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かぶれの世界(新)

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ジャニーズが消えた!

2023-08-31 14:31:05 | 芸能ネタ
今朝の新聞テレビを見て600人以上の若い芸能人が性的被害を受けたというジャニーズ事件のニュースが何処にもないのに気付いた。私はこの手の芸能スキャンダルに興味がないが、昨日はどのテレビチャンネルでも大々的に報じており何が起こったか一通り理解した。放置できないだろう。

最初に思ったのは、テレビが大好きなスキャンダルなのに、何故20年以上も大騒ぎすることなく放置してたのかという疑問だった。ネットで調べると、1999年に週刊文春が10人以上の証言を詳細に伝える記事を連載し、その後東京高裁でセクハラ行為を認め判決は確定したという。

最初に思いついたのは米国ハリウッドの映画会社の大物が、女優等をレイプし告発を受けて実質終身刑の判決を受け米国社会に衝撃を与えた事件だ。マスコミも世間も容赦なかった。彼の会社は破産し映画界での貢献も含めすべてを失い一生を棒に振った。日本ではそうならないのか。

はじめは女優達は仕事が欲しくて権力に負け、#MeeToo運動に触発され告発に踏み切ったのだと思う。公式にはマスコミは知らなかったと思う。だが、ジャニーズ事件の場合はマスコミは全てを理解した上で報道を極力抑え実質もみ消したように見える。この責任は誰がとるのか。

公表された調査結果ではジャニーズの現社長は責任をとって辞職すべきとした。私はNHKを含むマスコミは本事件の報道を抑圧した責任者と職場の上司、更にはそれを黙認もしくは放置した上位の責任者を明確にして、初めてマスコミとしての責任を取れたと考える。

たった一つの判断ミスが報道の信頼を壊してしまうことくらい十分理解しているはずだ。だが、信頼は極めて危うい。大手の報道は政治経済からスポーツ芸能まであらゆる分野でに亘る。夫々の分野で意思決定とお金の流れが複雑に絡む。間違いのない報道は容易ではないはずだ。■
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ウィル・スミスはそんなに悪いのか?

2022-03-31 22:05:14 | 芸能ネタ
久し振りに芸能ネタについてコメントしたい。

3月27日のアカデミー賞授賞式で主演男優賞を獲得したウィル・スミスが、奥さんの病気にジョークを飛ばした司会者にビンタを飛ばしたと報じられた。このニュースを見て酷く違和感があった。脱毛症のため坊主頭で会場にいた奥さんの姿を見て私もあり得ない許せないジョークだと思った。

ところが、現実はウィル・スミスに非難が集中し、米映画芸術科学アカデミーは「いかなる暴力も容認しない」と公式に声明を出した。一方で酷いジョークでスミス夫人を侮辱した司会者のコメディアンのクリス・ロックはその後の公演の入場券が大人気になったそうだ。

私には理解できない。スミス夫人を言葉で傷つけた行為と、平手打ちの暴力と比較してどちらが悪いか、そんなに簡単に決めつけられないと思う。必ずしも物理的な暴力だけが非難されるべきと思わない。言葉の暴力が評価され人気になるなんてアメリカ人は恥ずかしくないのか。

例によって我が家の夕食時の議論では珍しく家内と意見が一致した。我が家では非難されることを覚悟して司会者を殴って奥さんを守ったウィル・スミスの勇気を称賛する声が続いた。アメリカかぶれの私だが、この件ではアメリカ人の考え方が理解できない。■
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サイレントマジョリティー

2019-02-16 11:55:55 | 芸能ネタ
何時ものシリアルに果物とヨーグルトの朝食を取ながらニュースと市場をチェックしていた。トランプ大統領の国家非常事態宣言発令とNYダウが400ドル以上の上げを見て、CATVのカラオケランキングにチャンネルを切り替えた。最近はぶっ飛ぶニュースを見ても驚かなくなった。

ところがテレビから流れて来る楽曲の歌詞を見てぶっ飛んだ。アイドルには不似合いな灰色の制服っぽい衣装を着た欅坂46が歌う、「黙って群れの中にいては何も起こらない、孤独を恐れるな、声を上げてNoと言おう」みたいな過激な歌詞を聞いて驚いた。「サイレントマジョリティ」(物言わぬ大衆)というアイドルが歌う曲らしからぬ題名だった。

家内に誰が作詞したのか聞くと「アキモトでしょう、それ以外はありえない」と冷静な返事。ネットで調べるとその通りだった。しかし、非常にメッセージ性の強い歌詞でアイドルが歌うのかよと思った。だが若い頃聞いた反戦フォーク歌手のメッセージソングよりやけに説得力があった。そうか、こういう手があったか。

ネットでは「サイレントマジョリティ」は「奇妙で怖い」という意見が散見された。灰色の制服っぽい衣装とダンスが全体主義的なイメージを醸し出し、その中で勇気をもってNoと言おうと歌う。だが、もし強権的で言論の自由がない体制下で歌えば、直ちに国家反逆罪で獄に繋がれる姿を想像をした。

今でもそういう国がある。例えば中国だ。多分この歌は中国では発禁になるなと先走った想像をした。もし中国にいたら欅坂46は逮捕されるか国外追放になるだろうと想像した。ネットで「奇妙で怖い」と感じる意見が出たのは、そう言う想像があったのではないかと思う。■
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泣けない朝ドラ

