いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

やっと普通の生活に。孫と入浴!

2007-04-30 | Weblog
 昨年秋ぐらいから、「選挙」を意識した生活だった。同僚議員には、毎月床屋をかえる、という兵もいるが、そこまでではないが、やはり心穏やかではなかった。

 戦い終わって、1週間。やっと事務所の撤去も終わり(終わらせて下さった、というほうが正しい)、暫し普通の生活に戻れるのがGWである。それにしても、当選と落選。雲泥の差である。たった200票の差で、今日のひと時が違った空気になるところだった、と思うとゾッとする。

 さて、今日はお待ちかねの「孫」が泊りがけで我家にやってきた。2月に生まれた彼の目をあけている顔を見たことがないジイさんは、心待ちにしていた。一回目は病院で出産直後に面会。その後、嫁の実家で会った時は、「さっきまで寝ないで困っていた」という声をよそに、ジイさんの来訪も無視して熟睡。お宮参りで我家に来た時も、ほとんど寝ていた。

 今日は、お泊りなので、さすがに起きている顔を見ることが出来た。そして、な、なんと一緒にお風呂に入る、というサービス付だ。息子や娘とお風呂に入ったのは、もう20年も前のことだ。

 ドキドキしながら湯船につけ、頭を洗ってあげると、おっ、笑った!!!
ジイさん大満足の休日の夜だった。←我ながら、ジジバカ!


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ガーデンパーテイに思うこと

2007-04-29 | Weblog
 今日は、区内各地で大田区子どもガーデンパーテイが行われた。私は、地元六郷地区の青少年対策委員として、早朝より作業にあたった。六郷会場は、広い多摩川の河川敷を利用して、各小中学校、幼稚園、町会、ボーイスカウト、トンビ凧の会などが、ブースを作って様々な催しを行う。晴天の春の一日、来場者は主催者側を含め9600人余りという大イベントだった。

 嬉しかったのは、多くの方々から「君のマニフェストを見て感動した」「演説は素晴らしかった」「政策は一番だ」など、思いもよらぬお褒めの言葉を頂いたことだ。えっ、この人も応援してくれていたんだ、と。

 そんな中、例によって次のような意見もあった。

君は、挨拶に来ない「票にはおもねない。仕事で評価してくれ」と言う。○○は、挨拶に来たし、必死に「票をくれ」とお願いする。どちらにしようかと悩めば、当然、君ではなく○○に投票する。お願いすべきだ。

 そんな趣旨である。そして、またまた「結構です」と、言ってしまった。仕事や政策で評価せず、挨拶や「お願い」で投票する、極めて日本的な発想は否定はしないが、そのような議員なら沢山いるだろうから、私である必要はない。負け惜しみではなく、私の求める支持者ではない。

 さて、地域内の顔役がすべて揃うイベントだけに、多くの政治家も来場する。なかには、先の統一地方選挙で落選した顔ぶれもあった。

 区長選挙に敗れた、元代議士氏は、ライバルの新区長と鉢合わせしたが、気にもとめずに各町会のテントに挨拶していた。また、地元から落下傘候補として区議選に出馬、僅差で落選した若人は、かわいい愛息をだっこして、挨拶まわり。これは、正に「日本的」で、人々の心をうつ。辛い試練だが、この敗戦処理は重要だと思う。

 さて、この地元の連合町会長が他の反対を押し切り応援し、落選した元区助役さんは、はたして来るだろうか。来れば大した進歩である。次回出馬しようが、しまいが、人として「お礼」をすること、そして、後始末をする心はその人の今後の人生すら左右する。

 文部科学省所管の社会教育団体、社団法人倫理研究所の創始者、丸山敏雄氏は「小さな事に末を乱す人は、大切な事に終わりを全うしない。」と、後始末の重要性を説いている。

 彼は、ついに会場に姿を見せなかった。残念である。



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餃子は中国?新区長さんのご挨拶

2007-04-28 | Weblog
 当選後、変わらず様々な会合にお招き頂いている。今日は、蒲田餃子まつりという、餃子やアジアの料理によって蒲田を活性化しよう、という地元紙「城南タイムス」主催の会合にお招きいただいた。

