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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「ゼロの焦点」がわからないPART6

2011-07-11 | ミステリ

Zeroimg07 PART5はこちら

今度の被害者は、夫の後輩である野間口徹。彼は西島の失踪についていろいろと調査してくれていたのだ。殺人現場は古びた日本家屋。その家は、夫が所持していた写真の家でもあった。

なぜ、野間口はその家で殺されることになったのか。顔は判然としないものの、殺したのは赤いコートの女であることが暗示される。

登場人物たちの関係性がうっすらと見えてくる。

・下宿先を出た西島秀俊が住んでいたのは殺人現場となったその家であり、彼はそこで女性と暮らしていた。

・そしてその女性(木村多江であることが判明)の“夫”は、西島の失踪とほぼ同じ時期に死亡しており、生活に困った木村を中谷が夫の会社に就職させ、受付として使っている。

・木村は義兄の事件以降、行方が分からなくなっていて、殺人への関与が疑われている。

……観客はここで気づく(まあ、予想はしていたわけだが)。犯人像がすべて木村多江に集約されている以上、犯人は木村ではなく、どうしたって中谷美紀なのであろうと。死亡した男性こそが西島だったのだと。

Zeroimg08 広末はこう推理する。木村多江が、別れようとする西島をうらみ、突き落としたのではないか。まあ、自然ではある。しかしここで夫の遺書が出現。木村多江に宛てたもの。

「煩悶を抱いて消えていくことにする……」

広末は納得できない。なぜ、遺書はわたし宛てではなかったのか。彼女はこう語っていたのだ。

「今度のことで、わたしたちは本当の夫婦になれるような気がするんです」

この発言が重要なのは、社長が妻に向かって発したことばと対になっているから。

「(お前は)本当は、どんな女なんだ」

以下次号

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「ゼロの焦点」がわからないPART5

2011-07-10 | ミステリ

Zeroimg06 PART4はこちら

東京の義兄に連絡をとると、杉本哲太は関西出張のあとに金沢に寄るという。彼はしかし、弟の失踪について驚くほど楽観している。

金沢の街は市長選の真っ最中。旧弊で封建的な城下町である金沢で、日本初の女性市長が誕生するかが問われる投票日が近づいていた。その女性候補者(黒田福美)を支援しているのが例の社長夫人(中谷美紀)。

地味な事務服で選挙事務所につめている女性支援者たちのなかで、輝度の激しい黒のスーツを着た彼女は、光り輝いている以上に明らかに浮いている。のちに説明される彼女の出自も計算に入れた上でのファッションだったかも。過剰に品がある、というか。

中谷は広末に協力を申し出る。西島はすばらしい人だったと。くどいようだがこの時点で観客は中谷、西島、広末の三角関係を疑っているので、ドラマはいよいよ動き出した。

夜の金沢で、広末は不思議なものを見る。一瞬、義兄をみかけたのだ。到着は翌日のはずなのに(実はそれ以前から杉本哲太がすでに金沢にいると想像できるシーンが挿入されている)。

ここで殺人事件が起こる。被害者はその義兄。彼は料亭の小部屋で毒殺されたのである。毒は、持ちこまれたウィスキーのなかに仕込まれていた。

義兄はその部屋で『赤いコートの女』(黒いスーツとの対照も計算どおりか)と会っており、仲居が逃走する彼女を目撃している。というより、目撃されることをその女はおそれていない。それはなぜか。

たたみかけるような殺人シーンの演出はみごとだ。

つづいて、もうひとつの殺人発生。以下次号

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庄内映画事情その19~「デンデラ」(2011 東映)

2011-07-09 | まち歩き

Denderaimg01 その18~「デンデラ」スタートはこちら

アラサーだのアラフォーだの、小さな差異でがたがた騒ぐな。女はね、70から。「デンデラ」は、新参者のカユ(浅丘ルリ子70才)が

「近ごろの若いババアときたら」

とあきれられる世界(笑)。

鶴岡まちなかキネマに入ってびっくり。なんでこんなにお客さんがいるの?平日の午後ですよ。他人のことはいえませんが。しかもR40指定ですかと思うくらいみんな高年齢。他人のことはいえません。さすが、地元で撮影された作品は強い。

