味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

『陰騭録』の紹介--2.

2011-06-09 12:51:33 | インポート

タイトル---『陰騭録』の紹介---2. 第870号 23.06.09(木)

 第869号に続きます。

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 もちろん立命の学問は『陰騭録』に限らない。易学もそうでありますし、またあらゆる学問がそうなければならぬ筈であります。ご承知のように易学とは変る学問、すなわち造化・変化の学問である。自然と人生を通ずる世界は変化の世界であるが、その変化の中に厳粛な法則がある。

 その法則を究明して、活用してゆくのが易の教えである。アインシュタインの言葉を借りて申しますと、「自然というものは法則の支配する世界である。その法則を究明して、変る世界を易えてゆくのが人間の使命であり、権威である」ということになる。科学はそれを最も忠実に真剣に実践してきた。その意味において易学は、変る、と同時に易える学問であると言うことができます。

 『陰騭録』もまた同じ。これは書経の「惟れ天下、民を陰騭す」というところから出ておる熟語でありますが、陰は冥々の作用、騭はさだめるという文字である。

 すなわち冥々の間にさだめられておるものを明らかにさだめることである。自然の支配する法則を、人間の探求によって得た法則に従って変化させてゆく、これが陰騭であります。今日誰しも疑わぬ科学とは何ぞやというと、要するに一切万物を包含する宇宙・自然の法則を探求しておるのであるが、その宇宙自然の世界が陰騭の世界であるということができます。

 確かにこの宇宙・自然の世界は、物の世界も、人間の世界も、すべて複雑微妙な法則から成り立っておる。その法則に従って、初めて創造することができるのである。これを解明しなければ、物を生産することはできない。人間の生活・進歩もあり得ない。もしわれわれが法則を無視して、生活し行動をすれば、忽ち破滅する。この人間の法則が道徳というものであります。これは人間に課せられた一時的、方便的な制約ていうようなものでは決してない。

 人間存在、人間という生命の中に内面的に存在する原理・原則なのである。陰騭録はこの原理・原則を解明しておるわけであります。今、日本に一番大事なものは陰騭の努力である。われわれの古典を学ぶ意義もそこにあるわけであります。なにも先哲・先人の遺した学問を骨董品を珍重するように研究するのではなくて、それに基づいて、今日・明日のわれわれの人生、われわれの社会・国家・民族を創造してゆく根本信念・根本識見を修めんがためであります。---P16 7行目

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 この紹介を読んで、これは良いとお思いになりませんか。そうすれば、政治経済全般、その法則に従わないと、国民が不幸になると思うのですが、如何でしょう。