かぶれの世界(新)

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東京郊外の生活2023-24(3)

2023-12-16 21:01:30 | 日記・エッセイ・コラム
名古屋・日間賀島の気まま旅から戻ると三日おきに体調がコロコロ変わり安定しなかった。帰京翌日から血圧が上昇、3日目には平常血圧に戻ったが、更にその3日後に突如肩痛が発生し、その3日後になって痛みを我慢できず病院に行き、治療を受けて3日目にやっと痛みが和らいできた。

気が短い私は体調が変わるたびに若干イラついた。短気な自分のことはさておき、似た様な反応を示す田舎の短気な友人を思い出した。長年医者の治療を受け薬を適当に服用してきた高血圧は、何かあるたびにどう変化しどう対応をすればいいか分かっている積りだ。

ここに来て気になっているのが体重が70キロ弱に増えたことだ。近年体重が毎年1キロ程度増えていたが、今年4月に偽痛風で入院して以来運動量が減って68キロ台に増え、更に今回の旅行後に70キロ弱に増えた。肩痛が軽くなったら運動量を減らし、当面68キロ台に戻す積りだ。

今日は天気予報では曇天だが気温が高くなりそうだったが、朝方の雨の予報が当たらず晴れ間が見え始めた。洗濯物干しにベランダに出ると暖かい空気に触れて今日の予定を変更しようと思った。来春の雲取山登山に備えて脚力強化の為、午前中にネット検索を終わらせ午後一で家を出た。

前回は府中街道・南多摩・川崎街道・桜丘経由で多摩丘陵を歩いたが、今回は足を延ばし関戸橋を渡らず多摩川上流の野猿街道に向かい、橋を渡って府中四谷から路地道を歩き中河原駅経由して自宅に戻った。関戸橋から四谷橋(野猿街道)の間に10匹弱のシラサギの群れを3つも見かけた。いつもは川岸に見かけるサギが、今日は暖かかったせいか浅瀬に立ち水を浴びる姿も見かけた。

帰宅すると2.2万歩16キロ弱の距離を歩き、10月みたいな暑さの中で汗だらけになっていた。前回に比べて約3キロ長い距離を歩いたが、多摩丘陵の緩い上りより下りの方が足にきた。次回はいよいよ高尾山・陣馬山縦走にトライする積りだ。今日の結果から想定すると無理をせず、早朝家を出て夕方暗くなる前に自宅に戻る程度の歩きだったら何とかなると思う。

自宅に戻る途中で南武線を渡る陸橋に向かう坂を次々と高速で走る自転車がすり抜けて行った。殆どは若い女性が乗った電動自転車で、しかも子供は乗せていなかった。最近、若い女性が高速で走る姿をよく見かけるようになった。府中市は殆ど平地だが南北を分断するハケ(崖線)があり、10m程度の坂がある為あちこちに坂があるので買物にも電動自転車を使うのだ。■
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80肩!?(2)

2023-12-14 17:39:01 | 健康・病気
一昨日整形医の治療を受けたが、肩の痛みは相変わらずだ。家内に言わせるとそんなに劇的に良くなることはないという。私だってそんなことは分かっていると思ったが、喧嘩になるので口に出しては何も言わなかった。個人的には、少しでも良くなっていると実感出来るのが大事だと思う。

問題は私がせっかちで早く良くなったと実感したいと思っていることだろう。昨日は想定通り鎮痛剤のマイナス効果で体重が急増した。なので鎮痛剤の服用を一旦停止し痛みを我慢してみた。特に肩より高く手を挙げて洗濯物を干し取り入れる時の痛みは辛く脚立が必要だった。

肩痛に処方された鎮痛剤(ロキソニン)のプラス効果は体感的には期待通りではなかった。だが、起床時の血圧は理想に近い126-76だった。素人判断的には体内の臓器は痛みの影響を受けていないという事のようだ。それではと昨日は自分の身体を実験台にして鎮痛剤服用を一旦中止してみると、今朝方の血圧は139-83に上昇したが、体重は0.5キロ増えた。

たった1回の実験だが、まるで若い頃の電子計算機の論理設計みたいに、鎮痛剤服用中止(入力)と体重と血圧(出力)の方程式が反応した。だが、実は昨夜就寝時に多少の雑音を入れてみた。深夜の肩の痛みを軽減する為に就寝前に焼酎のお湯割りを一杯飲んだ。結果は血圧と体重以外に、持病の頻尿が酷くなって今日は1日寝不足だった。

トータルで症状はどうなっているか、「体調が良くなっていると実感できるか」で私は素人判断する。判断基準は洗濯物干し取入れが楽になったかどうかで、昨日より少し楽になった。昨日まで左手が肩までしか上がらなかったが、今日は鼻のあたりまで上がった。たった10センチ程度改善されただけで脚立を使わなくても私の役割を果たせた。

