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かぶれの世界(新)

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高齢化の時計(5)-前立腺肥大症

2011-10-13 12:44:12 | 健康・病気

異変

は高知旅行から戻った翌日の夜から起こった。1時間おきに尿意を感じトイレに行くと、すずめの涙程度の小便しか出ない。排尿時は少し痛みを感じ、残尿感が残った。昨日午前中松山に車で出掛けたときは大変だった。尿意を感じると即我慢できなくなり、必死でトイレを探して運転しコンビニを見つけて駆け込んだ。

用事を済ませて自宅に帰る途中は、排尿タイムを見計らって内子町にある地産地消の市で買い物を予定した。その足で母の掛付けだったクリニックの先生に診て貰いに行った。症状を説明した後、私の思いつく理由を説明した。

2日前の日曜日にバドミントン大会に参加して汗をかいた後、その足で高知に行き月曜日に戻ってきた。水分の補給が足りなかったかもしれない上に、8月の健康診断以来止めていたお酒を二夜連続で飲んだと。脱水症状気味の時、これ程極端では無いが同じような経験をしたからだ。

先生は2ヶ月前の健康診断の結果の方に注目された。診たては前立腺肥大だが、健康診断で腎機能が低下していたと聞いて、万が一のことを考えて泌尿器科の専門医にレターを書いてくれ直ぐに行くことを勧めてくれた。医者のハシゴをしたのは随分前のことだ。

専門医

の若い先生は先ずエコー検査で、前立腺肥大症と断言した。検尿のため排尿直後でも膀胱に80mlの尿が残っていた。前立腺に圧迫され膀胱に尿が50ml以上残っているのが、この病名の定義らしい。今回旅行とお酒等で症状が悪化したとしても、以前から症状があったはずだという。そういわれれば、東京にいた頃でも就寝してから一度二度とトイレに立ったことがある。

その後血圧を測ると180-110前後あるといわれギョッとした。その後直ぐに血液を採取した。こんな綺麗な看護婦さんに手を取られたら、血圧が上がるに決まってると安っぽい台詞を吐いたが内心は不安だった。不安を抑える為に更に馬鹿な冗談を連発して笑わせると、達成感(?)もあって気持ちが少し落ち着いた。

先生はエコー検査で見つかった腎臓の小さな突起を指摘され、悪性(多分ガン)なら血液検査で分かると言った。前立腺肥大症は年をとるとなりやすい病気(50歳以上で2割という)であり、糖尿病・高尿酸・高血圧の人がかかり易いという。この病気も高齢化の時計かもしれないと思った。先送りして忘れていた治療も含めてやってもらうことになりそうだ。

ネットで調べると直接の原因ははっきりしないが、ホルモン分泌の変化でバランスが崩れるのが主な原因と考えられているらしい。男の更年期か?日本人が前立腺肥大症にかかる比率は年々上昇している、食事の西欧化とセックスの早熟化と成熟化などが要因と推測されているらしい。

病院をハシゴしたので医療費が1万円弱かかった。いつもより高い。殆どはレター1通、エコー検査2回、検尿2回、採血1回の費用だろう。医者のハシゴは効率が悪い。専門医の医院にはハイテック医療機器が並んでおり、昨今の医療コストの上昇も理解できると思った。

今朝から処方された薬を飲み始めた。今のところ排尿の頻度に有意の変化は認められないが、排尿時に感じた痛みは若干緩和したように感じる。午前中予定されていた国土調査が雨天の為に中止になったと森林組合から電話が入りホッとした。明日までに薬の効果が出て欲しい。■

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孤独の境地-新局面

2011-10-11 16:58:17 | 日記・エッセイ・コラム

キャー!と聞き慣れない鋭い声が家中に響いた。久しぶりに帰郷した家内と高知を旅行し、夕方実家に戻り落ち着いたところだった。客室の押入を調べ夜具を準備していたら、ヤモリが出てきて彼女はパニックになった。私に何とかしろという。

私は「気にするな、ヤモリは友達みたいなもんだ」と言ったが彼女は聞かない。階下の物置に行って子供達が小さかった頃買ってやった昆虫採集用の網を探したが無かった。2階に上がり害はないから我慢できないかと言うと、それじゃ火箸でつまみ出せとカナキリ声で吠えた。

