ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

サッカーWC2022が終了

2022年12月19日 22時07分11秒 | Weblog
予測できない試合結果が幾つあっただろうか・・・
それは良い意味でも悪い意味でもあった。

大会前には人権問題や施設設備の建設において、6000人以上もの方々が亡くなられたという信じられない出来事や問題もあったが、それらについては敢えて触れずサッカーそのものだけに的を絞りたい。

ジャイアントキリングについては前に触れたが、ドイツとベルギーが予選落ちということに関しては全く考えてはいなかった。
いや、考える事自体が自分の中ではナンセンスだったと言える。
余談になるが、イタリアが今大会に出場できなかったことも悲しく淋しい限りで、ヨーロッパのサッカーレベルの高さ、即ちヨーロッパにおける予選突破の難しさを物語っていよう・・・

今大会に限らず、自分が楽しみでならなかったチーム(国)は、数十年変わらずヨーロッパの国々だった。
ドイツは言わずもがなで、オランダ、イングランド、クロアチア、セルビア、ベルギーといった各国。
(何故かフランス、スペイン、ポルトガルは、昔からそれほど興味関心がなかった)
それらの国々のサッカーがこの短期間の間に何度も観ることのできる幸せと歓び。
これだからWCはたまらん!

特に楽しませてもらったのはクロアチアとセルビアだった。
理由は唯一つ、旧ユーゴスラビアであったということ。
1990年のWCにおいて一大旋風を巻き起こしたユーゴスラビアチーム。
ピクシーことストイコビッチの創造性溢れるプレーには心底魅せられた。
今でも忘れられない一つのプレー(シュート)がある。
敵ゴールマウスの前で味方からの短く高いクロスボールが彼の足元に落ちてくる。
当然ピッチ上の誰もがダイレクトボレーで打ってくると考える。
敵味方関係なく、アナウンサーまでもが「来る!」と予測していた。
それがどうだ、彼はシュートを打たず、瞬間ボールをトラップしピッチ上で止めたのだ。
「何やってるんだよ!」と言いかけたその時、敵キーパーは全くの予想外のトラップにかかり横っ飛び。
ゴールマウスは「どうぞお好きなところにシュートを打ってください」と言わんばかりの状態。
そして余裕綽々でシュート・・・GOAL!!!

暫し口を開けたまま放心状態だった。
なんであんなことができるんだ。
なんであんなことを瞬時に考えることができるんだ。
将に鳥肌が立つ思いだった。

更にもう一つ。
ユーゴスラビアチームの特徴の一つだと思えるトラップの巧さがあった。
受け難いパスボールに対して、軽々とやってのけるトラップ。
まるで彼等の脚には衝撃吸収剤が埋め込まれているんじゃないかとさへ思ってしまった。

その後のことは誰もが知っての通り、内戦の勃発により国は分裂し、WCそのものへの参加もできなくなってしまった。
しかし、今回改めてクロアチアとセルビアのサッカーを観させてもらい思ったことがある。
やはり血は受け継がれている・・・と。
それだけに予選グループで日本とドイツが一緒になり、トーナメントでいきなり日本対クロアチアとなってしまった事においては正直辛かった。

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さて、我らが日本について少し触れておかねばなるまい。
あくまでも個人的見解なので、その点は御了承いただきたい。

強豪国を相手にする時どうやって戦うか・・・。
先ずは引いて粘って粘って粘り強く守り、カウンターで一気に攻め上がりチャンスをものにする。
実際に対ドイツやスペイン戦がそうだった。
それが日本のまぎれもない現状だろう。
はなからまともに打ち合いをやって勝てるだけの力はまだ・・・ない。

そう言えば、某辛口サッカーコメンテーターがこんなことを言っていた。
「ドイツやスペインを相手に戦うんじゃ、守ってカウンターしかないんじゃないですか。それしか方法はないでしょうね」と。
そしてその通りの結果が出たらこんなことを言っていた。
「こんな勝ち方しかできないんじゃ進歩はないですよ」
「それっておかしんじゃない」と思ったのは自分だけではないはずだ。
現在の力がそれなのだからそれでいいんじゃないの。
進歩は次のWCに向けての四年間じゃないの。