生活という点では少しずつだが明らかに改善したと思う。今夜は鎮痛剤を服用して再度様子を見る積りだ。痛みが無くなったら鎮痛剤の服用を中断して良いと先生の了解をとってある。

(補足)一昨日治療を受けた時に化石化した筋を注射で潰したが、同日夕予定していたコロナ接種をすべきか確認した。先生は一瞬考えて接種は延期する様にと答えた。理由はもし体調異変が起こった時に何が原因か判断が複雑になるからという。帰宅後に市役所に連絡し接種延期を申し出た。担当に医者の説明を伝えると速攻で了解してくれた。私も万が一の為の安全な判断だと思う。■
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80肩!?

2023-12-13 18:17:04 | 健康・病気
昨日左肩の痛みを見てもらう為に医者に行く途中、向かいの家の年上の友人に出会った。息子夫婦と同居しているが台所は別々で買い物袋をぶら下げている彼を見て、「買い物は1週間に一度じゃなかったの、昨日も買い物したでしょう、何で?」とからかい気味に聞いた。

彼は「あんたも買い物の途中?」と切り返し、私が「肩の痛みで病院に行く」と答えると、「80肩?」と嫌味たっぷりに聴いてきた。私は去年後期高齢者になったばかり、80になるのはずっと先のことと思っていたのでギョッとしたが、笑って手を振った。彼とのやり取りはいつも楽しい。

今月初めの名古屋・日間賀島の気まま旅から戻って血圧が上昇、3日目には平常血圧に戻った。食事に気を付けている積りだが何故か体重が増えたままだ。更に旅行後5日目頃から左肩に痛みが出始めて、徐々に痛みが悪化し朝晩の着替えや洗濯物干しなどの生活に影響が出てきた。

一昨夜は深夜2時頃に左肩の痛みで目が覚め小1時間テレビの深夜番組を見た挙句、鎮痛剤を飲んでやっと朝まで眠ることが出来た。だが朝になって7時前に目が覚めるとまだ痛みは残っており、医者に診て貰うことにした。かつて奥多摩から山梨の山道をバイクで走り、帰りに甲州街道で転倒して診て貰った近くの整形外科医にした。

朝何時もの洗濯物干し後に血圧等の生化学指標を測定しパソコンに記録し、新聞・テレビニュースを見て市場のチェックを終わらせた後、11時前に病院に向かった。聞くと病院は3年前に整形外科から内科などを加えて総合病院に変わっていた。待合室は以前と同じ混み様いだったと思う。

名前を呼ばれて整形外科の診察室に入ると看護婦さんに症状を聞かれ先生が確認、別室でのレントゲン撮影を指示され移動した。撮影後に呼び出しを受けて再び診察室に向かい、先生はレントゲン写真の患部を指さし肩周りの筋が化石化しているという。長い病名で何を言われたか記憶がない。

肩の骨の近くの斜め上に白いゴミのような塊があった。まるで先日旅行した知多半島の近くの離島日間賀島のような位置関係だ。先生はこれはかなり痛そうだ、注射を打って化石を潰すという。体内に出来る結石のようだと思った。注射は思ったほど痛くなかったが、治るまでに2週間程度かかると言われ、3回/日1週間分のお馴染み鎮痛剤(ロキソニン)を処方してくれた。

だが、化石を潰した効果は今のところ全くない。昼夕食後に痛み止めも飲んだが寝返りする度に左肩に痛みが走り、2日連続で深夜に目が覚め小一時間テレビの前で座っていた。下着やジャケットの着替えは左肩が動かせず、左手を肩の高さまで上げ無理すると痛みが走り四苦八苦した。洗濯物干し時は左手が肩の高さにしか上げられないので、折り畳み式の脚立を使和ざるを得なかった。

一方で、鎮痛剤を毎食後服用すると体重が一気に増えて70キロ台になった。昨年の自動車事故や、今年4月の偽痛風入院の時からロキソニンを服用し、体重が増える経験をし覚悟していた。その時は入院食を食べ事故後は食事制限をしていたが、今回は自宅生活で食べたいものを何でも食べる生活なので気をつけなければと思う。■
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名古屋・日間賀島の気まま旅(終)

2023-12-08 10:59:44 | 旅行記
今回の旅行はゆったりしたスケジュールで美味しい魚料理を食べるのが最大の目的で、その舞台として南知多町の日間賀島を選んだ。訪問した名古屋城・水族館・トヨタ記念館はその時々の旅の空き時間を使って選んだだけだった。

家内と息子はその趣旨を説明して旅行会社の助言を受け、新幹線とホテルを予約して貰った。従来のパック旅行は黙っていても予め決められたプランに従いで観光バスなどの移動手段やホテルと食事がガイドの説明付きで提供されたが、今回は全て我々の判断で行動した。

