第2229号 27.0203(火)
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至敬は文(あや)なし。『礼記』
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敬いの極点に達したとき、そこにはもはや文や飾りはない。273
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【コメント】漢籍の言葉は本当に素晴らしいと思います。特に『礼記』は碩学・安岡正篤先生がお勧めする書でもございます。
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娘に勧められてブログを書き始めたのが、20.09.11でしたので、6年が経過しました。後期高齢者群に位置づけられた年齢ですので、少しでもやる気を出して、長生きをしなさいということであったのかも知れません。
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漢籍は一通りザッと目を通したつもりでしたけど、ブログに書いてみて自分の至らなさを痛感しています。自分自身の学修と併せ、未だ読んでいない人たちへのご紹介も兼て書いているつもりです。
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今朝のテレビ報道によると動画を配信して月に70万円~80万円稼いでいるという若い青年の紹介がありました。そして無名の青年たちが、自分が配信した動画が世界中の人に見て貰うことに優越感を抱いているとか。そこで動画配信ではさまざまな事件性に遭遇している青年たちもいるらしいとか。
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老人の私はかかってそういうことはございませんので、ご理解を戴きたいと存じます。貴方のブログはつまらないから、即刻中止しなさいと荘内の先生方のご指摘がありましたら、指示に従います。理子先生続けていいですか。
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日々に実践していることが、天の理に適っていなければ、必ず制裁を受けると信ずるようになりました。昨日はブログ書き、そして読み書きをしながら、天風師の『心に成功の炎を』を聞きながらでした。録音時間10時間です。
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『大学味講』(第67回)
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もしそうだとすれば、「身を修める」ということには、それで完成したなどということがあろうはすがないのであるから、そうなると、われわれは家を斉えるなどということは、一生出来ぬことになるのではないのか。そしてこれは治国の場合も、平天下の場合も、同じことであるから、これでは修身以外、一生何も出来ぬということになるであろうが、一体それでよいものでしょうか。
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思うに、われわれが、どんな立場に立って生きるかということは、「命」に属するものと思われるものが多い。早く一家の主人として、家を斉えねばならぬものもあり、また職業として、行政とか、教育とかという仕事に就けば、そういう人は、学校を出たばかりの時から、人を治めるために働らかねばならぬであろうが、それらの場合は一体どうすべきなのか。そこには、その人その人に与えられた「命」というものがあり、十人十色、百人百色で、一様にはいかぬものがあるのだが、一体これはどう考えるべきものなのか。人生について真剣に考えるものならば、これらのことに対しても疑問をもつでありましょう。
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『論語』(第167)
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子怪・力・乱・神を語らず。
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孔子は奇怪なこと有力のこと逆乱のことは、人と語らなかった。奇怪なことは常道に反し、有力のことは徳を妨げ、逆乱のことは治を害し、鬼神のことは人を惑わすからである。
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『農士道』(第51回)
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勿論質に帰せしむるということは、決して未開の昔----「野」に帰へすの謂ではない。人生は造化である。永遠なる創造的進化そのものである。逆行などあり得るものではない。苟に日に新に、日々に新に、又日に新なるのが、これ人生である。従って「帰質」といふも、そは現代の世相を経て、其の文化を十分摂取収蔵して、然る後更に新しき「質」を形成することである。-----恰度開き切った花が散って、新しき實を結ぶやうに、同じく實を結ぶいっても、今年の實は決して去年の實ではないのである。
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百人一首
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鵲(かささぎ)の 渡せる橋に おく霜の
白きを見れば 夜ぞふけにける 【中納言家持】6
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至敬は文(あや)なし。『礼記』
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敬いの極点に達したとき、そこにはもはや文や飾りはない。273
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【コメント】漢籍の言葉は本当に素晴らしいと思います。特に『礼記』は碩学・安岡正篤先生がお勧めする書でもございます。
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娘に勧められてブログを書き始めたのが、20.09.11でしたので、6年が経過しました。後期高齢者群に位置づけられた年齢ですので、少しでもやる気を出して、長生きをしなさいということであったのかも知れません。
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漢籍は一通りザッと目を通したつもりでしたけど、ブログに書いてみて自分の至らなさを痛感しています。自分自身の学修と併せ、未だ読んでいない人たちへのご紹介も兼て書いているつもりです。
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今朝のテレビ報道によると動画を配信して月に70万円~80万円稼いでいるという若い青年の紹介がありました。そして無名の青年たちが、自分が配信した動画が世界中の人に見て貰うことに優越感を抱いているとか。そこで動画配信ではさまざまな事件性に遭遇している青年たちもいるらしいとか。
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老人の私はかかってそういうことはございませんので、ご理解を戴きたいと存じます。貴方のブログはつまらないから、即刻中止しなさいと荘内の先生方のご指摘がありましたら、指示に従います。理子先生続けていいですか。
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日々に実践していることが、天の理に適っていなければ、必ず制裁を受けると信ずるようになりました。昨日はブログ書き、そして読み書きをしながら、天風師の『心に成功の炎を』を聞きながらでした。録音時間10時間です。
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『大学味講』(第67回)
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もしそうだとすれば、「身を修める」ということには、それで完成したなどということがあろうはすがないのであるから、そうなると、われわれは家を斉えるなどということは、一生出来ぬことになるのではないのか。そしてこれは治国の場合も、平天下の場合も、同じことであるから、これでは修身以外、一生何も出来ぬということになるであろうが、一体それでよいものでしょうか。
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思うに、われわれが、どんな立場に立って生きるかということは、「命」に属するものと思われるものが多い。早く一家の主人として、家を斉えねばならぬものもあり、また職業として、行政とか、教育とかという仕事に就けば、そういう人は、学校を出たばかりの時から、人を治めるために働らかねばならぬであろうが、それらの場合は一体どうすべきなのか。そこには、その人その人に与えられた「命」というものがあり、十人十色、百人百色で、一様にはいかぬものがあるのだが、一体これはどう考えるべきものなのか。人生について真剣に考えるものならば、これらのことに対しても疑問をもつでありましょう。
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『論語』(第167)
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子怪・力・乱・神を語らず。
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孔子は奇怪なこと有力のこと逆乱のことは、人と語らなかった。奇怪なことは常道に反し、有力のことは徳を妨げ、逆乱のことは治を害し、鬼神のことは人を惑わすからである。
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『農士道』(第51回)
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勿論質に帰せしむるということは、決して未開の昔----「野」に帰へすの謂ではない。人生は造化である。永遠なる創造的進化そのものである。逆行などあり得るものではない。苟に日に新に、日々に新に、又日に新なるのが、これ人生である。従って「帰質」といふも、そは現代の世相を経て、其の文化を十分摂取収蔵して、然る後更に新しき「質」を形成することである。-----恰度開き切った花が散って、新しき實を結ぶやうに、同じく實を結ぶいっても、今年の實は決して去年の實ではないのである。
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百人一首
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鵲(かささぎ)の 渡せる橋に おく霜の
白きを見れば 夜ぞふけにける 【中納言家持】6