今後の課題は、サッカー協会や強化委員会の方々が今大会の「総括」を基にどうすべきかを考え実行に移すだろう。
強いて自分が素人なりに考えていることは、「個」のレベルアップだろうか。
ある意味、幸いにして今の若い選手達は「ドーハの悲劇」を知らない。
あの悲劇はあくまでも過去の歴史の出来事であって、目の当たりにしたわけではない。
若い選手達にはそれがいい意味で教訓としてのみ語り継がれている。
だからメンタルに「悲劇」として影響を及ぼすことはない。
教訓として心に焼き付け海外のチーム(特にヨーロッパ)へ移籍し、テクニックに優れ体のでかい奴らを相手し己を磨く。
これから先もっと多くの若い芽が育ち、海外のチームでしか得られないものを習得して欲しい。
(そのためにはやはりJリーグのレベルアップだろう・・・)
世界中から集まってくる強豪選手達と日々戦い競い合い、リスペクトし過ぎることなく、臆することなく、強豪選手と戦うことがごく当たり前になって、その上でWCでも戦える選手がもっと輩出してくることを望んでいる。
そして日本代表チームに欠かせない存在となって欲しい。

もう一つ監督について。
監督が外国人が良いのか日本人が良いのか意見は分かれている。
自分もどちらが良いのか分からない。
何故なら一長一短だし、決定的なことは何もない様な気がしてならない。
強いて一つだけ言いたいのは「日本人監督だからこそのメリット」だ。

よく言われているのがコミュニケーションの重要性である。
それを自分なりに考えるなら「言葉の持つ強さと本当の意味」ということ。
「強さ」とは、感情の様なもので、例えばある言葉を大声で怒鳴るように言えば監督が怒っていると感じるだろう。
しかし、そこは日本人同士。
怒鳴っているだけではなく、どんな思いで言っているのか、心底にある積み重ねてきた何らかの思いがあるのではないかということが見え隠れし、ただ怒鳴られているだけではないという思いが生まれてくる・・・のではないか。
長い合宿生活における日々の中で培われてきた、日本人同士のコミュニケーションだからこそ分かるものがあるのではないだろうか。

「本当の意味」とは。
例えば英語で自分のことを “I・My・Me” と言うが、それを訳せば「私、わたくし、あたし、自分、僕、俺、我が輩、儂、拙者、それがし」などと幾つにもなる。(さすがに「拙者・それがし」は無いか・・・笑)
外国人の監督が「自分はこう思う」と言い、それを通訳の方が訳す。
果たしてどう訳すのか、「私」なのか「僕」なのか、それとも「俺」なのか・・・。

つまり、日本語には一つの同じ意味を表す言葉が幾つも存在していると言うことで、更には類義語までもが多く存在している。
どの言葉を用い、どんな感情で言うのか、そしてその言葉をどう受け止めるのかはやはり日本人同士でなければどこかにズレが生じてくるのではないかと考えている。
一つの言葉や単語が持っている伝えたい思い。
それは思いだけに留まらず、感情であり重さであり、願いでもあると思う。
それらを真にわかり合えるのは日本人同士なのではないだろうか。

最後にもう一つだけ。
「おい、メディア! いい加減にしろ!!」
と、4年前のWC時にも言ったが、今回も「またか・・・」という悲しい思いにさせられた。

どの番組かまでは言わないが、第一戦の対ドイツ戦に勝利し、日本中が「勝った勝った!」で浮かれている時だった。
タイトルは、なんと!
「もっと言いたいあの感動を!」だった。

視聴率を上げたいのは分かるが、何を今更だ。
明日は第二戦のコスタリカ戦だっていうこの時に、なにがもっと言いたいだ!
しかもそれを言うのは、元代表選手のそうそうたるメンバーだ。
(おそらくは彼等だって本音ではそうは思ってはいないはずだと信じたい)
「もっと言いたい」ではなく、TV局が「言わせたい」だけなのだろう。

「おい、もう明日だぞ。なんでこんな低俗な内容なんだ。」
呆れかえるよりも悲しくさへなってきた。
本気で日本サッカーを盛り上げ、レベルアップを願うのなら頼むからやめて欲しい。
メディアの責任て、結構重いんだぞ!

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今回の大会で、目標であるベスト8には届かなかった。
ドイツに勝利し、スペインまでも破った日本代表。
素晴らしい戦いであった。
感動した。
だが、目標を達成したわけではない。
次のWCまであと三年半しかない。

もう一歩、もう一段階上へ登る為の戦い(闘い)はもう始まっている。
自分には応援することしかできない。
祈ることしかできない。

だから、愛してるぜ日本代表!