味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

政治家の皆様へ、世界に冠たる国体を維持してください。

2010-04-25 19:09:00 | ブログ

タイトル----政治家の皆様へ、世界に冠たる国体を維持してください。第440号 22.04.25(日)

 政治の閉塞感からであろうと思います。パフォ-マンスとか、スタンドプレ-とか揶揄されながらも、政党が乱立する昨今です。心ある人々が、多様な意見を主張することは大変良いことだと思います。主義主張をしたならば、一環してやり通して欲しいものです。でも主張する背景に、国家国民のためという大前提がなければならないと思うのです。利害が先行しコロコロ変身するのは国民を愚弄していると取られかねません。

 ここでは、呂新吾著『呻吟語』の一部を紹介します。この書籍は20年前に購入し読んだり筆写したりしたものです。著者は荘内南洲会理事長・小野寺先生も謦咳に接したと言われる碩学・安岡正篤先生です。

百姓の凍餒(とうだい)之れを国窮という。妻子の困乏之れを家窮という。気血の虚弱之れを身窮という。学問の空疏之を心窮という。〉(談道)

 意訳-----民百姓(国民)が凍え餓えるのはこれは国が窮するのである。いわゆる政策が悪いからである。妻子が貧乏生活をするのはこれは家が窮するのである。活力が虚弱なのは、これは身体が窮するのである。学問が空疏なのは、これは心が窮するのである。(訳一部修正)

〈天徳王道は是れ両事ならず、内聖外王は是れ両人ならず。〉(談道)

 意訳----「天徳と王道とは二つのことではない。内面的には聖賢の道を治めて己れを深め、外面的・社会的には王道を行う、これは二つの事ではなく一人の仕事である。これを誤ると前文のような四窮が生じてくるわけです。この場合の王道の王は社会・民衆の救済を意味します。」

 つまり、現在の国民の貧民状態が顕在化しているのは、根源は政治の貧困ということではないでしょうか。当該職に従事する人は、誠心誠意事に処して貰いたいものです。

 一方国民は、どのようにあらねばないか、ということです。

貧しきは羞ずるに足らず。羞ずべきは是れ貧しくて志なきなり。賎しきは悪(にく)むに足らず。悪むべきは是れ賎しくて能なきなり。老いは嘆くに足らず。嘆くべきは是れ老いて虚しく生きるなり。死するは悲しむに足らず。悲しむべきは、是れ死して聞こえるなきなり。〉

 意訳----「貧乏だからといって別に恥かしいことではない。恥ずべきは貧乏に負けて志をなくすことである。地位や身分が賎しいからといって、これを悪く思うことはない。憎むべきは努力して才能も磨かず、能がないことだ。老いは嘆くべきではない。嘆くべきは老いて虚しく生きることである。死ぬことも悲しむべきではない。悲しむべきは死んだのち、名も遺さず忘れさられることだ。」

 歴史的に読みつがれている名著だけに、蒙を啓かせてくれる名文だと思います。多いに自己の領分とすべく研鑽したいものです。

 時代の進展とともに、世の中はめまぐるしく代わり、兎に角いそがしい日々であります。人民すべてが、同等に富の恩恵に預かるということはないでありましょう。多忙であるといっても、世の事象に翻弄されない確固たる自分を構築することが肝要だと思います。自分づくりを致しましょう。

 そして、政治家の方々にお願いしたいのは、選挙の審判によって過半数を有したからといって、極端な国体の変更をしてはならないと思うのです。先の選挙で政権が交代したからといって、投票した全ての人々が急激な国体の変更を望んだのではないということです。

 日本の文化は永年に亘り人々の叡智によって構築され、享受してきたものです。それを変更するならば、そういう問題を提起し国民に信を問うべきです。小沢幹事長の「だから国民の皆様が政権を与えてくれたのでしょう」という言い分は間違いだと思います。

 問題を明確に国民にしらしめて、そして総選挙で信を問う、というやり方でないと大変不幸な事態が到来すると思います。外国人参政権の問題、夫婦別姓の問題等々、数の論理で強行するようなことがあってはならないと思うのです。


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