「『霧の旗』がわからない」はこちら。
まさか今年最初に観る映画が「砂の器」とは思わなかった。イオンシネマがなぜか“イオン名画座”として限定公開してくれたのである。正月映画の不入りが影響したのかも。
今回とりあげるのはもちろん松本清張の原作ではなく、04年に中居正広が主演したテレビドラマでもない。74年に松竹が、脚本山田洋次・橋本忍、監督が野村芳太郎という鉄壁の布陣で製作した超大作。初めて観たのは中学生の時。地元の映画館の二階席で、ボロボロと涙を流しながら観たのを今でも憶えている。三十数年ぶりに再見して、薄汚れた中年男はこの映画をどう感じるのかと思ったら……んもうまたしてもボロ泣き。隣にすわった外人にばれないように、声を殺してハンカチ使い放題。
問題は、なぜこの映画はこうまで泣かせるのか、だ。検証してみよう。
ストーリーはこんな感じである。
・昭和46年、蒲田駅操車場で老人の扼殺死体が発見される。
……この老人の容貌はほとんどラストまで明かされない。
・その老人の持っていたマッチから、当夜、あるスナックに彼は若い男とともに訪れていることがわかる。老人は東北弁(らしく聞こえる)訛りで「カメダ」と何度も話していたとホステスたちは証言する。
……「カメダ」は「踊る大捜査線」の劇場版二作目でギャグに使われていた。そのくらい有名なネタだったわけだ。秋田県人の柳葉敏郎が思いきり訛って「かむぇだ」とつぶやくのが笑えた。
・(映画ではこのシーンからスタートする)警視庁捜査一課の今西刑事(丹波哲郎)と西蒲田署の吉村刑事(森田健作)は、「カメダ」が地名ではないかとの憶測をもとに秋田県の亀田を訪れるが、手がかりは得られない。帰路、列車内で和賀英良(加藤剛)という新進気鋭の音楽家と遭遇する。
……羽越線をこの二人は利用する。丹波が「鶴岡のあたりで目が覚めて」と語るので場内に笑いが。原作には酒田も出てくる。
・ある新聞に「紙吹雪の女」と題した紀行文が載る。中央線に乗った若い女性が、窓から紙切れをまいていた、とする記事だった。吉村刑事は「これは紙切れではなくて、返り血を浴びた犯人のシャツを切ったものではないか」と疑い、その女性、理恵子(島田陽子)を訪ねる。しかし彼女は突如失踪してしまう。
……ミステリとしての最大の弱点はここにあると思う。事件解決にある程度の偶然は許容できるだろうが、いくらなんでもこれはきつい。愛人の血染めのシャツを細切れにし、客の多い中央線でばらまく理恵子の不用意さもすごいが、それをたまたま新聞記者が記事にし、たまたま刑事が読んで血痕の残る証拠品ではないかと疑い(無茶だ)、そして吉村の“必死の捜索”でたまたまその布きれが発見されるとは!
PART2につづく。