第2601号 28.02.13(土)
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獣を逐(お)う者は、目に太山を見ず。嗜欲(しよく)外に在るは、則ち明の蔽わるる所なり。『淮南子』
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太山に入って獣を逐う者は、獣に心を奪われているから、その山は見えない。嗜欲が他にあれば、良心の明が隠されてすべてのものを正視する力を失う。433
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【コメント】何事も一所懸命に打ち込んでいる時は、精神が集中しているから、他のものが往々にして見得ない場合があるようです。
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読書にしても読んでいる時は、理解しているつもりでも、後から考えて少し理解力が乏しいこともあるようです。これは老衰した高齢者の私だからかもしれません。
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理解力の乏しい私は、ブログを書きながら、文字の誤りはないかと一言一句確認しているつもりですが、後から見てミスが発見され、大変恐縮しています。そういった意味では、書き写す行為は最高の勉強だと思っています。
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その昔、美空ひばりと歌手の三人娘と言われた方のお姉さまで、作家になっておられた方のタンスの引き出しをみたら、凄い量の書写したものが出てきたということを聞いたことがあります。
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とにかく、世の人々から後ろ指を指されることのなきよう精進したいものです。昨日、衆議院の方が不適切なことをしたということで、辞職されました。今後、似たような過ちを繰り返さなければ、天はその方を称賛するでしょう。
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ある宰相の一代記?みたいな著書に『天才』というタイトルをつけて、世に紹介した方がおりますが、天才とは西郷南洲翁とか菅先生、菅原先生みたいな方を言うのだと私は思っているのですが、如何でしょう。
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因みに安岡先生は、その天才氏に対して「惜しい」として、称賛することは著書の中で控えています。
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『臥牛菅実秀』(第137回)
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この戦乱の中に作った吉之亟の詩をもう一首、抄録してみよう。
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新城陥るの後、稍兵を進む。雲山万重、敵、雄勝嶺を阻みて、万方進むこと能わず。遂に策を決し、前軍は中村よりし、予、銀山より す。間道、師を潜めて之を襲わんとす。暁、鏡沢を発す。実に孟秋下八なり。
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※雄勝嶺。雄勝峠、山形県最上郡と秋田県雄勝郡の境にあり。
※※中村。雄勝郡。
※※※銀山。同上。横手に通ずる要衝の地。
※※※※孟秋下八。旧歴の七月二十八日。
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三軍 策を決して銀山に向う
暁に轅門を出づれば意気閑なり
喇叭一声千しょうの月
七星旗は動く白雲の中
※轅門。兵舎の門。
※※七星旗。二番大隊の隊長は、北斗七星の旗であった。
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『教の國 荘内』(第28回)
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かくて愈々学校設立の実現を見たのは、寛政十二年であって、此間約十年の準備の期間を要し、愈々機熱するを見て家老服部圓蔵を総奉行に、組頭松平氏武右衛門を副奉行に、白井矢太夫を祭酒(學政を司る官名、今日の校長)として開校の運びに至ったのである。
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以上は荘内学の歴史であるが、次の学問の内容を見るに、荘内學は珍しくも徂徠学派に属する。
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『農士道』(第413回)
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支那の歴史などを見るも、新しく國を建つるや、先ず其国土の季候に相応しい暦を定むることを重大なる事とし、夏の暦とか殷の暦とかいって、其の暦に従って、其國適当の農業の指導をなしたるものたることが窺はれる。かくて我国現行の西洋輸入の新暦が、日本の国土気象に果して其の儘適当なりや否やは、十分検討を要することに属するであらうと思ふ。或間として敬みて之を記する所以である。
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「明治天皇御製」
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十一日 たらちねの親につかへてまめなるが
人のまことの始めなりけり
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(孝は人の行いの基本です)
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獣を逐(お)う者は、目に太山を見ず。嗜欲(しよく)外に在るは、則ち明の蔽わるる所なり。『淮南子』
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太山に入って獣を逐う者は、獣に心を奪われているから、その山は見えない。嗜欲が他にあれば、良心の明が隠されてすべてのものを正視する力を失う。433
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【コメント】何事も一所懸命に打ち込んでいる時は、精神が集中しているから、他のものが往々にして見得ない場合があるようです。
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読書にしても読んでいる時は、理解しているつもりでも、後から考えて少し理解力が乏しいこともあるようです。これは老衰した高齢者の私だからかもしれません。
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理解力の乏しい私は、ブログを書きながら、文字の誤りはないかと一言一句確認しているつもりですが、後から見てミスが発見され、大変恐縮しています。そういった意味では、書き写す行為は最高の勉強だと思っています。
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その昔、美空ひばりと歌手の三人娘と言われた方のお姉さまで、作家になっておられた方のタンスの引き出しをみたら、凄い量の書写したものが出てきたということを聞いたことがあります。
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とにかく、世の人々から後ろ指を指されることのなきよう精進したいものです。昨日、衆議院の方が不適切なことをしたということで、辞職されました。今後、似たような過ちを繰り返さなければ、天はその方を称賛するでしょう。
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ある宰相の一代記?みたいな著書に『天才』というタイトルをつけて、世に紹介した方がおりますが、天才とは西郷南洲翁とか菅先生、菅原先生みたいな方を言うのだと私は思っているのですが、如何でしょう。
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因みに安岡先生は、その天才氏に対して「惜しい」として、称賛することは著書の中で控えています。
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『臥牛菅実秀』(第137回)
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この戦乱の中に作った吉之亟の詩をもう一首、抄録してみよう。
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新城陥るの後、稍兵を進む。雲山万重、敵、雄勝嶺を阻みて、万方進むこと能わず。遂に策を決し、前軍は中村よりし、予、銀山より す。間道、師を潜めて之を襲わんとす。暁、鏡沢を発す。実に孟秋下八なり。
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※雄勝嶺。雄勝峠、山形県最上郡と秋田県雄勝郡の境にあり。
※※中村。雄勝郡。
※※※銀山。同上。横手に通ずる要衝の地。
※※※※孟秋下八。旧歴の七月二十八日。
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三軍 策を決して銀山に向う
暁に轅門を出づれば意気閑なり
喇叭一声千しょうの月
七星旗は動く白雲の中
※轅門。兵舎の門。
※※七星旗。二番大隊の隊長は、北斗七星の旗であった。
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『教の國 荘内』(第28回)
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かくて愈々学校設立の実現を見たのは、寛政十二年であって、此間約十年の準備の期間を要し、愈々機熱するを見て家老服部圓蔵を総奉行に、組頭松平氏武右衛門を副奉行に、白井矢太夫を祭酒(學政を司る官名、今日の校長)として開校の運びに至ったのである。
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以上は荘内学の歴史であるが、次の学問の内容を見るに、荘内學は珍しくも徂徠学派に属する。
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『農士道』(第413回)
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支那の歴史などを見るも、新しく國を建つるや、先ず其国土の季候に相応しい暦を定むることを重大なる事とし、夏の暦とか殷の暦とかいって、其の暦に従って、其國適当の農業の指導をなしたるものたることが窺はれる。かくて我国現行の西洋輸入の新暦が、日本の国土気象に果して其の儘適当なりや否やは、十分検討を要することに属するであらうと思ふ。或間として敬みて之を記する所以である。
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「明治天皇御製」
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十一日 たらちねの親につかへてまめなるが
人のまことの始めなりけり
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(孝は人の行いの基本です)
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