他にも方法を考えたが私も手でつまみ出すのは嫌だった。焚き火用の火箸を見つけて再度2階の押入に様子を見に行くと、いなくなったという。それではと押入の中を隅から隅と火箸で叩くと、ボトッと音がして再度家内の悲鳴が聞えた。天井からヤモリが落ちたようだ。

素早い動きのヤモリを何とか火箸で挟むと、ヤモリは口を一杯に広げて火箸に噛み付いている。チビでも爬虫類だからチョット怖い。ふと目があった。「話が違うじゃないか、今まで文句言わなかったのに、今頃になって何で追い出そうとするんだ」とヤモリは怒っている様に感じた。

そんなことを言われても、どうしようもない。窓を開けて屋根瓦に放り出したが、彼は逃げないで私を見ていた。やっぱり文句言ってるように感じた。家内は、「何でヤモリが家の中に這入ったの」と私に詰め寄り、夜寝てる間に又這入って来るかもしれないと心配でしょうがない。

普段は網戸を閉めるが、フトンを干す時は窓を全開するのでその時這入ったのだろう、今夜はもう這入らないよと説明してやっと納得してくれた。翌朝目が覚め階下に下りると、彼女はもう起きていた。その後大きな蜘蛛がいたらしいが、蜘蛛は大丈夫なのだという。基準が良く分からない。

朝食後、大急ぎでお墓参りし母を見舞いに行き、空港まで彼女を連れて行った。手の甲や腕に掻いた痕が赤くなっていた。彼女は手の甲を掻きながら、多分フトンに棲みついたダニかなんかだろうと言い、ヤモリ騒ぎを持ち出さなかった。

ヤモリはそう見かけ悪くないし、虫を食べてくれる。吸盤のついた指の動きなんかユーモラスで可愛い。昔からヤモリの住む家は悪いことが起こらないとか、お金が溜まるとか言い伝えがある。少し残念なのは、私の「孤独の境地」を支える友人が一つ去っていったことだ。■

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グッドバイ、ミスター・ジョブズ!

2011-10-07 11:42:19 | ニュース

昨日朝食後にMLB中継を見ていると、スティーブ・ジョブズ氏がなくなったとテロップが流れた。8月にCEOを退任したばかりだったので、「もう来たか、意外と早かったな」というのが、私が最初に感じたことだ。ハイテック業界で長らく仕事をした人達と同じように、私も感慨深くニュースを見た。

1978年にアナハイムで全米コンピューター会議(NCC)があり、併設された展示会を見学した時に初めてアップルを見た。前年に発売されたアップルⅡが話題になり、日本でもエレクトロニクス等の雑誌で頻繁に取り上げられるようになった。だが、私はついでに見たという感じだった。

その頃のITの主役はメイン・フレーム・コンピューターであり、この中央処理装置に対するアンチ・テーゼとしてミニコンピューターに代表される分散処理のコンセプトが登場し注目を浴びていた。まだパソコンはビジネスに使う真面目な道具とは見做されておらず、アップルⅡも高価なオモチャ扱いだった。

アップルⅡはメイン会場には展示されず、隣のディズニーランドホテルの一角で折りたたみ式の机の上に展示されていた。そこにいたのはジーパンにTシャツの若者達で、もしかしたらその時が伝説のジョブズ氏やウォズニアック氏に最も近づいた時かもしれない。その頃まだパソコンがシリアスなビジネスになるとは思わなかった。

それから5年後の83年にベストセラー機マッキントッシュの前衛Lisaが発売された。同僚が調査用に購入したLisaを実際に見てアップルの先進性とパソコンの可能性の大きさを感じた。だが、ビジネスとしては企業用パソコンとしてウィンテル・モデルが大成功し、アップルは年々シェアを失い私のレーダーから消えていった。

再びアップルに注目するようになったのは、それから10年余り経った95年に私が米国に赴任してからだ。当時アップルはジョブズ氏が退任し何とか生き残っている感じだった。私は現地オペレーション拡大の為に送り込まれたが状況はむしろ悪化、アップル出身のオペレーションのプロがヘッドハントされ私の上司となった。何故か彼とは気が合った。

彼は私の下に現場に精通したスタッフを全米から集めてくれた。採用したのは主にアップルのオペレーション部門で働いた人達で、彼らが幹部として働き始めると急速に業績が改善していった。日本人スタッフは優秀だったが、米国人を使いこなすのは容易ではなかった。結局上司が紹介してくれた元アップル・スタッフが中心となって私の窮地を助けてくれた。

