第2699号 28.05.21(土)
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事業文章は、身に随って銷毀(しょうき)すれども、精神は万古に新たなるが如し。『菜根譚』
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事業を大きくするとか、あるいははなばなしい仕事を世に明らかにすることは、その身のある間だけは存在するが、永久にというわけにはいかない。その人が死んでしまえば、同時に消えやすいものである。
しかし、人間の精神は、永遠に新しい。それゆえ、事実を興す以上に精神を残していくことが子孫のためにも自分のためにもなるのだ。570
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【コメント】上の解説にある〈子孫のためにも自分のためにも〉、そして世の人々のためにも役に立つと思います。連日西郷隆盛を拝読し唸っています。そして、30年前から詩吟教室で習得した西郷隆盛の漢詩を思い出しながら、人格の素晴らしさを堪能しています。
まさしく西郷隆盛は「皇国の英雄としての精神」を遺してくれています。漢詩と『南洲翁遺訓』です。『南洲翁遺訓』は、菅臥牛翁を中心として文言を練り、西郷隆盛になり切って、皇国・日本の国家社会の今後を思って、世に遺したものです。
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昨日は超キリキリマイの一日でした。午前中、生協病院に行き耳鼻咽喉の診察を受けました。そして帰宅しブログ書き、其の後ふれあいセンターへ行きました。夕刻は乙女子・中島瑠果嬢を慈眼寺駅までお迎えに行き、本部道場で空手道指導をしました。
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乙女子は五ケ月位空手道教室を休んでいました。空手道の基本、そして数々の空手道型を演武して貰いました。そして空手道の舞も演じて貰いました。
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師匠の私は、正面に静坐して久しぶりに拝見しました。現在高校二年の乙女子は体力の向上、そして大人への脱皮が醸し出す精神性の向上と相俟って見事な技を披露してくれました。
非の打ちどころのない空手の舞でした。手が墜ちたというよりか、寧ろ上っていたところに乙女子の人間としての成長を確認しました。
願うものなら、歌手・水前寺清子氏にお見せしたいものです。
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40年前私が花柳流に興じていた頃、名取の皆さんが、空手の舞が素晴らしいとしておけいこしたものです。ところが実際の空手道の突き・蹴り・受けを訓練していないものですから、サマニナラナイのでした。
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円心会道場の幼児・森永礼弥君も上手いし、城山観光ホテルで演じた池田敬天君も上手いのですが、そこは幼児と青年女子、その差は如何ともしようがない現実です。その見事さは天晴れでした。叶うものなら、来年、2.3月頃開催される発表大会で演じていただくことにしたいと思っています。
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空手舞 突き蹴り手刀に 満腔の
奥義を見たり 乙女子の魂
久々に 舞と空手の 妙技見て
日の本の華 大和撫子 博庵
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『臥牛菅実秀』(第235回)
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政府のある高官が、西郷の東京の住居の余りに粗末なのに驚いて、
「参議ともあろう人が、こんな家にすんでいるとは、ちとひどい。」
といったら、西郷は、あの巨眼をむいて
「日本という家は、もっときたのうごわす。」
といったというが、西郷にとって、日本という家が美しくならないかぎり、一家のために美田を買うなどということはありえないとしていたのであろう。
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それに落款も、この詩にふさわしく『武邨吉』となっている。『武邨』は武村のことで、西郷は戊辰戦争後、鹿児島に帰ってから、城西の武山の麓、武村に住んでいたからであり『吉』は西郷の通称、吉之助の吉である。維新第一の功労者といわれ、政府参議の要職についても、それらの名声、官位は人が与えたものであり、自分はおくまでも武村の吉であるとする西郷の心事の現われであろう。
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『農士道』(第511回)
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しかも此の「願」といふは何か、唯々豆を収穫することのみではあるまい。彼の帰耕の生活には、随分の辛さも苦しさもあったろう。その辛さ苦しさの間には、時に素志、素願の挫けさうなこともあったろう。然し自分は飽くまでもこの素願を貫き通すぞといふ----その「願」を違ふこと無からしめんといふのだ。この「願」を味はねばならぬ。とまれ、秋の夕暮れ、葉末の露のしとけき田圃路の帰りなどに口ずさむと、何かしら心の底から懐しまれる詩である。