 餃子や、アジアの料理、そしてアルコールを頂きながら、蒲田の活性化を語るという企画は、そのほとんどが懇談と中国楽器の演奏にあてられていた、という時間配分の部分を除けば、その趣旨には大いに賛同できるものだった。

 私も、一区民の立場として発言した。それは、JR蒲田と京急蒲田を結ぶ「通称 蒲蒲線」計画は、区民や区内商業者のためにはならない。いかに、航空旅客を蒲田に降ろすかを考えるべきである、という点だ。また、駅前景観など、行政主導のまちづくりの必要性を訴えた。

 また、JR駅ビル改装という名の新築工事に大田区のまちづくりの思想がまったく反映されていないことへの不審をも述べた。

 途中参加された、新大田区長は、宇都宮徳馬代議士秘書時代からの「日中」の架け橋の実績を訴えられたが、そのことは些か会の趣旨とは、そぐわないものだった。なぜなら、餃子まつりの主催者の意図は「餃子を通じての街づくり」や「蒲田の活性化」であったのに、彼が訴えたのは「国際化」と「親中国」だった。参加者に中国籍の人間は皆無。ほとんどが、商店主やまちづくりの専門家である。側近の情報不足の結果であろうが、いささか今後の区政運営に不安が残る。

 過去の場違い挨拶の事例には以下のようなものがある。

①ある有名人の息子の代議士
 戦没者遺族会の挨拶で「過去の大戦で、軍人の独走を止められなかった政治を反省し、そのようなことのないよう政治家として頑張る」と挨拶。しかし、その場にいた人々は、彼が「独走」と断じたした軍人の遺族だった。

②ある元都議
 中華麺業組合の新年会で「私はソバが大好き」と挨拶。大顰蹙。

 物事を深く考えず、会合のハシゴをし、その場しのぎの挨拶をすると、このようなことになる。

 新区長には、就任直後のことで、会合も多く、事情がわからなかったのだと思うが、今後、前政権が民間任せにしていた「観光行政」にもご注目いただきたいものである。



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松原新区長初登庁

2007-04-27 | Weblog
 昨日の離任に続き、今日は、新区長の初登庁だ。地元駅の駅前演説をすまして区役所に向った。

 選挙戦で日焼けされた、新区長は、昨日より若干少ない職員に迎えられて区役所に入られた。厳しい戦いの末での初登庁。感無量であると思う。また、先月まで、都議会議員として執行側を監視する側だったのが、執行側にまわる不思議。さらには、まちづくりや福祉政策を思い通りにできるポジションには、望むべくもないが、いささか羨ましくもあった。

 出迎えには、昨日の見送りとは、うって変わって、自民党の議員団が出迎えた。私と自民党以外には、他会派の議員はいない。これから、4年間、車輪の両輪として区政を運営する立場であるはず。戦いは戦い。終わったら、すなおに祝賀するのが、我が国の伝統文化であると思うが‥。いや、皆さん、選挙後でお疲れだったのだろう。

 松原区長、どうか4年間、共に激論を戦わせながら、大田区に20年間失われていた、本来の2元代表制を再構築して頂きたい。よろしくお願いします。



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ご苦労さん!西野大田区長離任式

2007-04-26 | Weblog
 議会の控え室にいると、区長退任の庁内放送があった。56年前に徴税臨時吏員として採用された当時から、56年間を振り返り、エピソードを添え最後に「ありがとう」と結ばれた。

 区役所の金庫にお金がなく、給与は本給と手当が別の日に支給された等のエピソードには、信じられないとともに、時代の流れを感じた。その後、1階ロビーでの見送り行事。

 ロビーには、各職場の職員があふれ、すごい熱気と拍手だった。一人一人と握手して庁舎を去る区長の後姿を送り、一つの時代が終わったと痛感すると同時に、良くも悪くも偉大な人間だったんだな、と今更ながら思った。

