第3966号 01.11.26(火)
何となれば則ち君子は人の善を揚げ、小人は人の悪を訐(あば)く。悪を言ひて必ず信ぜらるれば、則ち小人の道長ず。善を聞きて或は疑へば、則ち君子の道消す。国家を為むる者は、君子を進めて小人を退くるを急にす。乃ち君子をして道消し、小人をして道長ぜしむれば、則ち君臣、序を失ひ、上下、否隔す。亂亡、卹(うれ)へず、將た何を以て理まらんや。『貞観政要』419
なぜかと申しますれば、君子は人の善い点を揚げますが、小人は人の悪い所をあばくものでございます。悪口を言って、それが必ず信用されれば、小人の道がますます盛んになります。善行を聞いても、疑うことがあれば、君子の道が衰え消えます。国家を治める者は、君子を進め小人を退けることを最も大切なこととすべきであります。それなのに、君子の道が衰え、小人の道が盛んにならせるときは、君臣の順序がめちゃめちゃになり、上下の意志がふさがり隔てられて通じなくなります。乱れ亡びる道を憂いませんならば、どうして国家を治めることができましょうや。420
【コメント】国家を治める道も、人々が栄える道も、君子を進め小人を退けることが大事だと思います。
それでも小人を痛めつけることはよろしくありません。相撲大会で白鵬が下位の人にハリテをするのも、カチアゲをするのもよろしくありません。これは協会が言わなければいけないのです。
これは父親が子供にすることと同じです。これがわからない白鵬であれば、チンピラ同様です。精神年齢が幼稚だということです。
35歳のお兄ちゃんが小学生の女の子を自宅へ連れ帰ったとして問題になっていますが、そういうことをすべきではありません。
35歳と言えば、世の中のことが幾らかわかる年代だと思います。まだいたずらをしていなかったからよかったですが。
幼い時の私の周囲にも子供が大人になったような幼稚なものがたくさんいました。今の私みたいに漢籍を繙くような人は皆無でした。
昨晩、相撲協会の役員だと思われる人が、白鵬のカチアゲにクレームをつけていました。大変良いことです。今後白鵬が直るか否か、自らがきづかなければならないのです。勿論政治家もですが。
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『善の研究』第368回
しかし、単に調和であるとか中庸であるとかいったのでは未だ意味が明瞭でない。調和とは如何なる意味においての調和であるか、中庸とは如何なる意味においての中庸であるか。意識は如何なる活動の集合ではにくして統一せられたる一体系である。その調和または中庸ということは数量的の意味ではなくして体系的秩序の意味でなければならぬ。然らば我々の精神の種々なる活動における固有の秩序は如何なるものであるか。我々の精神もその低き程度においては動物の精神と同じく単に本能活動である。即ち目前の対象に対して衝動的に働くので、全く肉欲に由りて動かされるのである。
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何となれば則ち君子は人の善を揚げ、小人は人の悪を訐(あば)く。悪を言ひて必ず信ぜらるれば、則ち小人の道長ず。善を聞きて或は疑へば、則ち君子の道消す。国家を為むる者は、君子を進めて小人を退くるを急にす。乃ち君子をして道消し、小人をして道長ぜしむれば、則ち君臣、序を失ひ、上下、否隔す。亂亡、卹(うれ)へず、將た何を以て理まらんや。『貞観政要』419
なぜかと申しますれば、君子は人の善い点を揚げますが、小人は人の悪い所をあばくものでございます。悪口を言って、それが必ず信用されれば、小人の道がますます盛んになります。善行を聞いても、疑うことがあれば、君子の道が衰え消えます。国家を治める者は、君子を進め小人を退けることを最も大切なこととすべきであります。それなのに、君子の道が衰え、小人の道が盛んにならせるときは、君臣の順序がめちゃめちゃになり、上下の意志がふさがり隔てられて通じなくなります。乱れ亡びる道を憂いませんならば、どうして国家を治めることができましょうや。420
【コメント】国家を治める道も、人々が栄える道も、君子を進め小人を退けることが大事だと思います。
それでも小人を痛めつけることはよろしくありません。相撲大会で白鵬が下位の人にハリテをするのも、カチアゲをするのもよろしくありません。これは協会が言わなければいけないのです。
これは父親が子供にすることと同じです。これがわからない白鵬であれば、チンピラ同様です。精神年齢が幼稚だということです。
35歳のお兄ちゃんが小学生の女の子を自宅へ連れ帰ったとして問題になっていますが、そういうことをすべきではありません。
35歳と言えば、世の中のことが幾らかわかる年代だと思います。まだいたずらをしていなかったからよかったですが。
幼い時の私の周囲にも子供が大人になったような幼稚なものがたくさんいました。今の私みたいに漢籍を繙くような人は皆無でした。
昨晩、相撲協会の役員だと思われる人が、白鵬のカチアゲにクレームをつけていました。大変良いことです。今後白鵬が直るか否か、自らがきづかなければならないのです。勿論政治家もですが。
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『善の研究』第368回
しかし、単に調和であるとか中庸であるとかいったのでは未だ意味が明瞭でない。調和とは如何なる意味においての調和であるか、中庸とは如何なる意味においての中庸であるか。意識は如何なる活動の集合ではにくして統一せられたる一体系である。その調和または中庸ということは数量的の意味ではなくして体系的秩序の意味でなければならぬ。然らば我々の精神の種々なる活動における固有の秩序は如何なるものであるか。我々の精神もその低き程度においては動物の精神と同じく単に本能活動である。即ち目前の対象に対して衝動的に働くので、全く肉欲に由りて動かされるのである。
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