ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

コピーライター・ミュージシャン池谷恵司の公式ブログです。
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ライカのMシリーズがデジカメになる時代ですから

2007年01月07日 20時12分05秒 | Photo&エッセイ
またまたカメラの話題で失礼。先日僕が今まで持っていたフィルムカメラを一部を除きフリーマーケットで叩き売ってしまったという話をしたんですが、多くの方のご指摘通り、たしかにもったいないとも思ったのですが、(ヤフオクなどで処分すればもうすこしリーズナブルな価格で処分できただろうとも思うのですが)、ま、自分に劇的な区切りをつけたい、カメラが好きそうな人に使ってもらいたい、ヤフオクなどに出す手間が面倒だった、なんて理由でした。

ですが、本当のことを言うと、フィルムカメラが終わったな、と思わせる出来事があったからで、それはライカのMシリーズの最新機種がデジカメだったという事実でした。自分としてはこれはかなり衝撃的で、一眼レフがデジタルになるのは経済的な合理性もあり、時代の流れでもあると思っていたのですが、ライカのMは、趣味性も高く芸術的ですらあるものなのだから、よもやデジカメにはならないと思っていました。しかし、なったんですね。驚きました。


僕はライカは持っていないし、ライカを買うつもりもなかったですが、憧れてはいました。でも、それよりも、この器字を読んで、ああ、これで35mmにフィルムカメラは、歴史的な使命を負えたんだなーと思った。そして、そんな感慨に浸ると同時に、家にあるフィルムカメラを処分する決心をしたのでした。

ちなみにこのPhotoはアサヒカメラの紙面で、阿佐ヶ谷図書館で読んでんですが、その図書館の入り口にフリーマーケットのチラシが張ってあり、フリーマーケットの開催はその翌日だったので、アサカメを読んで24時間以内に自分のカメラを処分したことになります。

しかし僕はカメラだけではなく、ギターもパソコンもそうだけど、道具は道具としてのベストパフォーマンスを持つものを選ぶべきで、そこに希少価値とか、限定もの、とか、マニアックな趣味性が付加され、それ故に効果になったり実用性が損なわれるものを選ぶのは、好きではなかった。だからライカも微妙に避けていたわけです。(だからローレックスみたいな時計も好きではありません)でも、このニューモデルではっきりわかったのですが、ライカは、少なくとも設計思想としては完全に実用品として作っているのね。それは大したものだし志の高い話だと思う。

余談ですが、ライカはフィルム装填を底蓋を外した形で行います。(一番下の写真を参照)これは特有の使いにくさがあるのですが、通常のちょうつがいの裏蓋のシステムでは壊れることがあるから、という理由でした。それが、今回はバッテリーとメモリーを入れるところになっていて、面白かったです。










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