味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

大巧は為さざる所に在り。

2015-07-30 10:17:37 | ブログ
第2405号 27.07.30(木)
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大巧は為さざる所に在り。『荀子』
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 真の巧妙は、小細工を弄しない点にある。
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 【コメント】台風も去り本来の夏になって参りました。上の『荀子』の言葉はまさしくその通りだと思います。昨夜は円心会・中島先生が道場にやって参りました。
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 連日3面記事ニュースが華やかですが、中島先生の周囲も何かと大変みたいです。何時の時代でも何かとある訳ですが、日々実践していることが、人様のお役に立っているか、世の人々の共感を得ているか、社会性があるか、教育性があるか、私心に根差していないか等々を考慮したいものです。
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 『修身教授録』に書いていることですが、世間を見渡してみたら、漫才よりか面白いことが一杯あるとか。
 世の中にはいろいろトラブルがあるわけですが、双方で解決できない時は裁判所という所があります。ところが我を押し付けるだけで解決しないのに、公の機関には出したくないなんて人がいるようです。面白い性格だな、と感じた次第でした。

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 菅原兵治先生の『大学味講』等々をご紹介していますが、これほど素晴らしい教えはないと思っています。菅原先生は日本一の教育者なんですよ、と教えてくれた荘内南洲会前理事長・小野寺先生のお言葉が耳にこびりついています。
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 私は『南洲翁遺訓』をただ只管学び、子供たちに教えていますので、小細工は弄していませんよネ。---高木先生。

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『大学味講』(第242回)
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   味  講
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 (一) この節は、礼記檀偶弓下篇にあるのであるから、その要点を摘記することと致します。
 晋の国王の献公が薧じたが、その時、公子の重耳は周辺の讒言を避けて亡命していた。すると蓁の穆公が人をつかわして、重耳に
「あなたは当然父王のあとを継いで君位につくべきであるから、この機に乗じ速やかに兵を挙げて晋に帰り、君侯の位につくべきであります」
と勧めました。そこで重耳はこれを母方のおじ(舅)の子犯----即ち舅犯----に相談したのであるが、舅犯は「きっぱりとことわりなさい。亡命している私は父の死にあって悲しみの情でいっぱいで、王位も財宝も、宝などとは考えておりません。ただ亡くなった親に仁を尽すことだけが宝です、と答えて、きっぱりとことわりなさい」
といったというのであります。

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『論語』(第342)
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 子曰はく,命を為(つ)くるに、裨(ひじん)之を草創し、世叔之を討論し、行人子羽之を修飾し、東里の子産之を潤色す。
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 孔子が言うには、「鄭の国では外交文書を作るのにも、まづ裨が大体の要項を立案し、世叔が故實をただし論理を合わせ、外交官子羽が文章を添削整理し、最後に東里の子産の手元で文飾を加えて仕上げをする。大変念の入ったことであることよ。
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『農士道』(第221回)
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 而して命が既に独自のものであり、従って志が独尊のものである以上、その道も亦全く唯我独尊のものである。即ち吾々は独自の「命」の此岸に立ち、独自の「志」の彼岸に向って独自の「天稟」の力を以て、独自の「道」をひた進みに進んで行くのである。「命」の「必然」に拘束せられながら、此処に躍進の「自由」の悦びがある。
 この必然上の自由の躍進!その作用が即ち「生命」(いのち)であり、その本体が即ち「命」(みこと)である。而して茲に至ればその生活内容が既に独尊なるを以て、「命」(みこと)はまたそのまま「尊」(みこと)である。思へば人生はまことに「命」である。

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