事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

刑事コロンボを全部観る~Vol.28「祝砲の挽歌」

2010-11-08 | テレビ番組

Bydawnsearlylight01 Vol.27「逆転の構図」はこちら

 筋金入りの軍人であり、歴史ある陸軍幼年学校の校長(パトリック・マクグーハン)が、その学校を共学の短大に変えようとしている創始者の孫を殺害する。

 この孫は、校長の教え子であり、現在は広告屋という設定が効いている。「もう戦争は終わったんだ」(この場合の戦争とはベトナムのことね)と主張する孫と、生徒に向かって

「幾何は論理であり、人生は論理を戦場とする戦いなのだ」

と説教する校長が相容れるわけがない。校長は祝砲を撃つ砲身に細工し、開校記念日の式典で孫が事故によって死んだように見せかける。

 事件を究明するためにこの幼年学校に泊まり込むコロンボがおかしい。不健康なまでに健康であることを求める場に、葉巻をくわえた中年刑事はいかにもそぐわない。でも、彼は戦場を経験している元兵士であり、生徒たちの相談にのってやったりしているのがほほえましい。

 校長の計画がくずれるのは、彼の生活が軍人らしく規律正しいものだったことと、生徒の不正(リンゴ酒の密造が伝統になっていた)を許せなかったため。コロンボに証言の矛盾を突かれてしまうのだ。

 しかし彼の最も大きな失敗は、「♪卑怯者はぁ、ここにはいない♪」と歌う生徒たちの、心のゆらぎを少しも許容できない人間としての欠格にある。軍人としては優秀でも、教育者としては……。コロンボに事故ではないことを立証されるや、犯行を気に入らない生徒に押しつける姿勢はまさしく卑怯者。徹底したヒエラルキーのなかでしか生きられず、常に目線を生徒から離さない校長と、若き後輩たちに、むかしの彼女のことを照れながら語る刑事では、人間の幅に天地の差があったということか。

「わたしは、何度でもやるだろう」

自白するパトリック・マクグーハンの、卑怯者ではあるけれどもいさぎよい幕引きが心に残る佳品。吹替の佐野浅夫もおみごとでした。原題はBy Dawn’s Early Light。邦題と逆になっているあたりが渋い。

Vol.29「歌声の消えた海」につづく

コメント
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