浅丘ルリ子をはじめとした熟女たち以外にも、のっけから石橋凌の登場でびびる。あの旦那も鶴岡の飲み屋で渋くやってたのかしら。

さて、ご存じのようにこの作品は「楢山節考」へのアンサーソング。父親(今村昌平)の名作(かどうかは微妙だと思う)の設定を借りて、しかし息子(天願大介)がつくりあげたのは肌合いの違った映画だった。

姥捨ての“被害者”である女性たちは、生き延びて「男に搾取されない」「みんな平等に分け与えられる」デンデラという村をつくりあげている。そんな原始共産制の共同体を維持しながら、自分たちを捨てた村への復讐をリーダーのメイ(草笛光子100才)は企てる。しかしそれにはマサリ(倍賞美津子89才)をはじめとした“いくじなし”の異論があって……

うーん、なんか政治的・フェミニズム的ディスカッションドラマでちょっとしんどいかな。しかし人間の争いになど興味のない、ただ生きのびることが目的の(女性たちも最初はそうだったはずなのだが)絶対悪であるの登場から面白くなる。次々に屠られていくデンデラの住民たちの反撃は、意外なラストにつながって……。

浅丘ルリ子と山本陽子が連れ立って熊への復讐に向かう姿はまるで高倉健と池部良。セックスはよけいな要素だと、カユの亭主の存在についてまったく語られないのも計算済みだろう。わたしは徹底したアクション映画にしてくれた方がうれしかったんだけど、息子としてはそうもいかないか。

白川和子、山口美也子、赤座美代子など、いろんな意味でむかしお世話になったセクシー女優たちの熱演はうれしい。え、山口果林も出てたの?ってことは草笛光子との「繭子ひとり」コンビの数十年ぶりの共演じゃないか。みんなすごいメイクなのでよくわかりませんでした。

しかし、そのなかでも浅丘ルリ子の、50年以上“人に見つめられ続ける”女優という因果な職業をはってきた凄みに感服。雪の冷たさ痛さを知っている人なら、撮影の過酷さも想像できたはず。んもう暑さなんて吹っ飛びます。

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「ゼロの焦点」がわからないPART4

2011-07-08 | ミステリ

Zeroimg04 PART3はこちら

金沢駅では、夫が勤務していた広告代理店の上司(本田博太郎)と後輩(野間口徹)が広末を迎える。上司はしかし、何らかの屈託を西島の失踪について感じているようだ。

彼らは広末を海岸に連れて行く。ちょうど溺死体が上がったので確認してほしいと。しかし幸いなことに死体は夫ではなかった。

この時点で、失踪以降の溺死体に警察が言及していればあっという間に事件は解決したはずだが、もちろんそうはならない。それぞれの死体については“すべて身元が判明していた”ので。しかし背中の傷の話にぐらい、なってもよさそうなものだが。

夫の下宿先に行きたいと告げる広末に、後輩は「それが、一年半前に下宿を出ていまして……」と悠長なことを。広告代理店の営業マンが、時間外の対応をしていなかったはずもないのに。

広末は、夫の取引先の社長(鹿賀丈史)に引き合わされる。そこで広末は知ってしまう。「夫は女房(社長夫人)のお気に入り」だったと。とぼけた鹿賀の味わいが、古畑任三郎にゲスト出演したときのよう。

ここで観客はミスリードされる。夫と社長夫人が愛人関係にあったのではないか、事件の背景には不倫があったのではないか、と。

しかしここでもうひとりの女性が登場する。鹿賀の会社の受付嬢(木村多江)。

幸薄そうに見える彼女は、アメリカ人の客を達者な英語であしらってみせる。居あわせた広末は不思議に思う。彼女の使う英語がスラングまじりの“使える”英語だったからだ。

お見合いの席で語られていたように、「ジェーン・エア」が好きというだけあって広末は英語の高等教育を受けていて、結果として“上等な”英語を身につけている。使用する英語の違いで彼女たちの育ちの違いを印象づけるしかけはうまい。

荒れた手の木村多江は、しかも文盲であることすらうかがわせるのだ。以下次号
Zeroimg05_2

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「ゼロの焦点」がわからないPART3

2011-07-07 | ミステリ

Zeroimg03_2 PART2はこちら

おそらくは熱海か箱根あたりに新婚旅行に出たふたりは、露天風呂で見つめ合う。西島秀俊は思わず「きみは……若いんだね」とつぶやいてしまう。

誰と比べてそんなことを語ったかはあとで判明。よく考えると失礼な話だし、くらべられた女優は怒らなかったのかな(笑)。

西島が広末涼子を抱きしめたとき、右肩に傷があることが観客に示される。学徒出陣による戦争の跡。あとでもう一度画面にあらわれるが、ネタバレになるけれどある死体の身元をあらわすものとして使用されないのが不自然ではある。原作ではどう扱われたのだろう。