2017-11-17 23:00:24 | 芸能ネタ
NHKの朝ドラ「わろてんか」が好調な視聴率をとり人気だそうだ。だが、私は前作の「ひよっこ」ほど「食いついていない。毎朝食後に新聞を読んでいると朝ドラの時間が始まり自然と見てしまう、という程度の視聴スタイルで熱狂的なファンという程ではないし、偉そうに評価する程詳しくもない。

だが、ここ数年の朝ドラは嫌いではなかった。「花子とアン」とか「マッサン」、「朝が来た」など実在の人物を描いたものは嘘っぽくなくて良かった。又、「ひよっこ」は高度成長時代の自分に重ねて合わせて見たものだ。私をよく観察して分かっているとばかりに、娘は「お父さん、これ見て毎日泣いてるでしょう」とぬかした。

私は「違わい、3日に一度だけ」とメールを返した。だが、「わろてんか」は泣けないのだ。そういう物語ではないようだ。しかし出足は展開が安っぽくて笑えなかった。最初から視聴率が20%を越えたというニュースを見て、私は自分の感覚を疑った。特に藤吉が真面目に頑張るといった直後に脱線して挫ける展開が不自然だった。

だが、ここに来て主人公夫婦が寄席を手に入れて工夫しながら奮闘する姿を見て、ホンマの物語らしくなってきたように私は感じた。笑いの感覚のズレは私が長く関東に住んでいて関西風の笑いに慣れてないからかも知れない。多分、ブツブツ言って素人評価しながら今後も朝ドラを見続けるのだろう。■
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AKBと幼児願望

2012-07-07 23:52:16 | 芸能ネタ

楽のセンスが余り無いと自認する私が云々するものおこがましいが、最近人気の絶頂にあるAKBについてちょっと書いてみたくなった。AKBは余りの人気で社会現象になっている。それと最近堅い記事ばかりだったので息抜きを兼ねて。

きっかけは東日本大震災の支援に感謝するイベントにAKBがワシントンを訪れた時、ミニコンサートを見た当地の人達の戸惑いの反応を報じる記事を見て、私はある種の既視感があった。

米国から帰任した1999年の初め頃、テレビの歌番組に出て来るのは所謂JPOPシンガーと呼ばれる人達だと気付いた。歌謡曲ではなくJPOPなのだ。目に付いたのがローティーン世代の人気グループで、私には小中学校の学芸会レベルのように感じた。が、凄い人気だった。

米国にいた時はCディオンやHヒューストンのようなこれでもかとばかりに声を張り上げて歌い上げる曲を毎日聞いていたものだから、技術的に未熟で女性の魅力にも欠けるまだ子供臭さの抜けないグループの楽曲を聴いて著しい違和感があったのは当然だと思う。

ワシントンでAKBのコンサートを聞いた人達も同じような印象を受けたのだろうと、私は思った。プロとしては音楽的に未熟で子供の学芸会を超えないようなグループが、何故日本を代表するような人気があって感謝を伝えに来たのか、当地の人は理解できなかったはずだ。

本の音楽ファンには、年若いミュジシャンが人気者に成長して行く過程を幼い子供を育てるように楽しむ人達がいると、最近別の機会に聞いた。それを聞いて分らなくはないが、プロレベルに達した音楽だけ楽しむのとはちょっと違うのではとも思った。

それは昔からそうだったろうか。どのくらい昔から言われているのか分らないが、この特異な現象は日本のポップカルチャーの特徴として幼児願望があるという説と関係があるのかもしれない。

先日亡くなったザ・ピーナツとか三人娘とかが私の青春時代のアイドル的な存在であったが、彼らの音楽レベルは若くともかなり高かった気がする。当時は先ず米軍キャンプ巡りをしてプロの歌手として鍛えられた結果であり、こちらの方が一時的で日本的に正統とはいえないかもしれない。

キャンディーズが大人気になった時、私はこんな下手くそなグループに何で人気があるのだろうと訝ったのを記憶している。彼女達も年齢的に米軍キャンプは経験して無いだろう。だが、衝撃だったのは何と言っても上記の帰任時に見たローティーン・グループだった。

本社会の根底が変わるような変化がこの頃に起こったのと関係があるだろうか。金融不安の深刻化、リストラに代表される日本的雇用慣行の崩壊、中流階級の縮小と格差拡大、これらの分岐点は98年だといわれる。それが幼児願望を進化、もしくは変化させたのだろうか。

私は、それがいいか悪いのか言っている訳ではない。幼児願望と密接に関ると思われる日本特異のカワイイ文化は世界に広がっているというが、それはサブカルチャーでありメインストリームではないように感じる。所謂ガラパゴス化の一つだと感じる。

ガラパゴスといえば、その代表として日本家電のガラパゴス化もこの頃から目立ってくるようになった気がする。98年は日本にとって多くの分野で重要な転換点だったのかもしれないと、この記事を書きながら思いついた。経済だけではない、文化も含めた大掛かりな転換だったのかもと。

もしかしたらもっと昔からの日本的現象かもしれない。例えば、江戸時代に渡来した南蛮人(アーネスト・サトウ)が書いた本に、子供が最優先される接し方・育て方を見て驚いた記述がある。欧米には子供が大人の食事や音楽界などに同席を許されない習慣を聞いたこともある。そこでは子供が大人のレベルに達するまでは認められない。

ところで、初め学芸会みたいに見えていたAKBのメンバーだが、最近では顔を見て誰か認識できる子が増えたし、名前まで判る子も片手では足りなくなり、お気に入りの子も出来た。テレビの見過ぎといわないで欲しい、彼女達がテレビに出過ぎるのだ。AKBまでそんなに理屈っぽくならないで、と娘に嫌味を言われそうだ。■

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