 彼の最大の失敗は、後継者へのバトンタッチだった。敗因は、後継者の政治家としての資質(選挙向きかどうか)や素人選対の問題も大きかったが、区長の決断と発表時期、事前の調整不足が最も大きな原因だったろう。

 議会では、随分と嫌味を述べ、文句を言い、反旗を翻したことも度々だったが、最後は少しばかり瞼があつくなった。残念なのは、区長与党として、あれだけ親しかった議員たち、見送りにいたのは、私以外に2名だけ。去る者に用はない、ということだろうか。悲しい性だな。

 西野善雄区長、長い間、ご苦労さんでした。ゆっくりしてください。



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当選証書授与式

2007-04-25 | Weblog
 今日は、当選証書授与式である。50名の16期大田区議会議員(正確には予定者、任期は5/1から)が一同に会する。

 今回は新人が11人もおり、新学期のクラス替えのような新鮮さがある。ポスターでだけしか会っていない方もおり、おもしろい。なんだ~ポスターよりいい顔じゃん、とか、ポスターインチキとか、様々である。しかし、流石に史上初の1万票は「いい男」だった。(負けた~)

 当選証書は、50音順(獲得票順ではない)に、選挙管理委員長より授与される。前期までは、丸めて筒にいれる形式だったが、今回から卒業証書のように、見開きのケースにいれて渡された。見栄えはいいが、特別使い道のない「証書」でもある。

 配布資料として、地方自治6法、と議員必携という参考書が全員に配られたが、この4年間に、これらを1回もあけない議員さんがいるのは、残念なことである。今期は、そんなことのないよう祈るばかりだ。

 また、11人の新人さん達には、議会の悪習に囚われず是非とも以下のことを実行して頂きたいものだ。

①ハンコを議会事務局に預けて、事務局で勝手に押印することをやめさせよう。(押印は自ら、書類を確認して押すのが責任ある者の行為)

②本会議での質問全文をお役人に渡すのをやめ、趣旨通告に変えよう。今のままでは、本会議ではなく「朗読大会」である。また、間違っても、お役人に質問原稿を書いてもらうなどということはやめよう。

③新人も参加できる海外視察(1人80万円)、米国親善(60万円)、中国親善(40万円)への参加を拒否しよう。区民は納得しない。

④委員会では、お役人に一方的に質問する「質問大会」ではなく、議論をし、議会の意見をまとめる訓練をしよう。

⑤新年会や盆踊りより、各種セミナーや勉強会に積極的に参加しよう。

 さあ、3期目の議会。流石、3年生と言われる活動にしよう!



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選挙結果の分析or言い訳

2007-04-24 | Weblog
 今回で4回目の選挙である。その得票数は以下のとおり。

平成7年1585票(新生党がなくなり新進党公認) 平成11年3254票(自由党公認) 平成15年4692票(自由党公認 9位) 今回 2880票(諸派 自由党 47位)

 活動量、議会での活動、ネットでのアクセス数など、不遜かもしれないが、今回の票数はなんとしても自分自身納得がいかないというのがホンネである。

 よく業界では「票読み」と言うが、投票用紙に記名する訳ではないし、後援会名簿も100%投票するわけではないので、なかなか難しい。今回の激減の理由を自分なりに分析し、言い訳にしたい。(←自分自身への)

①自由党を名乗っていても、小沢自由党は民主党に合流してしまった。世田谷区で同様に小沢氏のシンパだった前回上位当選だった区議が、やはり下位になったことを見ても、この影響は相当あったと思う。つまり、前回の票の相当部分が「いぬぶし」ではなく、「小沢」又は「自由党」支持票だったのだろう。

②発言が過激すぎたことも要因としてあげられるだろう。期間の前から駅頭では、「アホな教員」「職員の天敵」など、無関心層が興味を引くような発言を繰り返し、期間中は、行政の無駄使いの好例として、公務員給食調理員の時給3500円と、民間委託の調理員の時給850円を対比して訴えた。このことが、「和をもって‥」の国民性から、嫌悪となった可能性はあろう。

