トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

中山道 細久手宿〜鵜沼宿

2024年03月11日 | データ
■2024.03.08 中山道の美濃路二日目。
昨夜は湯たんぽで暖かく寝れた。
朝食は7時からなので軽く散歩でもと考えたが冷え込んでおり、ファンヒーターを動かす。
出立の準備を一通り済ませたらちょうど7時になった。

素朴な朝食も美味しかった。
部屋を整え、さあ行くぞ。
出立の際は奥様も見送りしてくれた。

しばし谷あいの田園風景の中をいく。
観音様が多い。
細久手宿〜御嶽宿までは11.8km。
朝の珈琲は自販機。

秋葉坂からは往時の面影を色濃く残す山の尾根道を進む。
上がりきった所に旅人も手を合わせただろう三尊石窟がある。
馬酔木の花も咲き出している。

中山道は皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐ際に通った路。
そのため皇女和宮ゆかりの地が多い


皇女和宮
 「惜しまじな君と民のためならば 身は武蔵野の露と消ゆとも」
第14代将軍徳川家茂夫人、仁孝天皇第8皇女。嘉永4(1851)年6歳で有栖川宮熾仁親王と婚約するが、文久2(1862)年公武合体のため徳川家茂に降嫁。慶応2(1866)年家茂の死後、仏門に入り静寛院宮と号す。戊辰戦争の際、江戸攻撃の中止や徳川家の存続に陰から尽力した。

諸之木峠の御殿場跡(休憩の仮御殿が建てられた場所)
木曽路でも皇女和宮ゆかりの場所は多かった。


耳神社では参拝。
御嶽宿が近くなると町中をゆく。

御嶽宿
人口:600人、家数:66軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:28軒(1843年)

西から北へ向かう宿場で重要な宿場だった御嶽宿。

御嶽宿から伏見宿までは4.8km

伏見宿
人口:485人、家数:82軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:29軒(1843年)


昼食は道沿いの喫茶店のランチ。
昭和色満載の喫茶店で流れているのは1970代の曲。
ゲーム機テーブルの有りです。
でも生き残っているのでランチは美味しかった。

伏見宿から太田宿まで7.9km

●中山道 三大難所は
 木曽のかけはし
 太田の渡し
 碓氷峠がなくばよい
と言われる、ここは太田の渡し


太田宿
人口:505人、家数:108軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:20軒(1843年)
見どころは多い。
ここからは木曽川沿いを歩く。川風が強くレイヤリングを重ねる。
太田宿から鵜沼宿は7.9km。
本日最後の峠へ木曽川を外れる。
下り坂の市街地を通り鵜沼宿へ。

鵜沼宿
人口:246人、家数:68軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:25軒(1843年)

ここも見どころが多い。
名鉄鵜沼宿駅まで10分程。
■コースタイム
山行8:24+休憩0:24=合計8:48
距離:67.6km(二日間)
歩数:96,647歩(二日間)


御嶽宿が近くなるにつれて市街地を通るようになった。
そういう意味で大井宿から細久手宿は山の中を通るルートが多く、当時の一里塚も多く残っており古を感じられる路だった。
鵜沼宿から先は(京都方面)市街地のルートが続く。


今回のクルーは中山道の美濃路(岐阜県内の宿場)なので残りを日帰り2回で繋ぐ。

日帰り①
鵜沼宿 (うぬま) (岐阜県各務原市)
加納宿 (かのう) (岐阜県岐阜市)
河渡宿 (ごうど) (岐阜県岐阜市)
美江寺宿(みえじ) (岐阜県瑞穂市)
日帰り②
赤坂宿 (あかさか)(岐阜県大垣市)
垂井宿 (たるい) (岐阜県不破郡垂井町)
関ヶ原宿(せきがはら)(岐阜県不破郡関ヶ原町)
今須宿 (います) (岐阜県不破郡関ヶ原町)
柏原宿 (かしわばら)(滋賀県米原市)


中山道 中津川宿〜細久手宿

2024年03月10日 | データ
天気の良さそうな2024.03.07-08の二日間で中津川宿から鵜沼宿までを歩く。
さっそく「細久手宿の大黒屋」へ電話し宿の予約。
中津川宿からだと10時間位かかるのでなるべく早く出立することを進められた。
どうも話を聞くと十三峠で時間がかかるとの事。