列車の連結が描写され(おそらくはセックスの暗喩)、西島の金沢への旅立ちのシーンにきりかわる。彼は後輩に金沢での仕事をひきつぎ、これが最後の金沢出張になるはずだった。車窓から若妻にキャラメル(くどいようだけど精液の暗喩)を一個、箱から出してわたす夫。「一週間なんてすぐさ。」典型的な新婚夫婦は、しかしこれが永遠の別れになる。

……うわ。タイトル前だけでこんなに長く語ってしまった。スピードアップしなきゃ。

「8日には帰る」と言い残した夫は、連絡もよこさず、帰ってこない。義兄夫婦に相談に行った広末に義兄である杉本哲太は“不自然なほど”心配はいらないとなぐさめる。納得できない広末は、「金沢に行ってみます」と夫婦に宣言する。

当時、若い女性がひとりで北陸に向かうのはたいへんな苦行だったろう。すしずめの車内、強引な検札など、不安をかかえる若妻の不安は増すばかりだ。

もっとも、観客にとっては、特に鉄ちゃん観客にとっては「張り込み」ばりの列車移動のシーンはおいしかったはず。これが昭和の国鉄だ!って感じ。暗い日本海沿いを進む蒸気機関車がびっくりするほど美しい。以下次号

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「ゼロの焦点」がわからないPART2

2011-07-06 | ミステリ

Zeroimg02 PART1はこちら

主な登場人物は

「妻」

「夫」

「愛人」

「社長夫人」

の四者。今回の映画化では、「社長夫人の夫」、つまり「社長」にも大きなウェイトがかかっている。

冒頭、学徒出陣に始まる戦前から戦後の世相がニュースフィルムや新聞で紹介される。おなじみの手法。平成の観客に時代背景を学習させるためかなーと思ったけれど、GHQによる占領、売春防止法施行という、この作品の核となる部分がさりげなく挿入されているので注意。

モノクロの画面に一気に色がつき、お見合いの場に画面は変わる。英語の堪能な(伏線)広末涼子と、水泳でオリンピック代表にとまで嘱望された(伏線)広告会社営業マン西島秀俊が、銀座のレストランで向かい合っている。

西島の設定はかなり考えてある。学徒出陣によって死線をさまよった彼は、生き残ったことにどこか引け目を感じている。また、戦後かなり上向いたとはいえ、広告代理店は『広告屋』と呼ばれて一種の賤業的なあつかいを受けていたので、彼のキャリアが順風満帆ではなかったこともうかがえる(実際、彼にはある過去があった)。

こんな微妙な設定を用意した映画を主導したのが電通だというのも趣深いです。くわえて、彼が水泳の選手だったことも、展開を考えると……

広末のとなりには母親の市毛良枝。西島のとなりには兄の杉本哲太がすわった。このお見合いはうまくいって、ふたりはまもなく結婚する。花嫁衣装を着ての写真撮影の場面は、広末涼子をこれでもかとばかりに美しく撮っているので女優冥利につきただろう。以下次号

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「ゼロの焦点」がわからないPART1

2011-07-05 | ミステリ

Zeroimg01 映画化された松本清張原作ものでは、なんといっても「砂の器」が、その興行成績で群を抜いている。作品の評価なら「張り込み」が上かとも思うけれど、小説単体の評価では「点と線」そしてこの「ゼロの焦点」が代表作といえるかもしれない。

映画だけでなく、テレビのサスペンスものでも【清張原作】はいまだに特級ブランド。その理由は、なによりも松本清張が読者(視聴者、観客)というものを知り抜いているからだろう。とにかく面白い。

人を突き動かす動機は欲と嫉妬だ、と規定した清張の人間観は、そう言ってはみもふたもないけれども彼の人気を考えると当たっているはず。

特に、エリートであると彼に映った文壇の(特に純文学系の)作家たちに切歯扼腕していた清張の、くどいくらい人間の陰の部分をさらけ出す手法は、高度成長がはらんだ日本の負の部分によく似合った。

