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不寛容社会の到来

2007-03-08 13:55:16 | 社会・経済

本は不寛容な社会に向っているのだろうか。特に裁判の判決が出た時犯罪被害家族の厳罰を求める声がテレビ等で繰り返し流され、それに共感している自分自身に気付きはっとすることがある。

残虐な殺人、飲酒ひき逃げ運転事件、懲りずに繰り返される談合、志の低い役人を毎日のように見るとやりきれなくなり、こういう人達を罰しない限り再発を防げないという気持ちになる。日本人の価値観は謝罪をこの上なく重要視し、謝罪とか反省が無いとより思い罰則を要求する。

犯罪も交通事故も統計上は減少しているが悪質な事件はそうでもないらしい。もう一つはテレビに映像として流れた社会が現実の社会となったことが決定的な役割を果たした。残虐な殺人事件の詳細な再現シーンや悲しむ家族のクローズアップを繰り返し報道は国民の意識を変えた。

昭和20年から30年代は犯罪多発時代で凶悪犯も多かったと記録されているが、子供心におおらかで寛容な社会に住んでいた気がする。当時は殆どテレビでカバーされることも無くその残虐性を詳細かつ執拗に繰り返し報道されたのは例外的だった。新聞の活字はあくまで他人に起こった不幸であった。

界に目を向けると欧州を中心に死刑廃止に向っている。EUに加盟する条件の一つとして死刑を廃止しなければいけない。その中で最近の日本は寧ろ極刑を望む声が強くなっている気がする。

犯罪だけでなく交通事故等でも世論の変化の影響を受けて、裁判の場でもかつてより厳しい判決になるケースが増えているといわれている。昨年の死刑判決は44件、昭和54年以来最多になったという。

犯罪者の権利が濫用される一方で、被害者の権利が守られていないことに光が当てられ、厳罰を求める世論が高まった結果が反映されていると見られている。私は行き過ぎを心配する。

世界の死刑のほぼ全ては中国、その数は年間万のオーダーで起こっているといわれている。汚職・横領の見せしめといわれているが、未だに形を変えた汚職・横領がはびこっている。果たして厳罰化が社会を良くするだろうか。

論理的に厳罰化と死刑廃止は一緒には語れないし、厳罰化するが死刑は廃止するという方向が無いわけでもない。寧ろ、日本の国民全体が不寛容になっているのだとしたらそちらのほうが私には怖い。我々はそういう国になることを望んでいるのだろうか。■

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