いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

祝 六郷神社崇敬会創立20周年

2009-11-03 | Weblog
 今日は、朝4時半に起き、恒例の父親の月命日の墓参りに相模原の霊園まで出向いた。普段でも渋滞を避け、早朝に出かけるのだが、今日は9時から六郷神社崇敬会創立20周年のお祝いの式典があるので、特に早くでた。片道1時間半、途中のマクドナルドでモ-ニングセットを買い、霊園到着までに食べ終わる、というのが何年も続いている習慣だ。

 父親は昭和42年、私が10歳の時に癌により42歳で他界した。両親は離婚していたので、私は伯父の家に引き取られ、遺骨は伯父が建てた墓に長い間預かっていただいていた。平成に入り、7年月賦でやっと父親の墓を建てれたが、バブル絶頂期で、近隣では1000万円などと言われ、止む無く相模原の奥に購入したが、今ではこの山あいの霊園を私はとても気に入っている。

 あわてて戻った神社崇敬会の周年行事。式典、お茶会、祝宴と長丁場だったが、多くの崇敬者との語らいは、楽しいひと時でもあった。六郷神社は、そのHPによると、

天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、創建である。  

文治五年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて 戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営した。 現在、社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)と境内に残る浄水石は、このとき頼朝が 奉献し、神門前の太鼓橋は、景時が寄進したものといわれている。

 すでに、950年以上を経過した由緒正しい鎮守の杜である。我が家も、息子の結婚式、孫のお宮参り、選挙事務所開き、など人生の節目には必ずお世話になっている。

 式典には、自民、民主の代議士、自民の都議二人、民主区議、私6名の議員が参列したが、祝宴には民主の代議士、自民都議秘書、民主区議、私となり、前政権党の議員本人は誰もいない崇敬会という保守系の祝宴となった。たまたまだろうが、「政権交代」を象徴するような光景だった。

 私はご挨拶で、天皇陛下ご即位20周年の好き年に崇敬会も20年を迎えるお祝いを申し上げ、政権が変わっても「変えてはいけないもの」、それは国家観であり、国の在りようである。国旗を切り裂き党旗にしたり、中国で総理が「靖国は忘れてくれ」などと発言する民主党には、大変な危機感を覚える。民主党の代議士は、神社に来ているのだからマトモだと思うから、どうか党に、その危機感を伝えてくれ、と申し上げた。

 しかし、自民党であっても民主党であっても、神社の会合に来て、町会の防災訓練に出るという選挙対策の構図は変わらないのだな。違うマ-ケットで勝負したほうがわかりやすいのだが、きっと「選挙」のマ-ケットは、その辺にしかないのだろう。それも、いささか民主主義のあり方として如何だろうか。

 それにしても、紺碧の空に国旗が実に映えていて綺麗だった。みずほちゃんや、鳩ちゃんも党本部に日の丸をあげようね!



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