当時米国企業は本格的にアウトソーシングを始めた頃で、残されたメイドインアメリカを代表する新生アップル社に、オペレーション関係でも優秀な人材が集まったという。そのアップルが90年代にリストラに迫られ、人材が他社に出て行ったという事情があった。

彼らによるとオペレーション・スタッフはジョブズ氏と直接関りあう関係ではなかったが、彼らの受けた印象では妥協を知らないジョブズ氏と働くのはとても難しかったという。これは85年にジョブズ氏が一旦退社するまでの経験で得た印象を述べたと思う。96年にジョブズ氏はアップルに復帰したが、報じられるところでは彼の基本的な取り組み姿勢は変わらなかったようだ。

それからアップルとの直接の関りは無かったが、彼らのアウトソーシング活動の最先端の日本や台湾・中国などで擦違う事があった。当時中国の工場で見たアップル生産ラインは商品とは違って特別驚くようなものではなかった。2003年に私は早期退職し、それ以降は単に消費者としてジョブズ氏を見るようになった。それで却って彼の偉大さを感じるようになった。

彼は天才だったと思う。技術の持つ深い意味を理解し、その技術がもたらす新たな世界が見え、新たな商品とビジネス・モデルを創造した。技術者上がりの私の発想は従来技術の延長線上に留まり、技術をより早く安価な代替手段を提供するものとして捉え勝ちだった。その意味では発想が貧弱、つまり凡人だった。私にとって彼は最先端商品とビジネスが同時に見える稀有な天才だった。私にも何故か喪失感がある。グッドバイ、ミスター・ジョブズ!■

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孤独の境地

2011-10-05 16:19:25 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜少し遅めの夕食をとっていると、先日お世話になった庭師から電話があった。話を聞き始めると用件が中々出てこない。取り留めの無い内容で、案の定お酒が入っていた。用事は特に無く、今週田舎に来ると私に聞いた家内の声を聞きたかっただけという。どうも話し相手を探して、私を思い出したらしい。私とは数度会っただけなのだが、気に入ってくれたようだ。

奥さんが病気だという彼が電話を掛けてきた気持ちがよく分かる気がした。というのは90年代に米国に単身赴任した時、初めは異国での独身生活を楽しんだ私だが、暫く経つと孤独な暮らしの辛さが身に沁みるようになった。特に休日など広い家の独り暮らしは最悪だった。バックパッキングやバドミントンで気分転換することもあったが、季節によっては本当に何もすることが無かった。

そうなると普段はありえない発想をするようになった。平日の夜や休日に定期的に発生する支払い等の事務的な電話でさえ、喋る相手がいるというだけで下手くそな英語で何とか相手と会話を続けようとした。貴重な機会だった。流暢とはいえない英語でも、単純なことを繰り返しトライするとそれなりの成果が出てきた。

電気代等の生活費の支払いの電話を毎月繰り返して、どう言えば相手に受けるかコツが少し分かった。例えば最初に本人確認に社会保険番号を聞かれると、「番号を一々覚えるには年をとりすぎた」とか言って相手のクスクス笑いを待って話を始めた。最初ほぐれるとその後雑談に付き合ってくれることも結構あった。お前は面白い奴だといって早口でまくし立てられ、何のことか分からなくなったこともあるのだが。

コールセンターの受付が雑談に乗ってくれるかどうか、経験では米国のほうが日本より圧倒的に確率が高い。日本の方がマニュアル重視するように感じる。当時必要だった帰国便のリコンファメーションをした時、受付嬢のいるコールセンターの場所がデンバーと聞き出し、天候から始まってコロラドの観光スポットまでおよそリコンファメーションに関係無い会話をしたことがある。1分もかからない事務的な確認が10分以上話せて私的には大成功だった。

このワザが利いて庭師に電話させたのかもしれない。田舎暮しの今は庭師だけではない、私もまた新たな「孤独の境地」に入りつつある。部屋にゴキブリが出てきても気にしなくなった。仲間ともペットとも思わないが、かといって殺虫剤を持って追いかけて殺すは何となく忍びない。ゴキブリが羽を広げ飛ぶと一瞬ギョッとするが、「大人してくれよ」程度の気分だ。