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事業文章は、身に随って銷毀(しょうき)すれども、精神は万古に新たなるが如し。『菜根譚』
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事業を大きくするとか、あるいははなばなしい仕事を世に明らかにすることは、その身のある間だけは存在するが、永久にというわけにはいかない。その人が死んでしまえば、同時に消えやすいものである。
しかし、人間の精神は、永遠に新しい。それゆえ、事実を興す以上に精神を残していくことが子孫のためにも自分のためにもなるのだ。570
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【コメント】上の解説にある〈子孫のためにも自分のためにも〉、そして世の人々のためにも役に立つと思います。連日西郷隆盛を拝読し唸っています。そして、30年前から詩吟教室で習得した西郷隆盛の漢詩を思い出しながら、人格の素晴らしさを堪能しています。
まさしく西郷隆盛は「皇国の英雄としての精神」を遺してくれています。漢詩と『南洲翁遺訓』です。『南洲翁遺訓』は、菅臥牛翁を中心として文言を練り、西郷隆盛になり切って、皇国・日本の国家社会の今後を思って、世に遺したものです。
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昨日は超キリキリマイの一日でした。午前中、生協病院に行き耳鼻咽喉の診察を受けました。そして帰宅しブログ書き、其の後ふれあいセンターへ行きました。夕刻は乙女子・中島瑠果嬢を慈眼寺駅までお迎えに行き、本部道場で空手道指導をしました。
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乙女子は五ケ月位空手道教室を休んでいました。空手道の基本、そして数々の空手道型を演武して貰いました。そして空手道の舞も演じて貰いました。
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師匠の私は、正面に静坐して久しぶりに拝見しました。現在高校二年の乙女子は体力の向上、そして大人への脱皮が醸し出す精神性の向上と相俟って見事な技を披露してくれました。
非の打ちどころのない空手の舞でした。手が墜ちたというよりか、寧ろ上っていたところに乙女子の人間としての成長を確認しました。
願うものなら、歌手・水前寺清子氏にお見せしたいものです。
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40年前私が花柳流に興じていた頃、名取の皆さんが、空手の舞が素晴らしいとしておけいこしたものです。ところが実際の空手道の突き・蹴り・受けを訓練していないものですから、サマニナラナイのでした。
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円心会道場の幼児・森永礼弥君も上手いし、城山観光ホテルで演じた池田敬天君も上手いのですが、そこは幼児と青年女子、その差は如何ともしようがない現実です。その見事さは天晴れでした。叶うものなら、来年、2.3月頃開催される発表大会で演じていただくことにしたいと思っています。
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空手舞 突き蹴り手刀に 満腔の
奥義を見たり 乙女子の魂
久々に 舞と空手の 妙技見て
日の本の華 大和撫子 博庵
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『臥牛菅実秀』(第235回)
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政府のある高官が、西郷の東京の住居の余りに粗末なのに驚いて、
「参議ともあろう人が、こんな家にすんでいるとは、ちとひどい。」
といったら、西郷は、あの巨眼をむいて
「日本という家は、もっときたのうごわす。」
といったというが、西郷にとって、日本という家が美しくならないかぎり、一家のために美田を買うなどということはありえないとしていたのであろう。
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それに落款も、この詩にふさわしく『武邨吉』となっている。『武邨』は武村のことで、西郷は戊辰戦争後、鹿児島に帰ってから、城西の武山の麓、武村に住んでいたからであり『吉』は西郷の通称、吉之助の吉である。維新第一の功労者といわれ、政府参議の要職についても、それらの名声、官位は人が与えたものであり、自分はおくまでも武村の吉であるとする西郷の心事の現われであろう。
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『農士道』(第511回)
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しかも此の「願」といふは何か、唯々豆を収穫することのみではあるまい。彼の帰耕の生活には、随分の辛さも苦しさもあったろう。その辛さ苦しさの間には、時に素志、素願の挫けさうなこともあったろう。然し自分は飽くまでもこの素願を貫き通すぞといふ----その「願」を違ふこと無からしめんといふのだ。この「願」を味はねばならぬ。とまれ、秋の夕暮れ、葉末の露のしとけき田圃路の帰りなどに口ずさむと、何かしら心の底から懐しまれる詩である。
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