③QRコード付の宣伝カーを使い、うぐいすにも「検索サイトで検索して」と、訴えさせた。激辛日誌のアクセス数は39万を超えた。が、それらに興味のある年代、層は、そもそも投票率の低い層でもある。私自身のネット過信があったかもしれない。が、逆に、ネットがなかったら「落選」だったことも事実である。ここは読めない。

④選挙中にも書いたが、いくつかの誹謗中傷ネタが各地で流された。特に、地元では、カラー写真入りのチラシを含め、「反いぬぶし」のチラシを何度も配っていた方がいた。関係者は事実無根とわかっていても、知らない人は「議員=悪」という一般論がマスコミから流されているので、信じてしまう可能性はある。

⑤ポスターの失敗もあるだろう。上位3名の民主党候補はいずれも新人。男性1人はイケメン。2人目は、届け出順1番でポスターも右カド一番上。真っ黒の下地に白字で「黒い政治を白く」とある。傑作だ。女性新人候補は8000票近くを取った。若いことと、「お願い~」という視線にはまいった。投票日に投票所近くの掲示板前には、ポスターで悩んでいる有権者がたくさんいる。567ケ所の掲示板1ケ所あたり、1人が気に入って頂ければ567票が上乗せされる。今回、300ケ所以上のポスターが水濡れで最終日までに色が抜け、惨めな姿の私があった。100ケ所以上は張り替えたが、この影響も大きい。

⑥区長候補として応援した方のためのマイナスという声も一部にあった。確かに、この候補を正面きって応援した現職3名のうち当選したのは私だけ。残り2名は落選してしまった。そのような側面も若干はあったろうが、この候補を応援したことによる、新たな支援者もあり、又、「正論を貫く」ということで、このことは反省材料にはならないと思っている。

 以上のそれぞれが、少しづつ影響した結果が今回の得票であろう。とすれば、今回ご支持頂いた2880人がこそが、小沢氏でもない、ポスターでもない、本当の「いぬぶし党」の支持者である。

 ありがたいことだ。この結果を真摯に受けとめ、今回初当選したつもりで、次回は「いぬぶし党員」を倍増させる決意である。ありがとう2880人の仲間の皆さん!



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なんとか当選!ショック!!!

2007-04-23 | Weblog
 今朝は、開票立会人である知人を開票所へ送り、その後、地元の駅前にたった。一昨日まで、毎日うるさく立っていたのに、終わったら立たないというのは、私の信義にあわないからだ。

 選挙中には使えない、名前の入ったノボリ旗をたて、「選挙結果はまだですが、一週間ありがとうございました。」と、頭を下げた。選挙は、人の心を浄化させ、そして昇華させる気がする。

 一週間、多くの人々の善意にさらされると、心が清らかになる。結果よりも、心から「ありがとう」と頭を下げたくなる。千葉から一番の電車でくる顔馴染みの花屋のおばさんが「あんたは、大丈夫だよ」と励ましてくれる。毎朝駅前を掃除しているスーパーの職員のおじさんも「がんばれ」と優しい。

 あと2時間後には結果がわかる。正直、ドキドキである。

 午前10時すぎ。第1回の開票がでた。同じ地区では、ほぼ横並び1000票である。うう~ん。前回は、この時点で3000票が出て当選確実となったのが、今回はどうしたことだ。

 11時の開票速報がはいる。開票率90%、10000票を獲得する新人など、当選を確実にする候補者が続出するなか、私は2600票。2800票以上の候補は、すでに47名。残る議席は3議席。同順位の候補者が3名。その下に200票差で3人が並ぶ、ビリ争いの集団に入ってしまった。

 え~え~!!!頭が真っ白になった。一体、俺の4年間はなんだったのだ。議会での活発な発言や、マニフェストは評価されないのか????選挙事務所にいると、発狂しそうなので、お隣にある町会会館の事務所のコタツで横になった。一人で考えたかったのだ。頭には「落選」の文字がうかぶ。

