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鉱物の部屋へのいざない

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意識1

2013-11-03 10:58:29 | 日記・エッセイ・コラム

先週の金曜日から今日まで金沢駅周辺のホテルや施設で日本臨床麻酔学会の学会が催されています。麻酔は医学的には不思議な現象で、私も多少は興味がありますが、それほど良く知らない分野です。

人の感覚の中で痛みは特に不思議な感覚だと思います。普通、痛みには何らかの原因があり、身体がそれを知らせる危険信号のようなもの、というような認識がありますが、痛みの中にはファントムペインのような不思議な痛みがあります。また、五十肩のように原因不明の痛みもあります。どうも痛みには人の「意識」に繋がる不思議な謎が隠されているような気がします。

で、今日は「意識1」です。

昨日、一昨日、続けてNさんがいらっしゃいました。Nさんの鉱物(鉱物結晶)を見る目は真剣で、その「意識」は完全に見ている標本に向けられています。Nさんの鉱物に対する「意識」は非常に高いと言えます。

そのようなNさんとの鉱物に関する話は非常に興味深く、なるほど!と思う事がたくさんあります。どのような話をしているのかというと、鉱物結晶の話はもちろんの事、例えば双晶の話から、対称性や左右やキラリティーの事へ、はたまた、鉱物から生物を通り過ぎ、「意識」の話へと飛躍します。そのような話の流れは私も大好きです。このような話ができる事は希で、そのような話は私にとっても楽しい時間です。
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?方解石の接触双晶(中国産)

学生時代だった頃は別として、そのような話ができる機会は少なくなりました。そういう意味で若いNさんとの話は刺激になってうれしいものです。

そう言えば、私が福岡に住んでいた頃、訪ねてきた学生時代の仲間と博多料理を食べながら「意識」について話し合った事を思い出しました。お酒を飲みながら、鮮度の良いイカやヒラメの生き造りを見て、イカやヒラメの「意識」や哲学的な「意識」の話題について話をしました。その話は飲み屋の話レベルだったのですが、その面白さは今でも憶えているほどです。

「意識」の問題はある部分は哲学的な問題でもあります。その良い例はルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」(われおもう、ゆえにわれあり、羅: Cogito ergo sum)です。その飲み会でアンブローズ・ビアスが『悪魔の辞典』の中で書いている「厳密性を更に求めるならcogito cogito, ergo cogito sum.(「我思うと我思う、故に我ありと我思う」)というべきであろう。」という話題になり、大いに盛り上がりました。

学生時代の仲間とのたわいもない会話は飲み会には最適です。最近はそういう機会が無くなってしまいました。それは私が金沢に引っ越したからかも知れません。

若いNさんとの会話はそんな若い頃の会話を思い出す良い機会になったと思います。

「意識」の話題は次回に続きます。

コメント
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