赤岳山頂からは、文三郎尾根ルートで下山を開始した。
開始と共に気付いたことは風をあまり感じなくなってきたことだった。
「ラッキーだね」
「助かりますね」
もちろん慎重に下りなければならないことに変わりはないのだが、気分が幾分楽になったことは確かだった。
「文三郎尾根」
この区間の下山にも苦い思い出がある。
何故か苦く辛い思い出ばかりの様かも知れないが、これはたまたまである。
もう10年ほど前のことで、単独で挑んだ厳冬期赤岳。
山頂からこのルートで下山を開始したが、上から分岐点を見下ろした時とてつもなく嫌な予感がした。
積雪はそれほどでもなかったのだが、明らかにほぼアイスバーン状態であることが見て分かった。
「こりゃぁよほど慎重にかからなきゃ危ない」
言葉にして出さなかったが、そう心の中で呟いたことを今でもはっきりと思えている。
その時の画像で、山頂直下にある分岐点から尾根ルートを見下ろした画像。
一挙手一投足に集中し、慌てず確実にホールドとスタンスを繰り返した。
少し下ったあたりのポイント。
アイスバーンが何ともいやらしい。
幸いにクサリが見えているのでルートを間違うことはなかったが。
この直後のことだった。
覚えているのはクサリをまたいだ時、アイゼンの爪をクサリに引っかけてしまったこと。
何回転したかは覚えていない。
何ら抵抗することができず、前のめりの姿勢で体がぐるぐると回り、為す術無く転落していった。
おそらくは左の赤い矢印に沿って転落したのだと思う。
全くの偶然、全くの幸いだったのは、途中にある岩かクサリにぶつかるかひっかっかて体が停止してくれたことだった。
「ドスーン!」という鈍い音を覚えているので、岩にぶつかったのだろうと思う。
右の矢印方向に落ちて行ってしまっていたらどうなっていたか・・・
考えただけでゾッとする。
慎重に動いたつもりであったが、結果として転落する羽目になってしまったあの時。
アイゼンの爪やピッケルの先端で自分の体を刺してしてしまうこともなく、数カ所の打ち身で済んだのが信じられない。
この区間に来るとどうしてもそのことが頭を過ぎってしまうが、N君には言わずに下山した。
文三郎尾根を下るN君。
今日は雪面が程良く固まっており、爪が良く噛んでくれている。
ゆっくり下りれば問題はないだろう。
阿弥陀岳との分岐点まで下りてきた。
ここまで来れば危険区間は終わったようなもの。
もちろんまだまだ斜度のある下山ルートなので気は抜かないが・・・。
さて、実を言えばこの先の尾根ルート、そして樹林帯の下りが最も体にきつかった。
俗に言う「膝が笑う」って状態になってしまった。
シリセードで下ることも考えたが、それはやめにした。
N君がまだ十分に安全なシリセードを会得していなかったこともあり、自分一人でそれをやってしまうことはやめた方がよいと判断した。
急斜面の下りでの踏ん張りがきつい。
大腿部で踏ん張る筋力の「脆さ」を感じている。
樹林帯に入れば斜度は徐々に緩くなってくるから、なんとかそれまで頑張らねばなるまい。
歳を感じた瞬間だった。
ここまで来れば行者小屋までもう少しだ。
もう少しで休憩が取れる。
そこで最後の休憩をしてテン場へ帰ろう。
テン場に着いたのは16時少し前だった。
夕食は各自で作って食べることになっていたので、それまで仮眠することにした。
アイゼンを外し、アルパインブーツを脱いだ。
ほぼ11時間近く履きっぱなしだったこともあり、開放感に浸った。
18時を過ぎ夕食を作り始めた。
今夜は簡単にレトルトカレーなのだが、思わぬ事になってしまった。
カレーとご飯が温かかった(熱かった)のは、食べ始めのほんの数分だけで、あっという間に冷めてしまい、結構冷たいカレーライスを食べることになってしまった。
それでもかなりの空腹だったので美味かったのは事実だ。
