味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

読むこと十遍なるは、写すこと一遍なるに如かず。

2016-02-17 10:26:52 | ブログ
第2605号 28.02.17(水)
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読むこと十遍なるは、写すこと一遍なるに如かず。(『鶴林玉露』天 手寫九經)
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 書物は十ぺん読むよりも、一度写すほうが益が多い。712
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 【コメント】連日、漢籍の言葉等々をご紹介していますが、文字を書き写すという作業は大変によろしいかと思います。何も知らない私にいろいろと教えてくれるからです。
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 こういった筆写は30年このかた続けています。高望みをすることなく、自分に合った生き方をすることが出来ればいいとそれでいいのではないでしょうか。

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『臥牛菅実秀』(第141回)
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 秋田県の淀川の山上に野営したときなどは、みぞれ交りの荒天になってしまい、萱屋根の小屋に酒井吉之亟ほか数名が辛うじて身を寄せたが、兵士たちは荒天の野外で焚火をしながら、わずかに暖をとっていた。すると吉之亟は屋根の萱を抜き取って、次から次に焚かせたので、もっとも寒い夜明けがたには、屋根はすっかりからっぽになってしまった。吉之亟は『兵には二椀を、主将は一椀を』といった実秀の言葉を忘れなかったたのである。
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    (四)
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 七月廿日、藩主酒井忠篤は馬を駆って吹浦、女鹿の戦陣を巡視し、本営を鳥海山麓の上寺に移し、矢島攻撃の指令を発した。
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  ※矢島。矢島藩の城下町で秋田の政府軍の前進基地。
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『教の國 荘内』(第32回)
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 最近現代教育に深刻なる疑問を生じ、或は塾式教育の復活といひ、或は道場式教育の勃興といひ、教学復古の氣運の勃然として台頭し来れる時、この荘内致道館の教学の今猶依然として存するは誠に有難いといはねばならぬ。
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 然らば何故に荘内にかくも其の藩學が遣りしか。私は此の事を思ふ時、真に「恵まれざりし者の幸福」を痛感する。何をか「恵まれざれし者」といふや。そは明治維新の際に於ける荘内藩の不遇である。荘内は藩祖忠勝公以来徳川幕府の最も重要なる親藩としての地位にあったのであるが、維新の際は最後まで佐幕の旗幟を改めず、幕府已に恭順の意を表するに至るも、當時の所謂「官軍」を目して「薩長軍」となし、東北二十三藩を率いて敢然として最後まで之に抗し、愈々大義名分を明弁するに至って始めて之を禮を以て和を講ぜしものである。

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『農士道』(第417回)
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 かくて一家に於ける男尊女卑の関係の如く、-----但し尊は「たか」と訓みて、高御産巣日の「たか」を意味し、卑は「ひくし」とと訓みて、産巣日の「かみ」(かくれみ=隠身)を意味する。従って男尊女卑は換言すれば「女本男末」といふことになっているのであって、----一国に於いても農商の関係にあるべきもので、農産物の種子を肇國の女性神が取らしめたといふことは、誠に意味深遠なものがあると思はれる。
 兎に角穀物の種子は實にかかる深く尊き祖神の神徳の御陰によって得られたものである。従って吾々が小さい一粒一粒の種子を蒔くにも、常にかかる神徳を奉じて、之に報謝するの心を以て栽培せねばならぬものである。

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「昭憲皇太后御歌」
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 十六日 みがかずば玉の光はいでざらむ
         人のこころもかくこそあるらし

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        (磨かなければ光りません)
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