いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

大田区立中学校の学校間の成績格差は10倍以上! 一般質問全文

2016-11-30 | Weblog
石原慎太郎元東京都知事、平沼赳夫元経済産業大臣らが結党した真正保守政党「旧たちあがれ日本」の理念を継承した「たちあがれ日本」の犬伏秀一でございます。
区政については、様々な課題がある中、特に長期の展望を見据えながらすすめていくべきものには「まちづくり」と「人づくり」があると考えております。いずれも1年、2年のスパンでは解決できないからであります。今年産まれた大田区民たる赤ちゃんが、成人を迎えるのは20年後、その間に様々な教育を受け育ってまいります。また、まちづくりで言えば、計画から20年という長い時間を費やし、糀谷駅前地区再開事業が来月竣工を迎えます。このように、単年度で完結する多くの事業に比較して、まちづくりと人づくりには、長い時間が必要とされるのです。

さて、12月に竣工する糀谷駅前再開発事業。私は地権者として、平成8年以来、まちづくり協議会、研究会、再開発準備組合、再開発組合と、この事業にかかわってまいりました。しかしながら、竣工を待たずして、地元信用金庫への債務弁済のため権利を売却し、現在では関係がなくなってしまいました。しかしながら、20年の長きにわたり共に事業計画に関わった再開発組合役員、関係者の皆さん、さらには竣工を夢みながら鬼籍に入られた役員さんに敬意と感謝の念をささげたいと思います。
糀谷地区のまちづくりが大きく様変わりしてまいります。この場所を核にして糀谷地区の街づくりの拠点となるよう念じてやみません。
当初は、引き続き街づくりも質問する予定でしたが、時間の兼ね合いで第二の長期課題たる「人づくり」すなわち、教育問題につき質問させていただきます。
 国家百年の計、もしくは国家百年の大計という言葉があります。長期計画のことですが、実はそもそもの意味は「教育は国家百年の計」、として使用されていたようであります。正に、百年後の日本のために、いま教育を考えないとならないのであります。
 
それでは、教育についていくつかの視点から質問をしてまいります。
 我が国においても、18歳投票権が実施されました。国や生活する自治体の政治に若いうちから関わる事は、主権者として極めて重要であり、2歳若返りは結構なことだと思います。反面、社会経験に乏しい18歳、19歳の新有権者がAKB総選挙よろしく、人気投票のような投票行動になる懸念があります。
 また、一部反日左翼思想に被れた教員のマインドコントロールも大変心配なのであります。そこで、投票権18歳を受けて大田区立小中学校においても、主体的な主権者教育を行うべであると考えます。現在、小中学校における主権者教育は、システムとしての三権分立を教えているだけではあにでしょうか。そして社会科見学で、国会議事堂に行き「主権者教育」もどきを教えているのが実態のような気がするのです。三権分立の中の政治をシステムとして教えるのではなく、主権者として自らの代弁者を選ぶ「選挙」の重要性を教えるべきであります。
 国のお金が足りない、社会保障費が伸び続ける、消費税があがる、すべて政治の責任に転嫁するような有権者、主権者を作り上げてはならないのであります。政治の愚策、失敗は、実は、根源的にはすべて主権者たる国民、有権者の責任であることを学ばせなければなりません。
 これには、教えるべき教員も考え直さねばなりません。例えば、この場にいらっしゃる理事者の皆さん、さらには教職員、はたして「真に主権者」として投票行動をしているでしょうか。是非、理事者各位も自問自答してみてください。
 あなたが投票した、区市議会議員、都道府県議会議員、衆参両院議員の名前を思い出してください。思い出せない方は論外であります。大田区以外にお住まいの方は、お住まいの区市議会議員の定数を思い出して下さい。定員が何名か思い出せない?それではダメですね。
 そして、あなたが投票した各候補者が何を訴え、その結果、皆さんがなぜ投票したのか、さらには、当選したそれぞれの議員は、各議会においてどんな活動をしているのか、思い出してください。これが、主権者たる国民の「最低の義務」だと思います。人気投票や美人、美男コンテストのような投票行動は厳に慎まなければなりません。
 そこで、大田区における主権者教育の現状と、今後についておうかがいいたします。
「主権者教育」においては、教える側の教員の素養も極めて重要であります。一部思想にコリ固まったシーラカンスのような教員による政治教育では絶対に排除しなければなりません。そのうえで、教員自らが主権者としての権利の行使(選挙)に参加することは勿論、マスコミ報道や、女性だから、盆踊りに来ていた等の理由で投票することのないよう、教育委員会として教育委員会職員を含め、教育現場を指導すべきと考えるがいかがでしょうか。
教員には、行き過ぎた偏向報道を見抜く目、所謂メデイアリテラシーを養うことを求め、児童生徒に対しても、報道が必ずしも正しいとは言えない現状を学ばせるべきであると考えますが、いかがお考えでしょうか。
 