食後に珈琲を飲みながらN君と明日の下山について確認した。
夜は爆睡だったなぁ(笑)。
三日目、下山当日の朝は5時起床。
昨夜に内にできる限り下山の準備をしておいたので軽く朝食を済ませれば後は楽だ。
・・・と思っていたのだが、なんと! 朝食時に使用する予定だった水が完全に凍っており、大きな氷の固まりとなってしまっていた。
これには少し焦った。
準備万端で眠りに就いたと思っていたが、ついうっかり水の入ったサーモフレックスパックをテントの中に出したままにしてしまっていたのだ。
冬期においては、水の凍結を防ぐために何重にも衣類などでくるみ、できればシュラフの中に入れ体温で温めておくのが常識。
それを忘れてしまっていたのだ。
小屋に行けば水はいくらでももらえるのだが、時刻はまだ早朝5時。
開いてはいない。
さてどうしたものかと・・・
下山用の行動水が2.5リットルある。
それを使うことにした。
万が一を考えてやや多めに準備しておいたことで助かった。
スライス状の餅を茹でてお汁粉の準備。
残ったお湯で珈琲を飲んだ。
あまり美味しくはない珈琲だったが、体は暖まる。
テント撤去終了。
7時に予定通り下山を開始した。
鉱泉小屋を出発。
美濃戸口までは3時間もあれば着くだろう。
「下山したら風呂に入りたいね」
「お昼には何か美味い物が食べたいですね」
そんな会話をしながら美濃戸口を目指した。
美濃戸口の手前。
駐車場まであと5分だ。
あと何回あの山を登れることができるだろうか・・・。
体力や持久力を考えればそう回数はないだろう。
いや、せめて赤岳だけでも冬期に登りたいと考えている。
大自然の雄大さを肌で感じ、そして愛でるのは、やはり冬なのだといつも思う。
人は少なく、リスクの高い冬期縦走。
天候や積雪状態に恵まれ、自分を過信しなければ、山は暖かく迎えてくれると思っている。
開始と共に気付いたことは風をあまり感じなくなってきたことだった。
「ラッキーだね」
「助かりますね」
もちろん慎重に下りなければならないことに変わりはないのだが、気分が幾分楽になったことは確かだった。
「文三郎尾根」
この区間の下山にも苦い思い出がある。
何故か苦く辛い思い出ばかりの様かも知れないが、これはたまたまである。
もう10年ほど前のことで、単独で挑んだ厳冬期赤岳。
山頂からこのルートで下山を開始したが、上から分岐点を見下ろした時とてつもなく嫌な予感がした。
積雪はそれほどでもなかったのだが、明らかにほぼアイスバーン状態であることが見て分かった。
「こりゃぁよほど慎重にかからなきゃ危ない」
言葉にして出さなかったが、そう心の中で呟いたことを今でもはっきりと思えている。
その時の画像で、山頂直下にある分岐点から尾根ルートを見下ろした画像。
一挙手一投足に集中し、慌てず確実にホールドとスタンスを繰り返した。
少し下ったあたりのポイント。
アイスバーンが何ともいやらしい。
幸いにクサリが見えているのでルートを間違うことはなかったが。
この直後のことだった。
覚えているのはクサリをまたいだ時、アイゼンの爪をクサリに引っかけてしまったこと。
何回転したかは覚えていない。
何ら抵抗することができず、前のめりの姿勢で体がぐるぐると回り、為す術無く転落していった。
おそらくは左の赤い矢印に沿って転落したのだと思う。
全くの偶然、全くの幸いだったのは、途中にある岩かクサリにぶつかるかひっかっかて体が停止してくれたことだった。
「ドスーン!」という鈍い音を覚えているので、岩にぶつかったのだろうと思う。
右の矢印方向に落ちて行ってしまっていたらどうなっていたか・・・
考えただけでゾッとする。
慎重に動いたつもりであったが、結果として転落する羽目になってしまったあの時。
アイゼンの爪やピッケルの先端で自分の体を刺してしてしまうこともなく、数カ所の打ち身で済んだのが信じられない。