勿論ゴキブリだけではない。赤ちゃんや幼児を連れた母親には殆ど例外なく声をかける。子供を褒められた母親(父親も)は例外なく警戒を解いて話をしてくれる。農夫なら仕事に精が出ると感嘆して気になることを聞けば良い。測量中の役人なら彼の得意分野を推測して自分の疑問を聞けば良い。そうは外れない、ゴキブリで無い限り会話は続く。

これぞまさに「孤独の境地」、ここまで来たかという気分だ。決して「孤高の人」とは言わないが、私なりの孤独に耐える術がここまで進化したとでもいおうか。随分チンケな業だ。本やテレビだけでなく、会話で知的レベルを高めることに渇望している私の裏返しかもしれない。■

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2011年大胆占い-3Q 見直し

2011-10-02 16:19:23 | 社会・経済

今年から世界がどんな風に向かっていくのか予測することに重点を置き、個別の予測を「2011年大胆占い」から割愛した。しかし年賀状には個別のテーマについて下記のように予測して出した。

1.米国景気回復がスロー、財政赤字対策が内向きの姿勢を強いる(0.7)
2.EU格付け下落国の危機が連鎖、新興国に波及し国内事情の調整に向う(0.6)
3.中印経済も従来の急成長を一服し、成長の歪を見直し安定成長を模索(0.7)
4.民主党内閣は予算成立後に崩壊衆院解散、新連立政権が誕生(0.3)
5.国内経済は停滞、企業の海外展開が進み、構造問題で雇用は回復せず(0.6)
6.日経平均は政治の混迷で停滞、年後半は新政権によっては浮揚も(0.4)
7.世界に挑戦する第2段階の日本人アスリートは苦難の道に、イチローも(0.5)

いつも楽観的な私だが、改めて字面だけを見ると私の思いより悲観的な印象を与える。そして、予測後9ヶ月の現実は字面通り「より悲観的に推移している」というのが今回の見直しだ。日本語としておかしいかもしれないが、「残念なことに予想が的中」した。今春に突発的に起こった2つの事件(中東革命と東日本大震災)は世界を大きく変えることにはならなかった。

世界経済の減速が進む

3ヶ月前に見直しをした時から状況は更に悪化した。米国財政赤字を巡る政府と議会の対立から米国債の格下げは、世界にショックを与えリスク・マネーは安全への逃避が起こり流れを変えた。皮肉にも資金が格下げされた米国債に戻る「有事のドル」が再認識される結果になった。

その後事件が起こるたびに世界が揺さぶられ、先に投稿したように市場は世界が直面する三重苦(欧州の債務危機・米国のデフレ懸念・新興国のインフレ懸念)に恐れおののき急速に縮小した。FRBのツイスト・オペに失望し、繰り返されるギリシャ危機が欧州銀行の信用不安を醸成し、首をすくめて備えている。金融機関の自己資本強化と貸し渋りは既に始まっている。

世界経済を牽引すると期待された新興国は、インフレ傾向が続く中で成長鈍化懸念が強まり、新興国から一斉に資金引き上げが起こり、新興国・資源国通貨が暴落した。世界景気減速の懸念は投資家のリスク回避傾向を強め、株式から金・穀物まで急落した。

手をこまねく世界

9月20日にIMFは世界経済成長見通し(WEO)を改定、米国・ユーロ圏を1%台に大幅下方修正する一方で、新興国については先進国需要の落ち込み影響はそれほど大きくなく若干の落ち込みに留まる(中国9.5%、インド7.8%)と発表したが、10日後の今では楽観的かもしれないと私は感じる。WEO改定発表時、「世界経済の好転とリスク回避の為の強力な政策発動が早急に求められる、時間的余裕はない」と説いたが、その後G20は有効で具体的な対策を打ち出さなかった。

実際、米国では財政赤字で政府と議会の対立が続き、実質ゼロ金利が続く中で有効な金融政策も財政政策が打ち出せないでいる。欧州は景気悪化懸念の中で9月の物価上昇が3年ぶりに3%を越え、一方ギリシャ危機で金融市場が再び緊張する懸念があり、欧州中央銀行(ECB)もどこに焦点を置いた金融政策を打つべきか逡巡している。

私の印象ではこれらの悪化要因に対して、当局は適切な財政・金融政策が打てないのは構造的な問題で、短期解決できない世界経済に深刻な影響を与える恐れがある。市場はこの懸念を現実のものとして織り込み始めた。だが、資金の流れの変化は急激で過剰なように私には感じる。

