大学受験に有利な私立学校や予備校など教育費が高く、収入が少ない家庭の子供は教育の段階で格差がつくという所謂教育較差の議論がある。大学をランク付けし高い格付けの大学に入学するか逆算して教育を語っている。教育のあるべき姿を議論しているようには思えない。私はこの義論を聞くと複雑な気持ちになる。一方的に非難できないその辺の微妙な心境を紹介したい。
ずいぶん昔のことだが父親参観で長男の通う中学校に行ったとき、「愛されていますか、お父さん」のテーマで受け持ちの先生と懇談会に参加した。ところがテーマはそっちのけで受験勉強のことばかり質問する父兄にいささか辟易した。父兄の子供を思う気持ちは分かるが、教育の関心が受験のみに集中しているのが私には驚きだった。思わず暴言を吐きその後家内は学校に行けと言わなくなった。
現在の教育格差議論も底に流れる考えは当時と全く変わっておらず、子供が一流大学から一流会社というレールに乗れるかどうかが前提になっている。しかし、一流大学出身が出世の道になるような一流会社などもう日本には存在しない、それでは世界との競争に生き残れない。とっくの昔にレッテルより何が出来るかが問われる世の中になったはずなのだが。
そうは言ったものの、子供の中学・高校時代私は海外にいた。節目の時は相談されたが、所謂受験勉強は家内が全てケアした。実は、日本にいる時も子供の教育は家内にまかせっきりだった。私にはこの議論に参加する資格はないかもしれない。しかし、こんな私にも若干の言い訳がある。
子供が小学生の頃は多少なりとも教育に貢献したつもりだ。子供に身に付けて欲しいと私が思ったことは、1)出来るだけ長く集中心を保てる、2)抽象的な思考ができる、3)読書が好きになることであった。対象は学問じゃなくても、スポーツでも趣味でも良かった。その手段として大金のお小遣いをだしにして子供に30-40冊の世界文学全集を読ませ感想文を書かせた。
今から考えるとあざとい手段だったかもしれないが、その後の学問や仕事で少しは役に立ったのではないかと思う。中学に進学すると家内も彼らに何も押し付けず助言するだけだったと聞いている。殆どの同級生が塾に通う中、家内は子供が必要性を感じた時のみ塾に行かせたようだ。高校は私立受験校、塾には行かなかったが、結果的には志望する大学に入学できた。
しかし、ことの是非はさておき私は未だに後悔していることがある。それは子供が大学に進む時、私のちょっとした一言が進路に影響を与えたかもしれないことだ。長男は京都で物理を勉強したいと家内に言ったらしい。米国で伝え聞いた私は深く考えず彼と話もしないで東京だって勉強出来るだろうと家内に答え、結局彼は東京で学んだものの今はコンサルタントに転進した。
末の息子は社会学を選んだ。私が文系を勧めたのは理系だらけの我が家に文系がいたらいいという気持ちがあった。当然息子の素質を認めてのことだったが、彼の将来に大きく影響する選択に口出しすべきだったのか未だに自問することがある。実は、娘は私の勧めに乗らなかったのが今では救いとなっている。昔あこがれた女子大を勧めたが、娘はさっさと共学校に行った。
子供の教育を殆ど家内に任せきりだったのに、彼らの進路に口出しをしたのが果たして良かったものか。結局は自分の好みを押し付けた「親の身勝手」だったかもしれない。その後息子達が何をするか迷う姿を見たとき心が痛んだ。正直なところ私の助言は、現在の教育格差議論と大して変わらない功利的な発想だった。
私は元々子供に受験勉強を押し付ける積もりはなかった。私の両親も好きにさせてくれた。父は仕事一筋の地方公務員で互いに大人の話をする前に死んだ。母は祖母と野良仕事に忙しかったが、学校の成績だけは酷く気にしてくれた。私が何かを学びたいといえば出来るだけその機会を与えてくれた。時代は違うが結局同じことを繰り返しただけかもしれない。
全くしまらない話になった。現在の教育格差論には違和感があるものの、これ以上私に教育論を語る資格はなさそうだ。■
私達の場合は高度成長時代で核家族化が進み、親の子育ての知恵を有難く思う年代ではなくなっていました。今私はその気持ちが良く分かります。
Bさんはシナリオがあったのですか。それは子供への期待だったと思います。それが子供の才能を伸ばしてやる方向に働ければ最高なんでしょうが、重荷になるかも知れない。私にはその境に自信がなくて何もしてやれなかったのかもしれません。
そういえば最近、お父さんがすし職人の人がいて、学校も行かずブラブラしているから、大学なんて行かないで君はすし職人になった方がいいとアドバイスしたばかりです。
しかし彼本人は自分が今どんなに恵まれている立場かも理解していませんでしたがね。(もちろん彼のお父さんはわかっていましたけど。)