タイトル---『人物の条件』の紹介---5. 第754号 23.02.18(金)
昨日の第753号に続きます。
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安岡人間学は、“修己治人”己を修め人を治めることにあるという。最終は自分がしゃんとすることである。人物学を修める秘訣は、まずは勝れた畏敬する人物に学ぶことである。次は、人物学に伴う実践である。勇敢にあらゆる人生の経験をなめ尽くすことだ。人生の喜怒哀楽、艱難辛苦、利害得失を勇敢に体験することである。
この安岡人間学を下地にして、私の体験を重ね合わせ、人の世話ができる有為な人物になるにはどうするかを述べてみた。前著『人間の品格』が大変に反響が大きかったので、続編的な意味合いも加味している。運命は、宿命ではなく、どこまでもダイナミックなものであって、自ら作り創造変化させていく立命を基本においている。激動する時代は、人物を求めているのである。
世の中が乱れてくると、型にはまった人間は役に立たない。どんなときでも、本質的な徳性である、明るい、愛する、人に尽くす、報いる、清い、惻隠の情などを基本に、第二の天性である良い習慣で磨きをかけたい。
人間は、知識、見識、胆識の三つが揃ってはじめて一流の人物になれる。若い頃の安岡先生は、激しかったと聞いている。私が知る先生は、立ち居振る舞いが美しかった。内面的涵養が面に現われ、背にあふれていたと思う。何事も実行“胆識”である。わが協議会の関本忠弘会長(日本電気社長・経団連副会長)の言葉“感じて、信じて、行動する”にもその意は通じている。 下村 澄
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下村澄著『人物の条件』のはじめにを5回にわたり紹介させて戴きました。最初にも書きましたが、私がこの本を読み終えたのが平成六年二月四日でした。読破後、テープにも録音し何回も聞いて参りました。安岡正篤先生の偉大さはもとより、著者自身の人格から迸るものが人々の蒙を啓かせたのではないかと思います。下村先生、有難う存じました。