次に「中学校別評定割合」について、おうかがいいたします。これは、都内すべての区市町村が単独学級と中等学校をのぞく578中学校3学年の各教科の5段階評価の分布を学校ごとに一覧にし、東京都に提出したものであります。東京都は学校名を開示しますが、大田区は「いらぬ差別を生む」として開示せず、平成21年からは東京都に対しても学校名をアルファベットにして報告しています。この評価割合は当然のことながら、都立高校の入学試験内申点の基本となるものなのです。
 そこで私は、平成19年度以降、この学校別評定割合に学校名を付して公開し、学校間格差の是正を訴えてまいりました。先日、久しぶりに平成27年度の大田区中学校別評定割合を見て驚愕いたしました。学校間格差は、平成19年当時より拡大してしまったからであります。
例えば、国語科では、5を取る生徒の割合が30.7%の中学校と0%の中学校があるのです。数学では、25.9%の生徒が5を取る中学校がある反面、1.9%しか5を取れない区立中学校があるのです。主要3科目である英語では、最高が27.8%の生徒が5を取る学校と、2.3%しか取れない学校が、この大田区内にあるのです。
国語科0%の中学校は、社会科も0%、数学1.9%、理科5.6%、英語2.5%と、主要5教科すべてにおいて区内最低レベルの成績でした。同じ大田区立の中学校において、10倍の格差があることが読んで取れるのです。平成19年からこの問題に警鐘を鳴らしてまいりましたが、当時より学校間格差を拡大している現実を目の当たりにして、この間の学校間格差是正を教育委員会としてちゃんとやっていたのか、はなはだ疑問です。学校間格差是正につき、ここ8年間の取り組みをお示しください。
平成21年度までは各中学校名を公開していたため、上位校と下位校には、私見ではありますが、明らかに地域間格差を見ることができました。学校の成績格差が生徒の居住地によるとすれば、その原因は何なのかを検証すべきであると考えます。8年前、大田区教育委員会は、学校名の公開は「いわれなき差別」を助長する、と答弁していましたが、この5段階評定は否が応でも都立高校の入試に直結するのです。5が0%の中学校に在籍している生徒は、都立上位校への進学は夢、また夢であることは明らかであります。綺麗ごとを言っていないで、成績下位校の原因を精査し、それが地域間格差、つまり、保護者の所得格差であるとすれば、低所得者を保護者にもつ生徒の成績向上を図るべきが、公教育の責務であると改めて断じておきますが、どう考えますでしょうか。

区立中学校生徒の成績格差のベースは実は小学校にあることは、中学校教員の多くが認めるところであります。小学校の国語、算数で落ちこぼれると、授業そのものに興味がわかなくなり、成績全体も落ち込んでしまいます。大学生が中学校の数学を解けない、漢字が書けない、正しい敬語が話せない等、すべて義務教育を担ったもの、つまり我々基礎自治体の公教育の責任であるといっても過言ではないでしょう。
つまり、中学校の学校間格差を検証する場合には、その中学校区における小学校の成績分布まで確認する必要があるのです。その意味では、中学校区における小中連携はきわめて重要であり、低所得者を親に持つ小学校児童を中心に基礎学力の向上を図るべきが、中学校における成績の偏在化を防ぐ第一歩であると考えますが、いかがかでしょうか。 

厚生労働省の調査によれば、生活保護家庭の30%が三世代にわたり生活保護になるという結果がでております。また、就労可能世代の生活保護者の就労が大変難しいことは、大田区のケースワーカーすべてが感じていることではないでしょうか。つまり、自立意欲の教育が重要であることを物語っています。三世代の負の連鎖を早いうちに止めなければ、その児童生徒の生涯を残念なものにしてしまうことになりかねません。
祖父や親が、様々な原因で生活保護になった結果、その孫、子供までに生活保護が伝搬するとすれば、これは三世代の最終世代で食い止めなければなりません。最後のセーフテイーネットとしての生活保護を否定するつもりはありませんが、自立すること、挑戦すること、あきらめないこと、他人のせいにしないこと、いい訳をしないこと等、人生の生き方、考え方を小学校のうちから忍耐強く教育することが、落ちこぼれをなくし、フリーターなどという言葉をなくす原点であると思います。
このような「生き方教育」が出来る教員が求められますが、受験競争に勝ち残り、教員採用試験で高得点を取っただけで「先生」になる現制度のなか、どう「生き方教育」の出来る教員のスキルを高めていくのかおうかがいいたします。

いじめでの自殺、不登校などが報道されるたびに、教育委員会や学校側の対応の酷さが報道されます。が、懲りずにまた別の自治体で「お詫び」の映像が流れます。私は、一番の原因は「教育行政の責任者不在」であると考えています。区政の責任者は区長です。都政は都知事。警察は本部長。では、大田区教育委員会は?実は、教育委員会は合議制の組織で、制度上の教育委員長や教育長は存在しますが、責任者ではありません。判りやすいのは、区立小中学校の卒業式のお祝いの言葉。大田区からのお祝いの言葉の最後は「大田区長 松原忠義 大田区教育委員会」と結ばれます。つまり、教育委員会は会としての責任しか取らない、言い換えれば、大変失礼ながら人としては誰も責任を取らない組織なのです。

そんな制度の中、事務職の皆さんは「たまたま異動で教育行政」に数年間携わる、指導課長以下指導主事の皆さんは、学校現場から教育行政に数年間携わるわけです。数年たったら転勤異動されます。それで終わりです。
しかし、その相手である児童生徒は、区立小中学校が人生のスタートなのです。80年、90年続く長い人生の成否の基本が、大田区での公教育にあるのです。

どうか、教育を一時期の仕事ととらえず、人の一生を左右する極めて重要かつ崇高な使命であることを自覚して取り組んでいただきたいことを、強く強く要望して私の質問を終わります。