そこで計画を変更し地元の駅を始発でスタートする事にした。

■2024.03.07 早朝4時30分頃起き出し軽く朝食。
地元の駅を05:29の始発に乗込む。
金山駅でJRに乗り換え中津川駅までドンコウで向かう。
所要時間は約2時間。
中津川駅には7時40分頃到着。

東濃随一栄えた商業の街「中津川宿」
人口:928人、家数:228軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:29軒(1843年)

道先案内は紙地図とgoogel mapとYAMAPのでGPS軌跡。
駅から南方面に歩き出し旧中山道に入る。

7:55 中津川宿
恵那山も朝日に輝いている。
栗きんとんの「すや」本店や「川上屋」本店も中山道歴史資料館も残念ながら営業前です。

幕末の足跡も残っています。
幕末に尊王攘夷を唱えて戦った天狗党水戸浪士の墓や、桂小五郎の隠れ家跡が今も残り、薩長の密談・中津川会議が行われるなど、江戸から明治へと変わる激動の時代のカギをにぎった宿場
中津川宿は支配もゆるく情報の交差点となっていたからですね。
ただ長州は好きではないです。
バイパスは少し離れた山側なので意外と静かで見晴らしが良い。
中津川宿から大井宿までは9.8km。
雪を被った御嶽山も見える。
新規購入のトレランシューズも調子が良い。
かたカメラは重い一眼レフでなくコンデジの方が良かったかもしれない。

10:02 大井宿。
大井宿〜大湫宿までは13.7km。
  • 人口:466人、家数:110軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:41軒(1843年)
ひし屋資料館に立ち寄りしばし雑談。
古いお雛様が沢山展示されていた。
十三峠は食事や水分を補給する場が無いので十分持ってくように教えてくれた。
大井宿には枡形が6箇所もあり珍しい。

さあ十三峠に入ります。

「十三峠におまけが七つ」と言われ起伏が激しい。
(江戸方)西行坂、七本松坂、槇ヶ根坂、乱れ坂、お継原坂、かくれ神坂、平六坂、紅坂、黒すくも坂、西坂、三城峠、茶屋坂、新道坂、観音坂、権現坂、鞍骨坂、吾郎坂、巡礼水坂、びやいと坂、曽根松坂、地蔵坂、しゃれこ坂、山之神坂、童子ヶ根、寺坂(京方)


当時の一里塚がちゃんとついで残っています。
人里離れた尾根道で当時のルートを忠実の巡っています。
ここで初めて人と出会う。
かなりの頻度で茶屋跡が出てきます。
やたらと茶屋後が多い。
云うほど起伏は激しくなく快適。暑い時期は水分補給が多くなりそう。
雉が勢いよく走り抜けた。
途中ゴルフ場を中山道が分けています。
多分、中山道ゴルフ倶楽部。
尾根上の路で風が抜け、日陰では寒い。レイヤリングを調整しながら進む。
石碑は多いが当時のものは意外と少ない。

13:29 大湫宿。
人口:338人、家数:66軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:30軒(1843年)


十三峠と琵琶峠の間にある盆地なような場所。
旧森川訓行家住宅:
江戸時代末期建築。中山道大湫宿の旅籠や問屋を兼ねた住宅

ここでしばし時間調整の休憩。
進められた大湫神明社の大杉と観音堂の天井絵へ。
この杉は数年前に倒れ地元の方が保存。(テレビで見たことがある)
大湫宿を出る前に細久手宿の大黒屋へ電話。(宿から掛けるよう言われたので)
大湫宿〜細久手宿までは5.9km

最後の峠へ「琵琶峠」

琵琶峠は美濃の中山道十六宿の中で最も高い峠(標高557m)です。全長約730mに渡って石畳が敷かれており、日本一の長さと言われている。


15:34 細久手宿。

人口:256人、家数:65軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:24軒(1843年)

大湫宿と御嶽宿間が長いので慶長15年(1610年)に新設された宿場。

細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、他領主との合宿を嫌った領主尾洲家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、『尾州家定本陣大黒屋』のはじまりである。
大黒屋は国登録有形文化財で本卯建・玄関門・式台・上段の間なども往時のままに残っている。

