かぶれの世界(新)

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Liイオン電池の私的思い出

2019-10-10 16:54:39 | ニュース
吉野彰氏のノーベル賞受賞は専門家の間では予想されていたという。私もこの数年雑誌等で識者の予想する声を読んだことがある。実はLiイオン電池は私のキャリアの中で特別の思い出がある技術だ。私がコンピューター技術者の夢を求めて約20年IT企業で働き、管理者の道を歩き始めた頃に東芝からDynabookが発売され、後にノートパソコンの世界的な競争が開始された。

その頃はニッカド電池が使われ、暫くしてニッケル水素電池、そして今日まで続くLiイオン電池の導入され、ノートパソコンのバッテリー持続時間は重要な製品の競争要因だった。バッテリー技術が変わる度に先頭が変わる競争の時代だった。私は商品の全部品を技術評価し認定する技術責任者だった。当時我国最大の部品購入の技術認定をする部門と言われた。実は私の役割は部下の報告を受けて部品メーカーの接待を受ける事だった。

コンピューター中枢の計算・制御処理には詳しかったが、それ以外の部品は夫々の専門技術者の判断に委ねた。某競合社のパソコンが火を噴いたニュースに直面し、我社は大丈夫だと3日以内に応えろと営業部門に迫られた。私には本当に面倒な部品だった。「バッテリーは1/0の世界じゃないですよ、アナログな化学の世界なんだから」と担当課長から素人の私に念押しされた。

Liイオン電池が実用化された頃は発火事件が続発した記憶がある。ノートパソコンに代わり主役になる携帯電話でも発火し顧客がヤケドし、米国を始め航空機にLiイオン電池を使用した携帯機器の持ち込みが一時禁止された。幸いというか、幹部は2-3年毎に人事移動する慣行で私は担当を外れていた記憶がある。勿論、これら発火事故は発明を利用した商品設計の問題だった。

ニュースでノーベル賞受賞を知らせる吉野氏の顔を見た時、彼が随分老けて見えたが私の方が1歳年上だった。彼が81年に研究にとりかかったと報じられ、その1年後に私がノートパソコンを手掛ける部門に移動したのを思い出した。全くレベルが異なる話だが、Liイオン電池の基本を発明した男とそれを利用して商品開発した男が同じ時代に生きたと、田舎で一人感慨にふけった。

それにしても、私も吉野氏みたいなジーサン顔なのかと思うと嬉しくなかった。髪の毛は私の方が少し多いかも。それに比べて奥さんは若々しい。そんなもんかい?■
コメント
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