長男家族が愛媛に来る前日の5月3日に、私たち夫婦の仲人をしてくれた叔父が亡くなったと東京にいる家内から連絡が入った。二人の孫が来るので張り切って計画した時に限って間の悪いことが起きるものだ。子供の時から母に連れられて毎年夏休みをミカン農家の叔父さんの家で過ごした。数年前に施設で介護を受ける母を見舞ってもらった時は、まさか彼が母より先に逝くとは想像もしなかった。
昨日空港に向かって車を走らせている間に考えを巡らしたが、幼児二人がいる長男家族にスケジュール通りに時間を刻んで予定をこなすなんてしょせん無理、成り行きに任せようということにした。空港から環状線に乗ってトイザラスに立ち寄りチャイルドシートやオムツ等を購入、大街道沿いの人気のソーメン屋さんで小一時間待って遅い昼食を済ませ、施設の母を見舞った。職員や看護婦さんがいつもの半分以下だった。
馴染みの主任看護士によると直前まで血圧が180台に跳ね上ったそうだが、我々が訪れた時は落ち着いており面会しても問題なかった。下の曾孫が初めて見る母の老醜を驚くかと心配し、一方で母がどういう反応を示すのか気になったが、どちらも無表情に近い普通の反応でホッとした。孫達と顔を合わせるのは最後になる可能性もあると考えて記念写真をとった。
叔父さんが亡くなったことを母に伝えるかどうか事前に看護婦さんに相談したが、彼女によれば家族の考えでどちらもあるそうだ。その時私は成り行きで決めますと答えたが、いざその場になって折角母が落ち着いて気分良くしている状態なのに悲しませることはないと考え、叔父さんの死は伝えなかった。正確に言うと言えなかった。変える間際に、その旨看護婦さんに伝えた。
施設を出て56号線を南下し、途中から瀬戸内海沿岸を走る通称「夕やけこやけライン」(378号線)を通って、シーサイド公園で美しい夕日を眺めた。家族を待つ間話し相手になってくれた空港の美しい案内嬢が勧めてくれたドライブコースだ。連休中のせいだろうが陽が落ちる頃になると海辺の砂浜に見物客が増えて来た。家族を置いて引き返して伊予市の葬儀場に向かい叔父さんの通夜に参列した。
お通夜はこじんまりした部屋で20人余りの参列者を得て始まる直前だった。部屋に案内されると直ぐに未亡人になった前列右端の叔母さんと目が会った。思ったよりげっそりした感じではなかった。あまり時間がないので失礼を顧みず叔母さんに近づいてお悔やみを言うと、叔父さんは突然亡くなったそうで死に顔は私の知っている生前そのものだった。
直ぐに思い出したのは申し訳ないけど、対照的に老醜という言葉がピッタリの母の姿だった。突然死だった長男の嫁さんの父君も生前と変わらなかった。母の場合は糖尿病が原因だと思うが、悲しいぐらいに若い頃の面影が全く失われた。だが、それでもまだ生きていてくれることに感謝したい気持ちだ。落ち着いて周りを見回すと母の妹や沢山の従兄弟たちで、久しぶりに見る彼等の顔が意外にも若々しかった。
一通り挨拶を済ませて東京から来た長男の家族が待っているからと葬儀場を辞した。車で急ぎシーサイド公園で待つ長男家族を拾って、ハモ料理で知られるレストランに行き美しい夕やけを見ながら食事した。こういうと落ち着いた洒落た時間を過ごすように感じるかもしれないが、幼い子供達に振り回されて疲れた日だった。ガソリンを入れ24時間営業のスーパーで食料を買って実家に戻った時は9時を過ぎていた。今朝起きて血圧を測ると140-90台に上がっていた。この世を去ろうとする人達と、これからの人達の狭間で揺れ動いた日でもあった。■
昨日空港に向かって車を走らせている間に考えを巡らしたが、幼児二人がいる長男家族にスケジュール通りに時間を刻んで予定をこなすなんてしょせん無理、成り行きに任せようということにした。空港から環状線に乗ってトイザラスに立ち寄りチャイルドシートやオムツ等を購入、大街道沿いの人気のソーメン屋さんで小一時間待って遅い昼食を済ませ、施設の母を見舞った。職員や看護婦さんがいつもの半分以下だった。
馴染みの主任看護士によると直前まで血圧が180台に跳ね上ったそうだが、我々が訪れた時は落ち着いており面会しても問題なかった。下の曾孫が初めて見る母の老醜を驚くかと心配し、一方で母がどういう反応を示すのか気になったが、どちらも無表情に近い普通の反応でホッとした。孫達と顔を合わせるのは最後になる可能性もあると考えて記念写真をとった。
叔父さんが亡くなったことを母に伝えるかどうか事前に看護婦さんに相談したが、彼女によれば家族の考えでどちらもあるそうだ。その時私は成り行きで決めますと答えたが、いざその場になって折角母が落ち着いて気分良くしている状態なのに悲しませることはないと考え、叔父さんの死は伝えなかった。正確に言うと言えなかった。変える間際に、その旨看護婦さんに伝えた。
施設を出て56号線を南下し、途中から瀬戸内海沿岸を走る通称「夕やけこやけライン」(378号線)を通って、シーサイド公園で美しい夕日を眺めた。家族を待つ間話し相手になってくれた空港の美しい案内嬢が勧めてくれたドライブコースだ。連休中のせいだろうが陽が落ちる頃になると海辺の砂浜に見物客が増えて来た。家族を置いて引き返して伊予市の葬儀場に向かい叔父さんの通夜に参列した。
お通夜はこじんまりした部屋で20人余りの参列者を得て始まる直前だった。部屋に案内されると直ぐに未亡人になった前列右端の叔母さんと目が会った。思ったよりげっそりした感じではなかった。あまり時間がないので失礼を顧みず叔母さんに近づいてお悔やみを言うと、叔父さんは突然亡くなったそうで死に顔は私の知っている生前そのものだった。
直ぐに思い出したのは申し訳ないけど、対照的に老醜という言葉がピッタリの母の姿だった。突然死だった長男の嫁さんの父君も生前と変わらなかった。母の場合は糖尿病が原因だと思うが、悲しいぐらいに若い頃の面影が全く失われた。だが、それでもまだ生きていてくれることに感謝したい気持ちだ。落ち着いて周りを見回すと母の妹や沢山の従兄弟たちで、久しぶりに見る彼等の顔が意外にも若々しかった。
一通り挨拶を済ませて東京から来た長男の家族が待っているからと葬儀場を辞した。車で急ぎシーサイド公園で待つ長男家族を拾って、ハモ料理で知られるレストランに行き美しい夕やけを見ながら食事した。こういうと落ち着いた洒落た時間を過ごすように感じるかもしれないが、幼い子供達に振り回されて疲れた日だった。ガソリンを入れ24時間営業のスーパーで食料を買って実家に戻った時は9時を過ぎていた。今朝起きて血圧を測ると140-90台に上がっていた。この世を去ろうとする人達と、これからの人達の狭間で揺れ動いた日でもあった。■