さて「ゼロの焦点」。久我美子が可憐な(そしてラストにいたって意外な強さを見せる)若妻を演じた61年版が有名。確かにいい映画でした。

でもわたしが先にふれたのは71年のNHK銀河ドラマ。十朱幸代が若妻、失踪した夫が露口茂のバージョン。夫婦ってもろいものよね、としみじみいたしました。思えばいやな中学生。

そして2009年。松本清張生誕百年を記念し、おそらくは電通が主導して再映画化した「ゼロの焦点」には、「砂の器」「霧の旗」につづいてわからない部分があるのでした。「わからない」シリーズ恒例、すべて役名は俳優名でいきます。

PART2につづく

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「叫びと祈り」 梓崎優著 東京創元社

2011-07-04 | ミステリ

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叫びと祈り (ミステリ・フロンティア)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2010-02-24

これが新人の作品か(絶句)

内容はこんな感じ。

砂漠を行くキャラバンを襲った連続殺人、スペインの風車の丘で繰り広げられる推理合戦、ロシアの修道院で勃発した列聖を巡る悲劇…ひとりの青年が世界各国で遭遇する、数々の異様な謎。選考委員を驚嘆させた第五回ミステリーズ!新人賞受賞作「砂漠を走る船の道」を巻頭に据え、美しいラストまで一瀉千里に突き進む驚異の連作推理誕生。大型新人の鮮烈なデビュー作。(「BOOK」データベースより)

特に冒頭の「砂漠を走る船の道」が抜群。塩を運ぶキャラバンで起きる連続殺人。完全な密室と言える砂漠で殺人を犯す意味は何かが明かされ、驚愕。人を殺すという行動に、そんな動機をもってくるか。BGMはサンタナの「キャラバンサライ」をぜひ。

他の短篇も、真相にたどり着く直前に別の解決を提示してみせるあたり、よく考えてある。文章も若書きな部分が少なくて、こりゃーまさしく期待の大型新人だ。やるなー。

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刑事コロンボを全部観る~Vol.34「仮面の男」

2011-07-03 | テレビ番組

Identitycrisisimg01 Vol.33「ハッサン・サラーの反逆」はこちら

「追悼ピーター・フォーク」はこちら。気を取り直してがんばります。

いきなり「裸の銃を持つ男」レスリー・ニールセン登場。しかしシリアスな表情を崩さず、「祝砲の挽歌」でおなじみのパトリック・マクグーハンと

「コロラドは河」

「ジェロニモはインディアン」

「ロングビーチのような海岸はない」

なる奇妙なやり取りを。これ、合い言葉であり、要するに今回はスパイ・ストーリーなのだ。

ふたりのかけあいは本当におかしくて、しかも吹替が重厚なる家弓家正と佐野浅夫なので効果倍増。いまどき合い言葉や割り符を使うスパイがいるとも思えないので、60年代にたくさん作られたスパイ映画のパロディみたいになっている。

CIAのエージェントであるふたりが、遊園地の射的に挑戦してそろってパーフェクトを達成し、大きなぬいぐるみをもらってしまうなど、悪のりに近い演出(マクグーハン自身が監督している)。その分、ミステリとしてはもの足りなくてもスパイ映画好きのわたしは満足。

二重スパイである過去をばらすとニールセンに脅迫されたマクグーハンは、追いはぎにやられたように偽装して殺害。エージェントであることを知られたくないため、上着を脱がせてショルダーホルスターごと拳銃を死体からはぎとったことから計画はほころびていく。

社会的地位も高く、資産も膨大。才能豊かな経営コンサルタントであり、スピーチライターとしても一級。すべてを持っている男が、それゆえにスパイというリスキーな仕事に魅力を感じ、ギャンブル好きであるあたりの描写がいい。

そして、そんな男の前にあらわれたのが、風采の上がらない、しかし有能かつ奇妙な刑事だった対比。スパイとは現代の貴族なのだというルールをちゃんと遵守している。

コロンボがマクグーハンのアリバイを崩したきっかけは時事ネタ。有能なスパイなら、うまく言い逃れできそうだったのがちょっと残念。

Patrickmcgoohanimg01 ここでスパイ映画トリビア。

「ジェームズ・ボンド役の第一候補はパトリック・マクグーハンだった」

ああなんてことだ。マクグーハンも一昨年亡くなっていたなんて。

Vol.35「闘牛士の栄光」につづく

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「マイ・バック・ページ」 (2011 アスミック・エース)