 すでに、同僚議員2名が落選を決定的にしている。まさか、まさか!自分が、こんな立場になるなんて。心が大きく乱れる。すると、選対婦人部の女性が、「おそばでも食べて…」と、出前のもりそばを持ってきて下さった。「お茶も飲みなさい」と。何も選挙のことに触れない、温かい母親のような心遣いに涙がこぼれた。
きっと、大丈夫。こんな方々が応援してくれているんだから…

 結果、最終確定で2880票、50人中47番で当選。ひやひやだったが、なんとか残った。皆さんは、「ビリもトップも同じ」と慰めて頂くが、心穏やかではない。反省と分析をしなければならない。
 
 いずれにしても当選したこと、感謝!感謝!ありがとうございました。




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いよいよ投票日

2007-04-22 | Weblog
 今日は投票日。心配なのは天気だ。雨や晴天はいずれも投票率が下がり、私のような候補者には不利だ。午前中雨、午後晴れというのがベストらしい。今日は、強風の曇天。まあまあである。

 妻と朝一番に投票所に行く。掲示板を見ていた男性から、突然「あんたのポスター、白い歯と力こぶしが気に入って投票したよ」と声をかけられた。ポスターや、握手したから、という「支援の言葉」は一番がっかりする。

 自分の選挙の投票は、いつもながらドキドキする。祈るような気持ちで投票箱に入れる。よろしくお願いします。

 大田区は、即日開票ではないので、今日一日はやることがない。選挙カーの看板はがしや、事務所整理をしてすごした。普通であれば、夕食にはビールが必需品なのだが、「当選」の報を聞くまでは我慢である。

 多くの人々の善意に支えられて今日の日を迎えた。落選は、自分にとって大事件だが、それ以上に支援者に申し訳がたたない。なんとしても、勝ち残らねば。選挙は、出産と似ている。最初は、男がいいとか、女がいい、色々な思いがある。でも最後、出産前になると「どちらでもいい。無事生まれてくれ」と思う。

 選挙も、つい昨日までは「少しでも上位当選」を願っていたが、ここまでくると、「兎に角、当選できれば…」と変わってくる。

 さあ、明日だ。神様お願い!!

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。)



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いよいよ選挙戦最終日

2007-04-21 | Weblog
 7日間の選挙も最終日を迎えた。だんだん体が選挙モードに慣れてきて、もう1週間ぐらい戦っても大丈夫かもしれない。今日は、わが選対には珍しく、分刻みでの街宣である。

 防衛省の官舎の下からは、ハンドマイクで「自衛官出身の議員」であることを訴えると、ベランダから何人かが手を振り、演説を聞いて下さる。昭和47年に自衛隊生徒として、航空自衛官になり、この歳まで「仲間」と思って頂けることに、声が途切れ、涙が出た。

 打ち上げは、事務所前で18時から。地域の方々、選対の方々が集まっていただき、1週間の感謝を申し上げた。その後、私を先頭に「いぬぶし!」の掛け声で、町内を練り歩く「通称 ももたろう」を行い、最後の遊説に出かけた。

 20時、これをもってスピーカーを使っての選挙活動は終了。肉声を出して駅前に立ったり、宣伝カーに照明をつけて止めておく、といったパフオーマンスは可能だが、選対の忠告もあり事務所に戻り、カツどんでしめた。

 ただ、選対の幹部が壁にはってくれた言葉が気になり、最後の仕事ポスター張替えに私一人で出かけた。その言葉は「火事は最初の3分、選挙は最後の3分」というものだった。

 私が最後に出来ること、それは、脱色してしまったポスターの張替えである。選挙管理委員会に確認すると、本日深夜0時までは張替え可能とのこと。残ったポスターを持って、各投票所周辺の掲示板へと向かった。

 近隣は、すでに選対の皆さんが張り替えてくれたので、出かけたのは遠方のものだ。不案内なうえ深夜のため、なかなか場所がわからず、結局時間いっぱいで張り替えられたのは30ケ所あまり。

 最後に、地元の神社に1週間の無事を感謝し明日の当選を祈願した。
結局帰宅は、深夜1時。ふう~終わった。後は、明日の審判を待つのみ。皆さんありがとう。

(公職選挙法の趣旨により、この日記は4/25にアップしたものである。)



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