事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「霧の旗」がわからない PART3

2008-10-25 | 映画

Aratama01 PART2はこちら

兄の主張はこうだ。

 通勤の途上で、(高利貸しの)老婆に返済を迫られるなどしたことから、給料が入ってから必ず返すと言うために、事件当日の夜に訪れる約束をした。妹と夕食をとったあと、老婆の家を訪問すると、すでに老婆は事切れていた……

 ここから、彼の異常さが際立つ。死体がそこにあるのに、自分の借用証書を老婆の書類入れから抜き出し(きっと自分が疑われるに違いないと考えたのだそうだ)、ズボンの裾に血が付いてしまったので、家に戻ってから天井裏に隠す。これも、「自分が疑われると思ったから」。

 思いがけず死体を見てしまった人間が、異常な行動をとってしまうのは自然なこと、という理屈もあるだろう。「兄はもの静かなので、いつもと違ったようには思えなかった」と妹はとんでもない証言をしているのだが。

 事件の調書を読みこんだ滝沢は、さすがにこの判決をひっくり返すのは自分でも無理だと悟る。「少々思い上がっていたようだ」と苦笑しながら。しかし滝沢が調書を取り寄せたと知った倍賞は、死ぬ前に弁護を引き受けてくれたら兄は死なずにすんだとここで確信し、滝沢への復讐を誓う……

 ……待て!ちょっと待て倍賞!どう考えても恨む相手が違うだろが!

 兄が獄死したことは、背景にあった兄妹の経済的苦況が引き金だし、いかにも意地が悪い金貸しの婆さんは“すでに”殺されている。冤罪として『法』や『国家』を恨むには、倍賞はいかにも若い。特定の個人を標的にしたがる気持ちはわかるけれど、それにしたって弁護士に復讐するとは分別が無さすぎないか。逆恨みの極致。

 第三の疑問は、この逆恨みを、当時の観客は不自然に思わなかったのか、ということ。これまでの流れから、わたしはこの作品を“まるでクレーマーを擁護する展開”だと辟易しながら観ていた。ところが、「霧の旗」はここから意外な方向に走り出すのだ。

PART4につづく

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「霧の旗」がわからない PART2

2008-10-25 | 映画

Takizawa01 PART1はこちら

……むしろ倍賞千恵子に滝沢修が「わかりました。弁護料が当事務所の規定の1/3しかお支払いいただけなくても、社会正義のために、手弁当でやらせていただきます」と答える方がよほど不自然ではないか。

 滝沢は倍賞が出て行ってから事務職員と「困った娘さんだ」と笑い合う。まるで悪代官。松本清張はエリート嫌いで有名だし、主人公は「下町の太陽」倍賞千恵子が演じているので、どうやら作り手は本気で弁護士側を悪役に押し込もうとしているようだ。1965年の、時代の空気とはそんなものだったのだろうか。77年の山口百恵版では弁護士役は三国連太郎。滝沢のように憎々しげに演じたわけではないそうなので、観客のとまどいはもっと大きかっただろう。

 一審で死刑判決を受けた兄は(国選弁護人は情状酌量だけを主張した)控訴している最中に獄中で病死する。その事実を倍賞は滝沢に「ひょっとして先生が弁護してくれたら兄は死なずにすんだのに」と葉書にしたためて送る。なぜか心が動いた滝沢は、熊本から調書をとりよせ、事件を調べ直す……どうも変だ。

 第二の疑問。
“事件”とは、小学校教師だった兄が、児童の修学旅行費を落としてしまい、旅行が近いことから急場しのぎに高利貸しの老婆から金を借り、返済を強要されたことに追いつめられて撲殺した、とするものだった。
 修学旅行費を紛失してしまうというお粗末さは、しかし人間のやることだから仕方がない。高利貸しにホットマネーを借りたのは、紛失の事実をとりあえず隠蔽しようと思ったのだろう。ここまでも、まあわからないではない。でも社会人として、そして公務員としてはどんなものかとは思うが。
 両親を早くに亡くしていたために、妹に心配をかけたくなかったのだとしても、兄の行動は計画性がないことおびただしい。しかも、事件現場における彼のある行為が、それに輪をかけて変なのだ……

PART3につづく

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「霧の旗」がわからない PART1

2008-10-25 | 映画

Baishou02_2 “「砂の器」がわからない”はこちら

「霧の旗」は1965年に製作された、山田洋次唯一のサスペンス映画。【原作:松本清張】は、日本の芸能界ではトップブランドなので、二時間ドラマ枠で何度も何度も制作されているし、山口百恵主演でリメイクもされている(’77 東宝)。主役が若い女性で、純朴な田舎のOLから都会のホステスまでを演じること、ベテラン男優に土下座までさせる見せ場があること、撲殺や刺殺などの派手な殺人が連続して行われることなどで映像化に向いているのだろう。見たことがある読者は多いと思います。
 で、このいわば名作に、どうしても納得できない点がいくつもあるので特集します。ネタバレがガンガン出てくるのでよろしく。

 ストーリーを順を追って紹介しましょう。わずらわしいので役名は俳優名でいきます。

Seicho01  熊本のOL、倍賞千恵子は、思いつめた表情で列車を乗り継ぎ、東京に出てくる(車内の光景を短くつなぐ手法は同じ松竹製作、松本清張原作の「張り込み」を踏襲している)。高名な弁護士、滝沢修の事務所を訪れ、殺人罪に問われている兄(露口茂)の弁護を依頼するため。しかし滝沢は、自分の弁護料は高額であり、多忙でもあることからその依頼を断る……

 ここで第一の疑問。依頼を断られた倍賞は「先生は、わたしがお金を払えないから弁護ができないというんですね?!貧乏人は無実であっても死刑になっても仕方がないというんですか」と逆ギレする。これ、とりあえず無茶でしょ?
 いや、貧しい人間が貧しい弁護しか受けられないという法の下の不平等を肯定しているわけではない。それ以前に、倍賞の言い分があまりに理不尽なのである。

 滝沢はこう説明したのだ。
「自分の弁護料は高額です。それは、それだけの経費をかけるということでもあるんですよ。わたしが東京から熊本へ何度も赴くということは、交通費や日当だけでもあなたの負担はどんどん膨れあがりますよ」
「わざわざ熊本から訪ねてくれたことは光栄ですが、名が知れているだけにわたしは多くの事件をかかえています(おそらくは民事)。ですからお兄さんの事件にかける時間は相対的に小さなものになってしまいます。」
「九州にも、いい弁護士はたくさんいますよ」

……もちろん言い訳。でも、わたしがもし滝沢だったら同じ返答をしただろう。以下次号

コメント (4)
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