世界は日本化の道を辿るか

多分これが今世界に突きつけられた最大の問題だろう。何が問題か明確なのに打つべき手がタイムリーに打てず何年も経済が停滞する。日本の失われた20(10+10)年の前半は原因が明確ではなかったが、今は明確なはずだ。だが、日本化しないと公言していた欧米がその危機にある。

この危機に対して極めて効率の悪い民主主義というシステムが、危機を回避する為の全体最適化の障害になっているのが共通する構図であると考える。特定の条件下では異なる意見や利害を纏め一致した方向付けが素早く出来ないのだ。日本の政治風土やリーダーシップの問題を超える共通の問題があるように私は考える。(全体最適という言葉に戦前の不吉を感じる方もいると思うが、大震災・大恐慌の危機に瀕して先ず幹が倒れないよう最優先に取り組むという意味)

ギリシャ問題では「欧州の理念」(これより重要なものはないはず)が危機に晒されているのも関らず、支援する側もされる側も自国民の声というエゴに応えなければならない。3ヶ月毎の土壇場でつなぎの対策を繰り返す。日本はネジレ国会が最大の問題だが、ユーロには17の議会と民意があり夫々異なった利害関係がある。状況はもっと悪いのかもしれない。

米国も大統領と与野党逆転した議会に加え、来年の大統領選を控え改善が停滞する雇用情勢が政策の選択肢を極めて狭くしている。経済成長が減速し資金需要がなくなる中で続けられるゼロ金利政策は、日本が失われた10年で経験した「過剰流動性のワナ」と変わらないと思う。

大統領選を控えてFRBの選択は極めて限られるだろう。このような状況で量的緩和第3弾(QE3)を発動する可能性は徐々に高まりつつある、というのが今回見直しにおける私の占いの目玉だ。共和党の反対など政治的な動きもあるが世の中がそういう方向に動くと私は読む。ツイスト・オペが発表された頃まで私はありえないと考えていたが状況は変わった。

お楽しみ

イチローや松井の不調は2,3年前から予想してきたが、残念ながら今年ついに現実になった。イチローがシーズン200本安打を達成できなかった原因については種々の評価がある。強い打球が打てなくなったとか、動体視力の低下を指摘する声もあるが私はイマイチ納得できない。

他の選手に比べ毎年圧倒的に多い内野安打が、イチローが200本安打を続けてきた最大の要因だが、今年は半減した。もし昨年と同じ数の内野安打を打てば200本安打は優に達成できた。といっても、決して走力が落ちたわけではない、今年もリーグ3位の40盗塁を走った。

それでは内野安打が減った理由は何だろうか。その中で、先日米国で取材を続ける日本人記者の下記の解説が最も的を射ている。記者はレンジャーズの声「今年は何故かイチローの内野ゴロが正面に来た」と指摘する。理由は明確ではないが、言われてみれば私もそういう印象はある。それじゃ理由になっていないが。

多分イチローだけが理由を知っている。松井の不振は明らかに年齢による衰えだが、シーズン前半の使われ方を理由に上げる声もある。彼らがあと何年メジャーでやれるかが、来年からの見方に変わりそうだ。二人に限らず日本人プレーヤーが世界で指導者としてやれるかも注目したい。

勿論、新しい日本人選手が現れて世界最高のリーグで活躍して欲しい。メジャーを目指した日本人選手は世代交代の時期に来た。年齢的に多くは望めない選手が増える一方、比較的若かった松坂は故障で挫折し、もっと若い世代の西岡の1年目の挑戦は躓いた。彼らが来年活躍できるか全く分からない。他のスポーツも含め新たな日本人選手の世界挑戦を期待したい。単にスポーツと言うなかれ、ビジネスから文化までなど多く分野の世界進出の強力な応援になるのだ。

最後に

日本の政局については余り触れたくない。予想は悲観的だ。マスコミと世論の支えで、ひたすら本家本元の日本化の道を磨き芸術的なレベルに高めるだろう。野党及び与党内野党の人達が徹底して全体最適化を阻む決意だし、地域や既得権益のエゴは被害者理論で武装されマスコミの支持を得て全体最適化を許さないだろう。それでも私は民主主義を支持するが、そのコストは高い。■

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