世界の注目を浴びた米中会談は冒頭の1時間に渡って、記者を前に互いに非難を応酬するという異様な展開で始まった。一見すると喧嘩まがいの子供っぽい言い争いは記憶がない。両国にはそうする事情があったようだが、会談を伝える各国の報道にも当初若干の戸惑いがあったように感じた。
バイデン大統領がこれほど強硬な姿勢で中国に迫るとは私も予想しなかった。大統領就任時は先ず国内対応を優先し支持基盤を強化すると見られていた。トランプ前大統領弾劾を軽くスルーして、1.9兆ドル(200兆円)という巨額の景気支援策を成立させ、シナリオ通りに外交に乗り出した。
だが、走りだすと日米豪印首脳会談(QUAD)、日米・米韓2+2を経て中国包囲網を作り米中会談に臨んだ。私自身はこのスピード感に驚き、中国も驚き焦ってアンカレッジ会談を申し出たと推測した。その意味で会談はいささか乱暴だが、互いの主張を早めに確認でき目的は達したと思う。
バイデン新政権は大方の予想より中国に対して厳しい態度に出た、その原因は中国は豊かになれば徐々に民主的になるというオバマ時代の期待が甘かったという反省が基本にあるという。オバマ時代のスタッフがバイデン大統領でも幹部になり、同じ間違いは繰り返さないという反省があった。
一方、中国はオバマ時代に比べ経済・軍事とも格段に力をつけた。次の5か年計画で米国に匹敵する国力をつけると言われ、強権的な手法で自国の主張を押し出し始めた。日米欧の目には少数民族を弾圧非難を内政干渉扱いし、初期のコロナ隠蔽を非難する国に経済圧力をかけ、世界ルールに基づく秩序を無視し対立を深めたと映った。
今回の会談の成果は互いに自国の主張をぶつけて対立点を明確にしたことだ。昨日の日本経済新聞の1面トップ記事「ぶつかる国家観、経済から対立軸移る」は、トランプ時代の経済対立から政治体制や国家理念にも立ち入る新次元に突入したと報じたが、私は長期的に正しい捉え方だと思う。
中国式の民主主義等あり得ない
ここからは民主主義を重要視する私の見方だ。「中国には中国式の民主主義がある、コロナ封じ込めに成功した共産党一党支配の民主主義は米国式民主主義より優れた仕組みだ」という主張に私はずっこけた。そんな民主主義はない。人権や言論の自由のない民主主義などあり得ない。
中国には中国のやり方があり、それが経済成長をもたらしコロナ抑制に機能したのは分かる。だからと言って民主主義とは言えないと小学生でも分かる。ウィグル族を収容所に入れたと非難されると内政干渉だと反発した。言い換えると「国内なら何をしても非難するな」ということだ。
私は第2次世界大戦のきっかけになったナチのユダヤ人虐殺を思い出す。英国はじめ欧州ではナチとの融和を求める声が強く様子見の間に、ドイツ国内問題が最終的には世界大戦に繋がった。米国の相対的力が衰え、オバマ・トランプ時代に世界に広がった強権主義に同じ怖さを感じる。
私は中国の非民主主義的行為に対して態度を明確にすべきだと考える。中国の長い歴史の間に欧米列強にいいように搾取された記憶は続くのは否定できない。一方、毛沢東時代の文化革命で二千万人ともいわれる中国民を死なせた歴史がある。習政権はその歴史の延長線上にあるのだのも事実だ。
今回互いに問題を指摘し何処がレッドラインがどこにあるか明らかにした。その次のステップとして今後の交渉をどう進めていくか、現実的な対応をせざるを得ないと私も思う。この数日、テレビのニュース番組を見て我が国のメディアがどう報じるか見ていた。
会談直後はどう報じて良いか分からず、単に事実を伝えようという姿勢が見えた。だが、TBSのサンデーモーニングで、会談のコメントが米国が尖閣列島は日本の領土と認めておらず後々不都合な事態の可能性を指摘したのは酷かった。まさか、それが米中会談のまとめのコメントだとは。
しかし、今日の各局の報道を見る限り米中会談の意義、両国の主張とその狙い等についてまともな解説がされたと思う。冒頭で非難を応酬した異様な展開は国内へのアピールの意味があり、2日間で冷静で和やかな議論が交わされたらしく安心した。モチロン次の交渉予定が決まっておらず予断は許せない。最後に、私は新次元の米中関係で改めて「民主主義ファースト」を主張したい。■