特に家内は大きなホテルでのバイキング形式の食事が美味しくないと不満だったようだ。私自身は食事は不味くなければ十分、何もせず座ったまま観光地を巡り知識豊富なガイドの説明を聞けたら良いと思ってた。私が田舎にいる間に彼等が旅行プランを練り、説明を受け私はそれに従った。

それ以前、特に90年代米国駐在時は全て自分で計画を立てホテルを選んで泊まり食事をするのが当たり前の旅行スタイルだったので、帰国後何をしなくても面倒をみてくれる日本式のパック旅行が気に入ってた。豊富な知識(そうじゃない場合もあるが)のガイドの解説が好きだった。

逆説的に言うと、旅の途中で空いた時間が出来るとその場で判断して行先や交通機関等を決め次の行動を決めた。極端に言うと、今回の旅行は一日中脳を働かせて判断することになった。私は高齢者になってからそんな経験をせずのんべんだらりの生活で脳が遊んでいたようだ。

もう一つ物理的な要因があった。今回は観光バス等の移動手段を使わなかったので、天候変化に対応する雨具や衣類とか早朝出発の食事・飲料水等を詰め込んだリュックで移動した。リュックの重量は5キロ程度あったはずで、長い時間担いで歩くと夕方には疲労感というか倦怠感が出た。

日間賀島を一周する積りでいたが、歩き始めると半周したところで疲れを感じ引き返した。よく考えれば半周して戻るなら一周しても距離は同じだったはずと今頃になって後悔している。息子は倍程度の重量を担いだはずで、珍しく疲れたと口に出して最初私と一緒に歩くのを躊躇った。

今回の旅行は1日目から精神と肉体と両方で微妙に倦怠感が生じた。気まま旅に出てとても楽しんだ積りだったが、微妙な疲れが出たというのが本音だ。翌日私の血圧は140台半ば、2日目は140台弱と高めで推移し、4日目の今朝はやっと130台前半に落ち着いた。

今迄にこんな倦怠感の経験は記憶に無いが、後期高齢者になった私が緊張感のない生活に慣れたせいかもしれない。だが、こういう旅行スタイルも悪くないとお勧めしたい。■
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名古屋・日間賀島の気まま旅(4)

2023-12-07 16:50:28 | 旅行記
朝焼けの三河湾は小型の漁船で溢れていた。朝日が昇り始めた頃に西港側に見えた小型漁船は、家内と散歩道で合流してホテルに戻った頃には三河湾全体に展開していた。送迎車で港に向かうう途中で聞くと、ホテルのマスターは小型漁船の殆どは釣り人達が借りた釣り船だという。日間賀島の常連さんは「美しい夕焼けを見て頂く魚料理」より、「三河湾で釣る魚」なのだと思った。

朝食後の高速艇の乗客は前日の半分にも足りなかったが、西港で待っている10分余りの間に別ルートの高速艇3隻が港に出入りした。周囲5キロの小さな島に1800人も住む人口密度最大の離島だそうで、パンフレットの地図には小学校があったので若い人達も沢山住んでいるのだろうと思った。だが、私が歩いた遊歩道からは一人の子供の姿も見かけなかった。

往路と同じ経路をたどって名古屋に戻ったが、変わらなかったのは名古屋駅周辺の異常ともいえる人の多さだった。駅の広い通路を道幅一杯の人達が行き来していた。大きいはずの名古屋駅なのにこの混雑状況はあり得ない程の、最近よく聞く「オーバーツーリズム」状態だった。

しかも、その原因を作っていた半分近くが特有のファッションの若い女性「名古屋ギャル」(私が名付親!)だった。その典型的なスタイルが寒さに負けないショートスカートに厚底の靴を履き、長い足でキャリーケースをゴロゴロ引っ張って歩く女性達だった。様子から見て名古屋近辺に住む若い女性達のような印象を受けた。だが、私には妙に画一的なファッションのように感じた。

私は最近滅多に都心に行かないが、東京近辺でこんな風景は見た記憶がない。やはり名古屋特有のギャルだと思った。新横浜で下車して東横線に乗り換えて「名古屋ギャル」スタイルの女性がいないか捜してみた。ミニスカート姿は皆無で厚底靴を数人見かけただけだった。夜7時過ぎという時間のせいかも知れないが、日曜日なので仕事帰りということも無いはずだ。場所が違ったか?

8時過ぎに自宅に戻るとたった二日留守にしただけで家の中は冷たくなっていた。風呂に浸かって体を温め、家内と好みの廉価な赤ワイン1本を明けていつもより早くベッドにもぐりこんだ。頻尿の私が翌朝までにたった一度しかトイレに立たなかった。ドッと疲れが出た感じだ■。
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