大黒屋外観。

今回の中津川宿〜鵜沼宿までの踏破で一番楽しみにしていたのがこの江戸末期の姿を留める大黒屋に宿泊することです。
当時のまま残る「上段の間」で止まります。

本日の宿泊は白人のご夫婦と私の3名。
江戸時代の尾州尾張藩や裕福な旅人が泊まった宿に泊まれて最高です。
不便や面倒が楽しい。
トイレとお風呂以外は当時のまま。
テレビもあるが点けないで過ごす。
廊下を歩くとギシギシ。
ガキの頃からチャンバラが好きでここはたまらない。

江戸時代の木賃宿に泊まりたいが日本に残っていないのが残念。
素朴な夕食は美味しかった。
アマゴの炭火焼きは丸ごといただく。

部屋はやはり寒いのでご主人が湯たんぽを入れてくれて快適でした。

途中からチェックインの時間に合わせるためずいぶんのんびりペースにしたがそれでも宿のご主人に言われた時間より2時間は早く到着。
■タイム
山行7:36+休憩0:17=合計7:53
距離:32km 平均時速4km/H。
歩数:49,130歩



中山道「美濃路」踏破計画

2024年03月05日 | データ
古道、街道歩きシリーズ。
今回は中山道の美濃路(岐阜県内の宿場)を歩く。
岐阜県を通る中山道は木曽路「馬籠」から美濃路の今須宿まで「十六宿」有る。

木曽路は、桜沢から馬籠・落合間にある立場茶屋まで22里。この間に北から贄川・奈良井・藪原・宮ノ越・福島・上松・須原・野尻・三留野・妻籠・馬籠の十一の宿場がありる。

木曽路は既に2回歩いていてこの時に落合宿・中津川宿も踏破済み。

今回はその先の中津川宿〜今須宿さらに柏原宿までを歩く。

過去の経験から日に40-45kmは歩けるが、今回は歩き出す時間が少し遅いのと頑張っても日程が変わらないので4日間で歩くことにして日に30km前後で計画。
それを元に立てた計画は
週に4回のテニス、トドクロちゃんとの買い物などを優先するので充てれる日程は週に2日。
この2日を踏破に充てる。一日に約30km歩き、一泊二日、日帰り2回の延べ4日で分けて歩く。

■第一回目(一泊二日)中津川〜鵜沼宿
自宅から電車を乗り継ぎ中津川駅まで行き、そこから歩き出す。
初日は細久手宿の国登録有形文化財の「大黒屋」へ泊まる。(31km)
翌日は、鵜沼宿まで(32km)歩き、鵜沼宿駅(名鉄)で帰る。


■第二回目(日帰り)鵜沼宿〜美江寺宿
名鉄で鵜沼宿駅まで行き、そこから美江寺宿まで27km歩く
美江寺駅(樽見鉄道樽見線)から電車を乗り継ぎ帰る。

■第三回(日帰り)美江寺宿〜柏原宿
自宅から電車を乗り継ぎ美江寺駅へ、そこから柏原宿まで27km歩く
柏原駅(JR東海道本線)から電車を乗り継ぎ帰る。

比較的家から近いので日帰りを組み合わせて計画できたが第一回目は公共交通機関の連携が悪いので当時の面影が残る旅籠に泊まることにした。

最終的には京都三条大橋までを目指す。
※柏原宿〜京都三条大橋(中山道近江路)は今後歩きたい。

踏破用に靴を新調。
木曽路や熊野古道を歩いたときのように今回もトレランシューズを選択。
ちょうどadidasショップで半額で購入できた。
ウォーキングシューズ同様歩きやすい。
違いはソールが頑丈で滑り難いパターンとなっている。

過去の古道歩き

お雛様と地元の変な和菓子

2024年03月03日 | データ
今日はお雛様、トドクロちゃんが毎年飾っています。

簡易的なお飾りなので御所車などは・・・・


それに伴い、お雛様のアレンジフラワーが至る所に。
そこら中にあるので気づかないこともある(怒られます)

我が町の変な和菓子を。

トイレのさいちゅう。
トイレの最中
あんこを自分で入れる方式の最中です。
衛生陶器の最大手がこの町にありそれとコラボ?

意外にリアル。

新調した湯冷ましでお茶を入れます。

季節の行事は昔と変わらず続ける、田舎の家族です。