第2527号 27.11.28(土)
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成王過ちあるときは、則ち伯禽(はっきん)を撻(むちう)つ。『礼記』
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摂政周公は、成王が過ちをおかすと、わが子伯禽をむち打った。周の武王が歿し、幼い成王が即位した。これを教育する役目の周公は、息子の伯禽をモデルにして、父子君臣長幼の道を教えたのである。271
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【コメント】次代を担うべき人間には、人々の範たり得る在り方を厳しく教えるという意味においては、良い方法だと思います。尤も平和と繁栄に溺れ切った今の日本人には出来ないだろうと思います。
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今朝の「暁の学問館」には4歳児・カナコ様もお見えになりました。教材は、
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1.心の力
2.教育維新
3.開発力
4.修身こそ人間を開く
5.世論を越えて決断する日
6.将の条件
7.信念の人 サッチャーに学ぶ将の条件
8.運をつかむ----等々でした。
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1.「心の力」には、次のようにあります。
「怖れるな。怖れることは怖れることを引き寄せる」とキリストは言った。----怖れは怖れを、不安は不安を、怒りは怒りを、引きつける。人を嫉み恨む心、驕り慢心する心は、それにふさわしい事象を引き寄せる。逆もまた眞である。常に心を善意で満たしている人は善意を引き寄せ、人に親切にしている人には親切が、感謝している人には感謝が返ってくる。
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2.「教育維新」には、次のようにあります。
日本がいま教育の危機に瀕している。その最大の要因は教育の荒廃にある。教育を早急に立て直さなければならない。
吉田松陰は「それ学は、人の人たる所以を学ぶ」と言った。-----人間の本は徳性であり、末が知識技能である。徳を修めるのを本学といい、知識技能を学ぶのを末学という。
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『臥牛菅実秀』(第65回)
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その中で実秀は松平権十郎を励まして、この際、幕命をいさぎよく受くべきことを主張した。実秀のこの主張の根拠は何にあったのか、それをたしかめる資料はないが『臥牛先生行状』に
先ず藩力を外に展べ、然る後、おもむろに内政を匡正(きょうせい)せんとの遠意にはあらぬか。
とあり、幕命を受諾することによって幕府強化という藩の方針を明確にした上で、長い間、内訌(ないこう)していた藩論の不統一を、この際に解決しようとはかったのではなかったかとも想像される。幕末の緊迫した事態は、藩論の不統一、あいまいさを許さぬ段階に来ていたのである。
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『論語』(第458)
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子曰はく、年四十にして悪まるれば、其れ終らんのみ。
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孔子が言うには、『不惑の年の四十歳にもなって、何ひとつ善行もなく、君子ににくまれるような事では、もうおしまいじゃ。』
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『農士道』(第342回)
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田に、畑に行って勤労することを、吾等「ひの本」民族は、実に「仕事」をすると哲学し、信仰し、而して実行して来たのである。従ってそは断じて単なる「労役」ではない。恰も忠臣が君に仕ふる如く、孝子が親に仕ふる如く、貞婦が夫に仕ふる如く、己の一切を捧げ盡して没我奉仕する「ひの本」精神を以て田に畑に仕ふるのである。可憐な乙女子が針を運ぶことすら、それは単なる裁縫----裁って縫うとはいはずして、其の衣縫う「針の道」を通じて親に、夫に、子に仕えんとする「針仕事」と観じて来たのである。
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成王過ちあるときは、則ち伯禽(はっきん)を撻(むちう)つ。『礼記』
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摂政周公は、成王が過ちをおかすと、わが子伯禽をむち打った。周の武王が歿し、幼い成王が即位した。これを教育する役目の周公は、息子の伯禽をモデルにして、父子君臣長幼の道を教えたのである。271
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【コメント】次代を担うべき人間には、人々の範たり得る在り方を厳しく教えるという意味においては、良い方法だと思います。尤も平和と繁栄に溺れ切った今の日本人には出来ないだろうと思います。
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今朝の「暁の学問館」には4歳児・カナコ様もお見えになりました。教材は、
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1.心の力
2.教育維新
3.開発力
4.修身こそ人間を開く
5.世論を越えて決断する日
6.将の条件
7.信念の人 サッチャーに学ぶ将の条件
8.運をつかむ----等々でした。
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1.「心の力」には、次のようにあります。
「怖れるな。怖れることは怖れることを引き寄せる」とキリストは言った。----怖れは怖れを、不安は不安を、怒りは怒りを、引きつける。人を嫉み恨む心、驕り慢心する心は、それにふさわしい事象を引き寄せる。逆もまた眞である。常に心を善意で満たしている人は善意を引き寄せ、人に親切にしている人には親切が、感謝している人には感謝が返ってくる。
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2.「教育維新」には、次のようにあります。
日本がいま教育の危機に瀕している。その最大の要因は教育の荒廃にある。教育を早急に立て直さなければならない。
吉田松陰は「それ学は、人の人たる所以を学ぶ」と言った。-----人間の本は徳性であり、末が知識技能である。徳を修めるのを本学といい、知識技能を学ぶのを末学という。
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『臥牛菅実秀』(第65回)
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その中で実秀は松平権十郎を励まして、この際、幕命をいさぎよく受くべきことを主張した。実秀のこの主張の根拠は何にあったのか、それをたしかめる資料はないが『臥牛先生行状』に
先ず藩力を外に展べ、然る後、おもむろに内政を匡正(きょうせい)せんとの遠意にはあらぬか。
とあり、幕命を受諾することによって幕府強化という藩の方針を明確にした上で、長い間、内訌(ないこう)していた藩論の不統一を、この際に解決しようとはかったのではなかったかとも想像される。幕末の緊迫した事態は、藩論の不統一、あいまいさを許さぬ段階に来ていたのである。
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『論語』(第458)
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子曰はく、年四十にして悪まるれば、其れ終らんのみ。
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孔子が言うには、『不惑の年の四十歳にもなって、何ひとつ善行もなく、君子ににくまれるような事では、もうおしまいじゃ。』
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『農士道』(第342回)
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田に、畑に行って勤労することを、吾等「ひの本」民族は、実に「仕事」をすると哲学し、信仰し、而して実行して来たのである。従ってそは断じて単なる「労役」ではない。恰も忠臣が君に仕ふる如く、孝子が親に仕ふる如く、貞婦が夫に仕ふる如く、己の一切を捧げ盡して没我奉仕する「ひの本」精神を以て田に畑に仕ふるのである。可憐な乙女子が針を運ぶことすら、それは単なる裁縫----裁って縫うとはいはずして、其の衣縫う「針の道」を通じて親に、夫に、子に仕えんとする「針仕事」と観じて来たのである。
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