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西日本豪雨後に聞いた市井の声(3) 特に高齢者

2018-08-26 14:40:46 | ニュース
先月の豪雨の後も変わらず夕方の散歩を続け、その機会に出会う人達とのコミュニケーションが密になった。今迄は挨拶するだけだった人達と長々と立ち話をするようになった。この「散歩ママさん同盟」は色気はないがスーパー等の復旧状況の情報交換をするという凄い実利があった。

彼女達程元気じゃない80から90代のお婆ちゃん達とも、夕方散歩の時間になると表通りにあるオワン(お庵が訛った郷土の偉人の墓地)の入口に続く石段に自然発生的に集まり雑談に花が咲く。彼女達は戦前生まれで、全員後家さんだ。男はそれ程長生きできない。私は遠慮なく会話に入って行く。

この二つのグループには明確な違いがある。表向きは現役の主婦と引退した寡婦だ。彼等は今回の豪雨の比較基準が異なる。ママさん同盟は今回の豪雨を23年前(平成7年)の氾濫と比較し、お婆ちゃん達は必ず昭和18年の大雨を引き合いに出す。私も子供の頃から昭和18年を聞かされてきた。

私が子供の頃は台風シーズンになると毎年1度か2度は川が氾濫し学校が休みになった。いわば氾濫は当たり前の年中行事で驚きはなかったし、氾濫しても浸水しない様に山裾の1-2m高い所に集落の家が建てられていた。今回の氾濫でも浸水した家は比較的新しく建てられたもので、先人の知恵が生かされてない低地にあった。お婆ちゃん達は口々にそう指摘し、私もその通りと相槌を打った。

勿論、その間に肱川やその支流の矢落川の堤防は驚くほど高く補強され毎年の氾濫は無くなった。その前提で農地に大企業の工場が進出し、幾つかのショッピングモールからなる新興商店街が創られ、警察署や法務局・図書館などが移動して来た。しかし、それでも今回のような何十年かに一度の豪雨と、ダムの放流に満潮などの悪条件が重なると、昔と同じ水害が起こり昔からの住宅のみ助かったという訳だ。

多分何度か書いたと思うが、40年余り前に東京近郊の勤め先の近くに自宅を建てた時、父の友人の不動産屋さんは土地の人に聞いて回り歴史上水害のない土地を選んでくれた。今回、その有難味を改めて感じた。被害に遭った方には申し訳ないが何であんな低地に家を建てたのか理解できない。広島の土砂崩れのあった地域に住む人達は何も調べなかったのだろうか、等々話は尽きなかった。昔から住んでいた人たちは同情しつつ、一方でそう思う訳だ。■

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