元!吹奏楽部顧問の日常 

顧問を離れて早数年。今やただの音楽&ラグビー大好き親父です。

電話!

2011年03月21日 | Weblog
今日からしばらく娘が盛岡。
児童館が「照明・暖房無し」状態なので利用が難しく、
また両親とも明日から勤務再開となるための緊急避難措置。
しばし寂しい思いをさせることになるけれど、親子ともども我慢です。

妻と娘が電車で出発するのを見送ってから、
お袋と一緒に菩提寺の合同法要に参加しました。
で、和尚さんが読経している最中に携帯に着信が。

大船渡で被災した友人から!!

すぐトイレに駆け込んで、それから約20分ばかり話しました。


ご両親は西根、奥さんと子ども2人は盛岡にそれぞれ避難させ、
自分は大船渡北小の避難所で、自治会の世話役として残って働いているとの事。
逃げる際、幹線道路は車で渋滞していたのだそうで、
「車はみんな流されたようだ。助かっただけでも本当によかった。」
と、何度も繰り返していました。

津波で流され、奇跡的に見つかったというモネット(トランペット)は、
ベルこそ潰れているものの、それ以外は壊れていなかったようで、
奥さん、子ども達と一緒に盛岡に持って行ってもらったそうです。
「まさか見つかるとは思っていなかった。」
本当にこんなことがあるんだなあ。


「もう床しか残ってないけど、同じ場所で店を再建したい。」
とも言っていました。
「売り掛け帳も流されちゃったけど、お前のところはもう清算してあるから大丈夫だ。」
とも。
落ち込んでいるんじゃないかと心配していましたが、少し安心。

電気が復旧し、支援物資も続々届いているので、被災直後よりはよほど過ごしやすくなったとの事。
ただ、相変わらず断水状態が続いており、衛生状態は極めてよくないようです。
インフルエンザにかかった人も出てきたようで、やっぱりこの辺りは心配。
当人は今日お休みをもらって被災を免れた弟さんのアパートに行き、
久しぶりにシャワーを浴びる事が出来たとの事。
「気持ちよかったけど、ほかの人の事を考えるとちょっと申し訳ない」とも言ってました。
そのアパートは携帯がつながるので、そこから電話をかけてきたとのことでした。

とにもかくにも元気な声を聴いて安心しました。
話しているうちに涙が出そうになって困った(苦笑)。
出来ることは限られているかもしれないが、何でもいいから
出来る事をしてやりたい。
改めてそう思いました。
早く顔を見たい。


PS
地震の後、初めて外食しました。
いつ以来だったか思い出せないぐらいの満腹感。
友達の声を聴けたからでしょうか。
午後は、これまた久しぶりの昼寝。

明日は出勤で、一週間延期となっていた高校入試の合格発表です。

コメント
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