バイデン大統領がこれほど強硬な姿勢で中国に迫るとは私も予想しなかった。大統領就任時は先ず国内対応を優先し支持基盤を強化すると見られていた。トランプ前大統領弾劾を軽くスルーして、1.9兆ドル(200兆円)という巨額の景気支援策を成立させ、シナリオ通りに外交に乗り出した。
だが、走りだすと日米豪印首脳会談(QUAD)、日米・米韓2+2を経て中国包囲網を作り米中会談に臨んだ。私自身はこのスピード感に驚き、中国も驚き焦ってアンカレッジ会談を申し出たと推測した。その意味で会談はいささか乱暴だが、互いの主張を早めに確認でき目的は達したと思う。
バイデン新政権は大方の予想より中国に対して厳しい態度に出た、その原因は中国は豊かになれば徐々に民主的になるというオバマ時代の期待が甘かったという反省が基本にあるという。オバマ時代のスタッフがバイデン大統領でも幹部になり、同じ間違いは繰り返さないという反省があった。
一方、中国はオバマ時代に比べ経済・軍事とも格段に力をつけた。次の5か年計画で米国に匹敵する国力をつけると言われ、強権的な手法で自国の主張を押し出し始めた。日米欧の目には少数民族を弾圧非難を内政干渉扱いし、初期のコロナ隠蔽を非難する国に経済圧力をかけ、世界ルールに基づく秩序を無視し対立を深めたと映った。
今回の会談の成果は互いに自国の主張をぶつけて対立点を明確にしたことだ。昨日の日本経済新聞の1面トップ記事「ぶつかる国家観、経済から対立軸移る」は、トランプ時代の経済対立から政治体制や国家理念にも立ち入る新次元に突入したと報じたが、私は長期的に正しい捉え方だと思う。
中国式の民主主義等あり得ない
ここからは民主主義を重要視する私の見方だ。「中国には中国式の民主主義がある、コロナ封じ込めに成功した共産党一党支配の民主主義は米国式民主主義より優れた仕組みだ」という主張に私はずっこけた。そんな民主主義はない。人権や言論の自由のない民主主義などあり得ない。
中国には中国のやり方があり、それが経済成長をもたらしコロナ抑制に機能したのは分かる。だからと言って民主主義とは言えないと小学生でも分かる。ウィグル族を収容所に入れたと非難されると内政干渉だと反発した。言い換えると「国内なら何をしても非難するな」ということだ。
私は第2次世界大戦のきっかけになったナチのユダヤ人虐殺を思い出す。英国はじめ欧州ではナチとの融和を求める声が強く様子見の間に、ドイツ国内問題が最終的には世界大戦に繋がった。米国の相対的力が衰え、オバマ・トランプ時代に世界に広がった強権主義に同じ怖さを感じる。
私は中国の非民主主義的行為に対して態度を明確にすべきだと考える。中国の長い歴史の間に欧米列強にいいように搾取された記憶は続くのは否定できない。一方、毛沢東時代の文化革命で二千万人ともいわれる中国民を死なせた歴史がある。習政権はその歴史の延長線上にあるのだのも事実だ。
今回互いに問題を指摘し何処がレッドラインがどこにあるか明らかにした。その次のステップとして今後の交渉をどう進めていくか、現実的な対応をせざるを得ないと私も思う。この数日、テレビのニュース番組を見て我が国のメディアがどう報じるか見ていた。
会談直後はどう報じて良いか分からず、単に事実を伝えようという姿勢が見えた。だが、TBSのサンデーモーニングで、会談のコメントが米国が尖閣列島は日本の領土と認めておらず後々不都合な事態の可能性を指摘したのは酷かった。まさか、それが米中会談のまとめのコメントだとは。
しかし、今日の各局の報道を見る限り米中会談の意義、両国の主張とその狙い等についてまともな解説がされたと思う。冒頭で非難を応酬した異様な展開は国内へのアピールの意味があり、2日間で冷静で和やかな議論が交わされたらしく安心した。モチロン次の交渉予定が決まっておらず予断は許せない。最後に、私は新次元の米中関係で改めて「民主主義ファースト」を主張したい。■
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