この区間に来るとどうしてもそのことが頭を過ぎってしまうが、N君には言わずに下山した。
文三郎尾根を下るN君。
今日は雪面が程良く固まっており、爪が良く噛んでくれている。
ゆっくり下りれば問題はないだろう。
阿弥陀岳との分岐点まで下りてきた。
ここまで来れば危険区間は終わったようなもの。
もちろんまだまだ斜度のある下山ルートなので気は抜かないが・・・。
さて、実を言えばこの先の尾根ルート、そして樹林帯の下りが最も体にきつかった。
俗に言う「膝が笑う」って状態になってしまった。
シリセードで下ることも考えたが、それはやめにした。
N君がまだ十分に安全なシリセードを会得していなかったこともあり、自分一人でそれをやってしまうことはやめた方がよいと判断した。
急斜面の下りでの踏ん張りがきつい。
大腿部で踏ん張る筋力の「脆さ」を感じている。
樹林帯に入れば斜度は徐々に緩くなってくるから、なんとかそれまで頑張らねばなるまい。
歳を感じた瞬間だった。
ここまで来れば行者小屋までもう少しだ。
もう少しで休憩が取れる。
そこで最後の休憩をしてテン場へ帰ろう。
テン場に着いたのは16時少し前だった。
夕食は各自で作って食べることになっていたので、それまで仮眠することにした。
アイゼンを外し、アルパインブーツを脱いだ。
ほぼ11時間近く履きっぱなしだったこともあり、開放感に浸った。
18時を過ぎ夕食を作り始めた。
今夜は簡単にレトルトカレーなのだが、思わぬ事になってしまった。
カレーとご飯が温かかった(熱かった)のは、食べ始めのほんの数分だけで、あっという間に冷めてしまい、結構冷たいカレーライスを食べることになってしまった。
それでもかなりの空腹だったので美味かったのは事実だ。
食後に珈琲を飲みながらN君と明日の下山について確認した。
夜は爆睡だったなぁ(笑)。
三日目、下山当日の朝は5時起床。
昨夜に内にできる限り下山の準備をしておいたので軽く朝食を済ませれば後は楽だ。
・・・と思っていたのだが、なんと! 朝食時に使用する予定だった水が完全に凍っており、大きな氷の固まりとなってしまっていた。
これには少し焦った。
準備万端で眠りに就いたと思っていたが、ついうっかり水の入ったサーモフレックスパックをテントの中に出したままにしてしまっていたのだ。
冬期においては、水の凍結を防ぐために何重にも衣類などでくるみ、できればシュラフの中に入れ体温で温めておくのが常識。
それを忘れてしまっていたのだ。
小屋に行けば水はいくらでももらえるのだが、時刻はまだ早朝5時。
開いてはいない。
さてどうしたものかと・・・
下山用の行動水が2.5リットルある。
それを使うことにした。
万が一を考えてやや多めに準備しておいたことで助かった。
スライス状の餅を茹でてお汁粉の準備。
残ったお湯で珈琲を飲んだ。
あまり美味しくはない珈琲だったが、体は暖まる。
テント撤去終了。
7時に予定通り下山を開始した。
鉱泉小屋を出発。
美濃戸口までは3時間もあれば着くだろう。
「下山したら風呂に入りたいね」
「お昼には何か美味い物が食べたいですね」
そんな会話をしながら美濃戸口を目指した。
美濃戸口の手前。
駐車場まであと5分だ。
あと何回あの山を登れることができるだろうか・・・。
体力や持久力を考えればそう回数はないだろう。
いや、せめて赤岳だけでも冬期に登りたいと考えている。
大自然の雄大さを肌で感じ、そして愛でるのは、やはり冬なのだといつも思う。
人は少なく、リスクの高い冬期縦走。
天候や積雪状態に恵まれ、自分を過信しなければ、山は暖かく迎えてくれると思っている。
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