2011-07-02 | 邦画

Mybackpageimg01 川本三郎はわたしにとって現代最高の映画評論家。

該博な知識に裏打ちされた、節度ある文章は映画以外の事物をあつかったときもまことに美しいのでぜひ。

たとえば、村上春樹との共著「映画をめぐる冒険」は、お互いのユーモアが化学反応を起こしてすばらしい一冊になっていた。あれがどこの文庫にも入っていないのはなんでかな。幻の名著にしておくには(商売上も)もったいないと思うんだけど(古書価格はとんでもないことになってます)。

さて、川本の経歴には一種の影がさしており、「マイ・バック・ページ」はその部分をなんと「リアリズムの宿」「松ヶ根乱射事件」「リンダリンダリンダ」天然コケッコー」の山下敦弘が映画化したもの。

無責任なブログなので実名で紹介すると……

東大を卒業して朝日新聞に入社した川本三郎(妻夫木聡)は、当時全共闘を雑誌ごと支援していた朝日ジャーナルへの配属を希望するが、その望みはかなわずに週刊朝日の記者となっている。彼のもとへ、当時過激な活動で知られていたセクトの一員を名のる菊井良治(松山ケンイチ)があらわれ、川本と意気投合する。ふたりは学生運動の思想的リーダーだった滝田修(山内圭哉がいい感じ)と対談するなど関係を深めていく。

同じころ、週刊朝日のカバーガールだった保倉幸恵(忽那汐里)と川本は心を通わせる。菊井のセクトは赤衛軍を名のり、朝霞の自衛隊駐屯地に侵入。銃を奪おうと自衛官を刺殺する。彼らの行動をスクープしようとした川本は……

みずからがフェイク(偽者)ではないかという思いを、本物よりも過激な行動をとることで払拭しようとしたふたりの若者のお話、と結論づけては酷だろうか。

菊井の行動は自己顕示欲の発露にすぎず、川本は週刊朝日の企画で(労働者のふりをして)ドヤ街でテキ屋とつき合っているのがその象徴。自分が何者なのかに揺らいでいるために、彼らは急いで何らかの結果を求める。

背景にあったのは、どんな行動をとっても注目されないことに苛立つ菊井の絶望。新聞の余り紙で本を出させてもらっていると揶揄される出版局の新聞本体へのコンプレックス。それらの裏返しが、彼らの過激な“愚挙”につながる。

60年代末から70年代はじめにかけての政治の季節。学生たちやそのシンパの心情には、冷たいようだがそんなあせりが確実にあったのだろう。

結果として彼らは離散し、川本も含めて逮捕され、保倉はのちに……。ただ、自衛官の死を歴史的に見つめることで、彼らの行動を単なる愚行と結論づけるのは少しさみしい。フェイクではあったかもしれないが、政治の季節をすぎて、少なくとも川本の文章はいまわたしの心をうっているのは確かなのだし。

山下敦弘たち若い作り手たちは、このストーリーに二人の“本物”を置くことで川本と菊井のフェイク性を強調している。

Kutsunashioriimg01 ひとりは保倉幸恵。

「ファイブ・イージー・ピーセス」を川本といっしょに観た彼女は

「きちんと泣ける人が好き」

と、主演のジャック・ニコルソンを経由して自衛官の死に泣くことができない川本世代の独善性をつく。演じた忽那汐里(くつなしおり)は確実にスターになる逸材。本気でモスバーガーに走ってナン・タコスを食べたくなります。

もうひとりは冒頭で川本といっしょにテキ屋としてひよこ(わははは。ご指摘ありがとうございました。売ってたのはうさぎね)を売っていたタモツ。生活者としてしっかりと根をはって生きる彼は、久しぶりに会った川本に

「あれかい?……ジャーナリストになれたのかい?」

と無邪気にたずねる。その返答とともに泣き出す妻夫木の最後の大芝居にも、わたしは本物を感じた。すばらしい映画だ。

さて問題は、この傑作をキネ旬ベストテンがどう扱うか。なにしろ一種の『身内の映画』だから評論家たちも迷うところだろう。

そんなことを抜きにしても、山下敦弘の最新作に、長塚圭史と山本浩司の「リアリズムの宿」コンビが出演しているのがまずうれしい。これで尾野真千子も出てくれていたらもっとうれしかったんだけどな。

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