今朝の新聞記事について、1件は文句、1件は大きな賛意を贈りたい。
文句!(読売新聞1面 市議年金2012年にも破綻)
これは11月13日の日記に書いた、破綻が明らかな市議会議員年金は「詐欺」である、との内容をインタ-ネットで検索した記者が、区役所に訪ねてきて書いたものだ。
面談では詳細な資料を渡し、以下のように述べた。
① 破綻の原因は、国策で推進した「市町村大合併」の結果、退職議員が急増し、反対に現役議員が激減したことである。
②つまり、破綻はそもそも明白だった。であれば、国の責任において、現在の受給者には財政的支援をし、現役には、何某かの解約一時金を払って終結せよ。
③私の直近の報酬明細を渡し、月額96,000円もの自己負担を強制的に控除しておいて、破綻が明白など、詐欺である。即刻脱退したい。
と1時間近く説明した。ところが、読売の論調は、「公費負担過去10年で1100億円」と書き、御用学者らしき大学教授のコメント「雇用対策など自治体がすべきことが数多くあるなか、議員年金に税金を使うのは疑問」と、問題の本質をすり替え、読者におもねている。まったく、メデイアの情報操作は恐ろしい!
賛成!(産経新聞1面 もらうから与えるへ 曽野綾子)
これは産経新聞1面に連載されている「小さな親切、大きなお世話」の、本日の分である。
曽野さんが乗車したタクシ-運転手さんの話がまず紹介されている。この運転手さんは妻を若くして癌で亡くし父子家庭で、小さな娘さんがご飯を作って一人父親の帰りを待っているそうだ。「皿は父ちゃんが帰ったら洗うからな」と、夕食を一緒にすませて仕事に戻り、仕事が終わって帰宅すると、ちゃんと食器が洗ってある。「お客さん大したもんだよ」と。
ところが、曽野さんはあまり驚かなかったという。なぜなら、以前、地方都市で夫婦ともに重度の障害者である両親の面倒を、おむつをした赤ちゃんがみている、との驚くべき話を施設の神父様から聞いたからだ。
お父さんは歩いてトイレにいけない。そこで「尿瓶」と言うと、赤ちゃんが「尿瓶」を持ってきて、用を足した尿瓶をトイレに持っていって捨てる。この赤ちゃん自身も、おむつを汚すと、自分で新しいおむつを持って、歩けない母親のところに行き、ころんところがり、おむつを替えてもらう。そして、汚れたおむつを自分で捨てるのだそうだ。
さらに、ペル-で曽野さんが出合った母親が結核で息を引き取るまで傍らで面倒をみていた5歳と2歳ぐらいの姉弟の例を紹介され、最後に「あの運転手さんの健気な娘さんは、大きくなってから決してぐれたりしないだろう。」と述べている。人は、自分が他人に与える立場にいるという自信を持つ限り、自暴自棄になることはない、とも。その通りだ!
最後に、こう結ばれている。
今の日本は不満だらけだ。その理由は国家から、会社から、親からもらうことばかり当てにしているのに、彼らはそれほど豊かに与えてやれないからだ。親や国家が無能なのではない。だれも自分を助けてくれる人は本質的に
いないのだ。「赤ちゃん」まで親のために働ける。日本人の精神の方向性を、もらう期待から与える姿勢に180度転換すれば、この閉塞的な空気の重苦しさを解決する場面は多い。
この食うや食わずの状況で人を助けられますか、と言う人はあるだろうけれど、それは間違いだ。いささかでも与える生活はどんな貧しい境遇でもできる。与えることは国家社会に利用されることだ、という思想を払拭できれば、思いがけない道も開くのである。
そして、同じ一面に偶然だろうか、「産経抄」というエッセイに「貧者の一灯」という話が掲載されていた。貧しい生活をやりくりして神仏に納めた1本の灯明のことだそうだ。
経営していた会社が倒産して家族5人でワンボックスカ-で生活した経験を持つ濱田龍郎さんという方が、ある出会いから「障害者の家」を自力で建設するために頑張っていることを紹介している。禁酒禁煙、新しい服も買わず、資金を捻出し、お年寄りや障害者のために活動されているのだそうだ。
「産経抄」の最後は、こう結ばれていた。
「ずっと貧乏だったから、不景気と言われてもピンときません。逆に『貧者の一灯』が見直されるいい機会じゃないですか」。受話器から濱田さんの元気な声が聞こえてきた。
ふう~素晴らしい!議員年金に文句言っている自分が情けない!頑張ります!「貧者議員の一灯」が灯せるよう…
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文句!(読売新聞1面 市議年金2012年にも破綻)
これは11月13日の日記に書いた、破綻が明らかな市議会議員年金は「詐欺」である、との内容をインタ-ネットで検索した記者が、区役所に訪ねてきて書いたものだ。
面談では詳細な資料を渡し、以下のように述べた。
① 破綻の原因は、国策で推進した「市町村大合併」の結果、退職議員が急増し、反対に現役議員が激減したことである。
②つまり、破綻はそもそも明白だった。であれば、国の責任において、現在の受給者には財政的支援をし、現役には、何某かの解約一時金を払って終結せよ。
③私の直近の報酬明細を渡し、月額96,000円もの自己負担を強制的に控除しておいて、破綻が明白など、詐欺である。即刻脱退したい。
と1時間近く説明した。ところが、読売の論調は、「公費負担過去10年で1100億円」と書き、御用学者らしき大学教授のコメント「雇用対策など自治体がすべきことが数多くあるなか、議員年金に税金を使うのは疑問」と、問題の本質をすり替え、読者におもねている。まったく、メデイアの情報操作は恐ろしい!
