通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

「カープ選手かぞえ唄」に元歌があった!?

2020年12月27日 | 音楽
皆さんは、
「カープ選手かぞえ唄」という歌を
ご存じでしょうか?

今から45年前の1975年、
球団創設以来26年目にして
悲願の初優勝を達成した広島カープ。

そのカープ初優勝時の古葉監督以下、
主力選手たちが吹き込んだのが
「カープ選手かぞえ唄」という歌。

この「カープ選手かぞえ唄」には、
実は、元となる歌があったのです。





というわけで今日は、
「カープ選手かぞえ唄」に元歌があった!?
という話でがんす。





↓「カープ選手かぞえ唄」については、こちら↓

「カープ数え唄【選手紹介付】(1975)」YouTube





先日、12月23日(水)の午前3時30分ころ、
トイレに行った後、
「もう一眠りするか」と横になった。

その時、ラジオから、
あの懐かしの「カープ選手かぞえ唄」が
流れてきた。

「おぉ~、この歌も久しぶりに聞くのう。
NHKも粋なことをしてくれるもんじゃ」

…が、よくよく聞いてみると、
歌詞がちぃと(=少し)違う。

「待てよ。シーズンオフじゃいうのに、
なんでまたこの歌が、
しかもNHKの「ラジオ深夜便」で
かかるんじゃろ?」

さらに聞いていくと、
歌詞がちぃとどころが、
全然違うとるが。

…この歌はなんじゃろ?

寝ぼけた頭のままラジオを聞いていると、
守屋 浩(もりや ひろし)さんが歌う
「大学かぞえうた」ということが分かった。





↓「大学かぞえうた」については、こちら↓

「大学かぞえうた(守屋浩)」YouTube





「大学かぞえうた」
について調べてみると…。

「大学かぞえうた」は、
今から58年前の1962年8月に
シングルで発売された歌。

そのころ流行していた
歌声喫茶で歌われていた曲を採譜・編曲し、
歌詞を一部変更したもの。



ちなみに、このレコードの
プロデュースを担当されたのが、のちに
南沙織(みなみ さおり)さんをはじめ、
郷ひろみさん、
山口百恵(やまぐち ももえ)さんなど
数多くのミュージシャンを育成する
酒井 政利(さかい まさとし)さん。





さらに調べていくと、
「大学かぞえうた」の、
さらに元となる歌があるという。

そのうちのひとつといわれるが、
瀬戸内海に浮かぶ
広島県江田島市(えたじまし)に
かつて存在した旧海軍兵学校で
歌われていた「兵学校数え歌」という歌。

広島カープに始まったかぞえ歌探しが、
最後は広島の江田島に戻ってくるとは
思わなんだ。





↓「兵学校数え歌」については、こちら↓

「兵学校数え唄(海軍兵学校)」YouTube





以下、余談…。



「カープ選手かぞえ唄」を吹き込んだ、
広島カープ初優勝時(1975年)の
主力メンバーは、以下のとおり。

1番 大下剛史(おおした つよし)セカンド

2番 三村敏之(みむら としゆき)ショート

3番 ゲイル・ポプキンス ファースト

4番 山本浩二(やまもと こうじ)センター

5番 衣笠祥雄(きぬがさ さちお)サード

6番 リッチー・シェーン ライト

7番 水谷実雄(みずたに じつお)レフト

8番 水沼四郎(みずぬま しろう)
  キャッチャー

  道原裕幸(みちはら ひろゆき)〃

9番 外木場 義郎(そとこば よしろう)
  ピッチャー

  佐伯和司(さえき かずし)〃

  池谷 公二郎(いけがや こうじろう)〃

  金城基泰(かねしろ もとやす)〃

  渡辺弘基(わたなべ ひろき)〃

  宮本幸信(みやもと ゆきのぶ)〃

10番 山本一義(やまもと かずよし)
  コーチ兼任

  古葉竹識(こば たけし)監督





以下、さらに余談…。



この歌の作詞を担当されたのが、
津田一男(つだ かずお)さんと
有馬 三恵子(ありま みえこ)さん。



津田さんは、中国新聞誌上に
名コラム「球心」を連載されていた方で、
カープが悲願の初優勝を達成したときの
「球心」の書き出しは、
今でも語り草となっている。



「真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた」



有馬さんは、
伊東ゆかりさん「小指の想い出」、
南 沙織(みなみ さおり)さん「17才」、
金井克子(かない かつこ)さん
「他人の関係」など、
数々のヒット曲を手掛けた作詞家。

「カープを優勝させる会」の
メンバーであったところから、
1975年、広島カープの球団歌
「それ行けカープ ~若き鯉たち~」
(歌:塩見 大治郎(しおみ だいじろう)さん)、
同じく
「カープを優勝させる会」のメンバーだった
富永 一朗(とみなが いちろう)さんの
「ゴーゴーカープ」も担当されました。





↓塩見 大治郎さんについての関連記事は、こちら↓

塩見大治郎さん





↓「ゴーゴーカープ」については、こちら↓

「ゴーゴーカープ」YouTube





富永さんが出演されていた
テレビ大喜利番組『お笑いマンガ道場』の
司会を務めていたのが、
「県北の大都会・三次(みよし)」出身の
柏村武昭(かしむら たけあき)さん。

柏村さんも、1975年
「痛快!赤ヘル音頭」というレコードを
出されていますが、
今回は「数え歌」つながりで、
B面の「赤ヘル数え歌」を紹介しましょう。





↓「赤ヘル数え歌」については、こちら↓

「赤ヘル数え歌 柏村武昭 コーラスカープ私設応援団」YouTube





最後にもう一度、
「カープ選手かぞえ唄」を聞いて
終わりにしたいと思います。

冒頭に流れるのが、1975年10月15日、
広島カープが初優勝を決めた試合の、
RCC中国放送のラジオ中継。

中継を担当したのは、
RCC中国放送の名物アナウンサー
上野隆紘(うえの たかひろ)さん。

優勝が決まった瞬間、後ろで
「やった! やった!」と叫んでいるのが、
野球解説者の
金山次郎(かなやま じろう)さん。

金山さんは3回、盗塁王に選ばれ、
(広島カープでは、1953年の1回のみ)
広島カープの「走る野球」の原点に
なったといわれる方。

金山さんから後は、
古葉竹識(1964年、68年)、
大下剛史(1975年)、
衣笠祥雄(1976年)、
高橋慶彦(1979年、80年、85年)、
正田耕三(1989年)、
野村謙二郎(1990年、91年、94年)、
緒方孝市(1995年 - 97年)、
梵 英心(2010年)、
丸 佳浩(2013年)、
田中広輔(2017年)
が盗塁王に選ばれています。


1975年10月15日の
広島カープの先発メンバーは
以下のとおり。

1番 大下
2番 三村
3番 ポプキンス
4番 山本浩
5番 衣笠
6番 シェーン
7番 水谷
8番 道原
9番 外木場





↓「カープ選手かぞえ唄」については、こちら↓

「1975カープ初V / 選手数え歌」YouTube





今日は、
「カープ選手かぞえ唄」に元歌があった!?
について話をさせてもらいました。



ほいじゃあ、またの。
コメント
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