁判官に対してのみ発言してください」などと宣う愚かな裁判長(上66頁)がいたら,守秘義務の範囲外の合法的な「感想・苦情」として明らかにしていただきたい。その他にも突っ込みどころはあるが,全体としては十分に読むに値する本である。
(くまちん)

追記 フジテレビドラマ「サマヨイザクラ」の放映日時は
   5月30日午後9時に決まったようです。

やった! ついに「ジャッジ」DVD化

2009年03月21日 | くまちん
誰か書くだろうと思ったら案外誰も投稿しないので,少し遅いかもしれませんが情報提供のため投稿します。
好評を博したNHKドラマ「ジャッジ」については,放送終了後も番組ホームページに賞賛とDVD化を望む声が寄せられていましたが,ついに,DVD化されることが決定しました。しかも,第1,第2シリーズ同時発売です。昨年5月の例会でゲストにお迎えした篠原さんに,直に要望した甲斐がありました(もちろんそのせいではなく,ドラマファンの熱い思いが届いたのだと思いますが)。
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/judge/html_jud_faq.html
発売日は5月20日。裁判員制度施行日の前日とはナイスチョイスですね。もちろん今から予約もできます。北の外れに住む私のところにも,そう遅れず届くはずです。もっともそのころには,私のような田舎弁護士は拡大した被疑者国選弁護への対応に追われて見る時間がなかなかとれないかもしれませんが。
毎回,中孝介さんの歌うエンディングテーマ「路の途中」とともに涙腺が決壊していた私のような方は,ハンカチの御用意をお忘れなく。(くまちん)

追記

BSハイビジョンでの再放送も決まりました
4月1日から6月10日まで毎週水曜日夕方6時に1話ずつ放送されます
(5月27日を除く)
http://www.nhk.or.jp/drama-blog/700/17260.html
ちょうど第2シリーズの第3話の放映日がDVD発売日と言うことになります

昨年ようやくBSを見られるようなったのですが,こういうときに良かったと思います。