賛成!(産経新聞1面 もらうから与えるへ 曽野綾子)
これは産経新聞1面に連載されている「小さな親切、大きなお世話」の、本日の分である。
曽野さんが乗車したタクシ-運転手さんの話がまず紹介されている。この運転手さんは妻を若くして癌で亡くし父子家庭で、小さな娘さんがご飯を作って一人父親の帰りを待っているそうだ。「皿は父ちゃんが帰ったら洗うからな」と、夕食を一緒にすませて仕事に戻り、仕事が終わって帰宅すると、ちゃんと食器が洗ってある。「お客さん大したもんだよ」と。
ところが、曽野さんはあまり驚かなかったという。なぜなら、以前、地方都市で夫婦ともに重度の障害者である両親の面倒を、おむつをした赤ちゃんがみている、との驚くべき話を施設の神父様から聞いたからだ。
お父さんは歩いてトイレにいけない。そこで「尿瓶」と言うと、赤ちゃんが「尿瓶」を持ってきて、用を足した尿瓶をトイレに持っていって捨てる。この赤ちゃん自身も、おむつを汚すと、自分で新しいおむつを持って、歩けない母親のところに行き、ころんところがり、おむつを替えてもらう。そして、汚れたおむつを自分で捨てるのだそうだ。
さらに、ペル-で曽野さんが出合った母親が結核で息を引き取るまで傍らで面倒をみていた5歳と2歳ぐらいの姉弟の例を紹介され、最後に「あの運転手さんの健気な娘さんは、大きくなってから決してぐれたりしないだろう。」と述べている。人は、自分が他人に与える立場にいるという自信を持つ限り、自暴自棄になることはない、とも。その通りだ!
最後に、こう結ばれている。
今の日本は不満だらけだ。その理由は国家から、会社から、親からもらうことばかり当てにしているのに、彼らはそれほど豊かに与えてやれないからだ。親や国家が無能なのではない。だれも自分を助けてくれる人は本質的に
いないのだ。「赤ちゃん」まで親のために働ける。日本人の精神の方向性を、もらう期待から与える姿勢に180度転換すれば、この閉塞的な空気の重苦しさを解決する場面は多い。
この食うや食わずの状況で人を助けられますか、と言う人はあるだろうけれど、それは間違いだ。いささかでも与える生活はどんな貧しい境遇でもできる。与えることは国家社会に利用されることだ、という思想を払拭できれば、思いがけない道も開くのである。
そして、同じ一面に偶然だろうか、「産経抄」というエッセイに「貧者の一灯」という話が掲載されていた。貧しい生活をやりくりして神仏に納めた1本の灯明のことだそうだ。
経営していた会社が倒産して家族5人でワンボックスカ-で生活した経験を持つ濱田龍郎さんという方が、ある出会いから「障害者の家」を自力で建設するために頑張っていることを紹介している。禁酒禁煙、新しい服も買わず、資金を捻出し、お年寄りや障害者のために活動されているのだそうだ。
「産経抄」の最後は、こう結ばれていた。
「ずっと貧乏だったから、不景気と言われてもピンときません。逆に『貧者の一灯』が見直されるいい機会じゃないですか」。受話器から濱田さんの元気な声が聞こえてきた。
ふう~素晴らしい!議員年金に文句言っている自分が情けない!頑張ります!「貧者議員の一灯」が灯せるよう…
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