タイトル---世を蓋うの功労も『菜根譚』。第1094号 23.12.28(水)
『菜根譚』 18
〈世を蓋(おお)うの功労も、一個の矜の字に当たり得ず。天に弥(わた)るの罪過も、一個の悔の字に当たり得ず〉
〔訳文〕 一世をおおうほどの大きな功労も、(それを自慢する心がすこしでも生じたら全く値打ちがなくなるので)「矜」というひとことに相当することができない。(反対に)、天下に満ちわたるほどの大きな罪過も、(それを後悔する心がほんとうに生じたらすっかり消滅してしまうので)「悔」というひとことに相当することができない。
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〔コメント〕 こうしてご紹介しながら自分の勉強・戒めになります。「矜」とは、おごりたかぶるという意味があります。史記に「力は山を抜き気は世を蓋う」(項羽本紀)とあります。
私の場合、空手道場に集う子供たちのために一所懸命やっています。それも一つの功労・骨折りですが、ただ、子供たちのためにどうして役立とうか、どうしたら健全に、勤勉性を培う人間にそだってくれるかを考え、日々に挑戦しているのです。
そして後半の「罪過」については、子供よりか先人である大人は自ら漢籍等々を学び、後輩の青少年に善い影響を与えるようにしなければならないと思います。たまたま空手道場建設と同時に『南洲翁遺訓』と出会った私は果報者であったと思います。
鹿児島に出てくる以前の職場では、思い出したくない唯物主義、そしてエロチシズムの充満した職場でした。それも怠惰主義に陥った一人の指導者の影響大なるものがあったのです。先輩の後ろ姿というものは大変大事であります。そういった諸々を体験したからこそ、円心会に集う子供たちには、意義ある人生を歩いて欲しいのです。
『南洲翁遺訓』を読みましょう。漢籍を繙きましょう。それが「人間学」へとつながるのです。